2011/09/07

ゼミで永田町を散策

今年の4月に、私の友人で埼玉県本庄市市議会議員の田中輝好氏にゼミで特別講義をしてもらった。「大人としての日本国憲法」と題して行ってもらったレクチャーは、ゼミ生にとても新鮮だった。

あれから4ヶ月。それでは、実際の日本の政策が組み立てられる現場を訪ねようということで、ゼミ生と東京は永田町を散策することになった。今回も田中氏に登場してもらい、憲政記念館にてレクチャーをしてもらった。

衆議院第一議員会館から望む首相官邸
 今回は、特別に衆議院予算委員会室も見学させていただいた。テレビで観る委員会室は広く感じるが、実際に訪ねてみると意外とコンパクトだった。

実際に、国の政策立案が行われている所を見ることで、学生には政治を身近に感じてもらいたいと願っている。


衆議院第一議員会館のオフィスにて

衆議院第一議員会館から国会議事堂を望む


旧議員会館からは望めなかった展望

衆議院予算委員会室を見学

衆議院予算委員会室

衆議院にて

国会自民党控え室

国会衆議院議長控え室

国会正面にて

ところで、国会の庭には各都道府県の県木が植えられているのをご存知だろうか。私の出身岩手県の木は”南部あかまつ”。どの都道府県も、天に届くような大木が植えられているのだが、福岡県の県木は横に広くつつじが広がっていた。

福岡県の県木”つつじ”が国会に植えられていた

津波で生き返った“ひきこもり”(―感情を共有・共感することの意味)

(福岡 楠の会 会報 9月号掲載)
四戸智昭

○東日本大震災の傷跡
 この夏、岩手県の沿岸部である三陸地方を訪ねた。三陸は、永い年月をかけて岩が侵食されたリアス式の海岸の景色が続いていることで有名な場所である。また、岩手県人にとって、夏の海水浴と言えば宮古市という町にある浄土ヶ浜が有名である。碧い海と白い石で敷き詰められた海辺は、まさにこの世の極楽浄土を表していることからこの名が付けられた。
三陸鉄道の鉄橋が崩壊した後
美しいリアス式海岸の景色や浄土ヶ浜は、3.11の津波で甚大な被害を受け、すっかりと変わり果てていた。三陸にある町は、津波で壊滅した町も多い。井上ひさしの小説『吉里吉里国』や、ひょっこりひょうたん島の舞台にもなっている大槌町は、まさにそのような壊滅した町のひとつである。人口15千人ほどの町だが、ここでは1,400人を超える人が亡くなったり、今もなお行方不明になっている。
また、宮古市の田老地区(旧田老町)は、明治29年の大津波以来3度も大きな津波に襲われている地域である。その度に多くの尊い命が奪われてきたことから、町は高さ5メートルほどの防波堤に囲まれている。津波への備えが万全であったつもりのこの町も、3.11の津波で全てが消えてなくなり、人口4千人ほどのこの町で、200人を超える人が亡くなったり、行方不明になっている。

○津波で生き返った“ひきこもり”
三陸にも、当然“ひきこもり”の人がその家族と一緒に暮らしていた。311日午後246分。大きな長い揺れがこの町を襲う。ひきこもりの生活になって10年を超えた30代半ばの男性は、長い揺れの恐怖を感じながらも、家を飛び出すこともなく戸建て2階の自室でひっそりと息を殺していた。
揺れが収まってしばらくした頃、男性に階下から、慌てた声で呼びかける母親の声がした。「津波が来る。一緒にお寺さ逃げるべ。」町中に、津波を知らせる防災警報のサイレンが鳴り響く。男性は小さい頃から防災訓練の度に、津波の恐怖は何度となく聴かされていた。しかし、自室を抜け出し、家を出ていくことがどうしてもできない。避難場所で出会ってしまうであろう近所や親戚の人たちの視線を考えると、恐怖で足がすくんでしまった。
息子を連れ出すことをあきらめた母親が、近くの山間にある寺にたどり着いたとき、それは襲ってきた。真っ黒い濁流と共に、多くの家々が潰れながらミシミシと音を立てて山に押し寄せてきたのである。本当に一瞬のことで、何が起きているか母親は頭の整理が出来なかった。
随分と時間が経った頃、母親は自分の家も津波に飲まれたことを理解した。家から連れ出すことの出来なかった息子は、2階の部屋に居たことが幸いだったのか、流された瓦礫の中から這い出てきた。母親とその息子は、今は仮設住宅で近隣や親戚の人たちに囲まれながら、仮設住宅地での防災や清掃活動といった役割を引き受け、ひきこもらずに暮らしている。
宮古市田老地区の津波被災後の風景
大きな災害が来て、町での暮らしが一変したときに思い知ることがある。快適さや便利さを追求した町づくりの一方で、ひきこもりのような弱い立場の人たちにとっては、住み心地の悪い町を作ってきたのではないかということである。
 安心できる居心地の良い場所、そしてその人が自分らしさを発揮できる役割があれば、ひきこもりの人たちは、自分だけの場所から出てくる。残念ながら、これまで私たちがしてきた町づくりや生活というのは、ひきこもりの人にとっては、ひきこもりやすい町づくりと生活だったのかもしれない。

