2010/11/05

私が私を受け入れるということ

(福岡楠の会 ひきこもりの家族会 2010年11月号会報)

福岡県立大学大学院 四戸智昭

○あなたの勇気にありがとう
 この場をお借りして、10月の例会ミーティングに参加してくださった仲間の皆さんに、心から「ありがとう」を伝えておきたい。特に、先月号の私のエッセイを読んで、初めて例会に参加してくださった方の勇気は本当にすばらしいものだと思う。翻って、私にもあなたのような勇気があるだろうか?と帰りの車中でひとり考えてしまった。
日常生活に変化を起こそうとするとき、人はその日常から離れるための不安に苛まれる。不安を感じないためには、昨日のような生活を今日も送るということになる。しかし、その選択は、家族内の悩みや対人関係における悩みも、昨日と同じように今日も感じるという選択をすることになってしまうと思う。
明日は、この課題から、あるいはこの悩みから解放されたいと願うなら、自らの日常生活に変化を起こすという選択が必要となる。このとき人には、変化するための大きな勇気が必要になる。例会のミーティングに参加するという行為は、まさしくこのことで、不安ながらもミーティングに参加する方は、現状を心から変えたいという強い願いと勇気が行動に表れたのだと思う。

○参加することも、参加しないこともあなたの自由
 とはいえ、ミーティングに参加したいとは思ったが、参加できなかった人に“勇気”がないかといえば、そうではないと思う。
 現在、あなたが感じている自分の不安感や悩みをそのまま感じて、それでもミーティングには「参加しない」という選択もまた、今のあなたにとって必要な選択なのだと思う。大切なのは、変わろうとするのも、変わらないままこのままで居ようとするのも、あなたの自由であるという自己受容感(自分で自分を受け入れてあげるということ)という気がする。
 だから、家族のことで悩んでいる家族ミーティングでは、あまりルールを設けない方がいい。毎月必ず来なさいとなれば、1回でも休んでしまった人に、その場所はすでに自分自身を受け入れてくれる場所ではなくなってしまう。
 家族ミーティングという空間は、いつあなたが来ても、そのときのあなたを受け止めるという空間であり、また、あなたが来ないときも、あなたを批判するようなことがない空間であり続けて欲しいと私は切に願っている。

○私のタバコ依存症

 変化することの勇気について、抽象的な表現だったので、具体的な例でお示ししたい。私自身の話で恐縮ではあるが、前回のミーティングでは私の話をシェア(分かち合うこと)できなかったから、この場を借りて聞いていただければ有り難い。
 私は、3年ほど前に“禁煙しよう”と思い立った。今思い返すと、看護学部という場所で仕事をしていたから「タバコを吸わない人は勝者で、吸う人は敗者」という価値観を私自身が勝手に持っていたのだと思う。
 結局、その枠組みの中で勝者になりたいと願えば、禁煙するしかなかった。しかし、ニコチン依存症の私にとって、タバコのない世界は恐ろしく怖い。禁煙を宣言してしまえば、禁煙に挫折したとき、さらなる敗者というレッテルを貼られるのではないかと怖くて、職場の仲間にも家族にも何も宣言せずに禁煙に突入してみようと試みた。
 イライラは、2週間続いた。職場では上の空、家に帰ってからは、じっとしていられないので、モップを持って部屋中を強迫的なまでに掃除するしかなかった。家事という仕事(役割?)を奪い取られたかのような妻の顔を今でも思い出す。
 あれから3年が経過して、今のところ、煙によってニコチンは摂取していないが、結局、ニコレットというニコチン入りのガムは噛んでいる。ただ、タバコを吸うという行為から解放されて、たまに思うのは、ああタバコを吸うのも、吸わないのも私の自由な選択に委ねよう。人の目から見た自分を気にしてもキリがないという感覚である。

○自分を受け入れるということ

 家族ミーティングは、自己受容の場所であるとつくづく感じる。それは、他人の目に映る自分を気にしなくてよい場所である。自分の思ったこと、感じたこと、そのままを語っても誰も拒否する場所ではない。
だから、宿題(お願い)というとおこがましいが、自分のためだけに、お金と時間があったならどうするかということを、表現して欲しいと思う。自分の本当の欲求を感じるために、とても簡単な方法だと思っているからである。もちろん、ミーティングの場で「今は表現したくない」という表現もまたあなたの自由だと思う。
あなたが、たった今感じている感情をそのままあるがままに受け止めて、それが今の自分に必要な感情だと思えることが、自分を受け入れることだと思う。くれぐれも、「~しなければならない」という魔力に取り込まれないようにお過ごしいただきたい。
この原稿を書いている今、11月7日。私は仕事の都合で、札幌で美しい紅葉に囲まれながら、この原稿を書いている。福岡に移り住んでから、紅葉がこんなに美しいと思う機会に久しく出会っていなかったから、仕事ながら来てよかったと感じる私がいる。
今月21日の家族ミーティングにも、私は私のために行けたらと祈りつつ、筆を置くことにする。