例会のミーティングは、13:30~16:30ですが、それでも参加者全員にコメントを発表してもらうには時間的余裕がないので、最近は毎回、希望者に最近のエピソードを発表してもらっています。
会の進行については、前半に自由な意見の発表の場です。後半は、全員に一言ずつ、半年後の自分をイメージして、どうなっていたら嬉しいのか?そのために、今日から具体的にどんな課題を設定するのかをお話いただいています。
今回は、私のエッセイ「父の役割とは何か」にご意見を頂きました。
(ご意見)
「父の役割をクローズアップしすぎると、自己中心的な夫は、ますます自己中心的になってしまう。そのことで、かえって妻である私が苦労する。アルファとしての父など、我が家にはいてくれると困る。」ということでした。
なるほどと、お聞きしました。
私が父の存在について、前回のエッセイで触れたのは、家族の課題を解決するのに、父(夫)抜きの状態では、回復が得られないということ、そのために、どうしても回復の場所に父(夫)が登場して、父(夫)が率先して回復のためのイニシャティブを取らないといけないということです。(単に、父がリーダーとしてその家にいれば良いということではありません。むしろ、アルコーリックのような自己中心的な父は、存在してくれない方がよいでしょう。)
その回復という場所で、父(夫)が何をするのか?ということに、あまり触れないでエッセイを終えてしまっていましたから、誤解が生まれたのかもしれません。
回復という場所で、父(夫)がすべきことは、これまでの生活を振り返り、自己の振る舞いについて見直すことです。
A.A.(アルコーリックス・アノニマス)では、これを「人生の棚卸し」という言葉で表現しています。
自己中心的な父(夫)、存在しなさ過ぎる父(夫)、存在しすぎる父(夫)、いずれの父(夫)の場合も、回復の場所に登場して、自己の振る舞いを見直していただく必要があります。
このことについては、次回5月号のエッセイで触れたいと思います。
ミーティングメンバーの方の畑で収穫された夏みかんを頂きました。
甘酸っぱい良い香りがしました。