○感情を共有することの意味
811日。震災からちょうど5ヶ月を迎えた東日本では、「ライトアップニッポン」と称したイベントが東日本の10カ所ほどの町で繰り広げられた。全国から集まった寄付金やボランティアの力を借りて、町中にはお手製の灯篭が並べられ、夜7時に犠牲者の霊の鎮魂のために全国の会場で一斉に花火が打ち上げられた。
静寂の中で打ち上げ花火の音だけが鳴り響いた
田老でも、かつて町があった場所に、高台にできた仮設住宅から被災者たちが集まった。建物の基礎だけが残った広いその町に、町民は各々腰を降ろして、静かに夜空に打ち上げられる花火を眺めた。
打ち上げられる花火の光に反射して、町中の人たちの頬は輝いていた。これまでじっと我慢していた悲しみの感情を、町中の人たちが共有した初めての時間だった。家族を失っても、葬儀さえままならなかった人たちに、やっと鎮魂の時が来たのである。こうやって、ありのままの自分たちの感情を共有しながら、この町の人たちは、また歩き始めるのだと思う。
 人であれば、誰かと繋がって生きていきたいと思っている。しかし、それがどうしても叶わない人がいる。人であれば、喜怒哀楽を感じる。しかし、それをありのままに安心して表現する時間と場所がない人がいる。でも、楠の会のミーティングは、あなたが誰かと繋がって、自分の思いを語ることができる場所である。また歩き始めるために、あなたも参加してはどうだろうか。






田老の街中に並べられた灯篭

2011/09/05

内閣府による「困難を有する子ども・若者の相談業務に携わる民間団体職員研修」にて家族会の話をします

内閣府では、青少年育成の施策の中で、困難を有する子ども・若者を支援する地域のネットワーク整備に取り組んでいる。

不登校やひきこもりの子どもたちは、この困難を有する子どもや若者に該当する。
ひきこもりは、内閣府の推計では、全国に約70万人いるとも言われている。

私は、この数字に”4倍の法則”という名のもとに、4倍をかけて、280万人ほどの人がひきこもりのことで悩み、苦しんでいると思っている。

ひきこもりの本人だけでなく、その母、その父、その兄弟は、ひきこもりの家族を抱えていることで、孤独や誰にも言えない悩みを抱えている。

私がここ数年取り組んでいる不登校やひきこもりの子を抱えた家族会は、そんな家族の孤独や悩みを癒し、家族が成長するための場所である。

ところで、この家族会の運営やすすめ方を、内閣府が主催する「困難を有する子ども・若者の相談業務に携わる民間団体職員研修」で講習することになった。

聞き手は、支援者。どんな内容にするかは、まだ詳細を決めていないが、この研修会は民間団体で不登校やひきこもりの支援をしている職員が無料で参加できるとのことである。開催地東京までの交通費や宿泊費も政府が負担するとのことであるから、政府がどれだけ力を入れているかがわかる。

関係するNPOの職員の方など、是非、参加してみてはどうだろうか。
なお、申し込み開始は本日から、定員になり次第締め切りとのことである。

http://www8.cao.go.jp/youth/bosyu/soudan/bosyu-6.html