2012/12/02

「ひきこもり」というラベルで見えなくなったアディクション

福岡楠の会2012年12月号エッセイ
福岡県立大学 四戸智昭


○アディクションとは何か
 前回のエッセイでは、「ひきこもり」というラベルで家族の中のアディクションという課題が見えなくなってしまったと指摘した。
 
 ところで「アディクション」という言葉が一体何なのかが解らない読者のために、アディクションという言葉の意味について解説をしておきたい。
 
 アディクションとは、人が何かにのめり込んだり、やめられなくなったりする行為を総称する言葉である。ポイントとしては、2点挙げることができる。ひとつは、「強迫観念」である。つまり、“いつもそのことが忘れられない”という状態が強迫観念的状態であり、例えば仕事依存症の夫が、休みの日にも仕事のことを考えているような状態がこれにあたる。
 
 ふたつめは、「衝動性」である。気がついたら“ついうっかり”、それをしてしまっていたという状態が衝動性である。上記の例で言えば、仕事依存症の夫が、休みの日にもついうっかり仕事のメールをチェックしてしまう。というのがこの衝動性にあたる。

 アディクションというと、道徳的に悪いものと考えてしまいがちだが、人は誰でも何かに対してアディクションしている。例えば、ビル・ゲイツはウィンドウズというパソコンのOS(オーエス)を作成したことで巨万の富を得たが、彼は立派なパソコン・アディクションの男である。彼が登場しなければ、万民が簡単にパソコンを操作することは難しかったかもしれない。その意味では、ビルのパソコン・アディクションは、人々の役に立ったと言えるから、アディクションを悪と定めてしまうことはできない。



◯人間関係アディクション(共依存)
 
特定の人物の事が忘れられなかったり、気がついたら、ついその人のために何かをしている場合は、人はその人間関係にアディクションしているといえる。
 
 例えば、母が病弱な息子の事を忘れられなくて、気がついたらその息子のために、食事や入浴の用意をしているというのは、ここでいう人間関係のアディクションである。何度も言うが、“良い”、“悪い”は関係ない。その母はその必要があって息子にアディクションしているわけである。
 
 残念ながら、日本という国では、母の子への献身的態度は、美徳とされる。あるいは妻の夫への献身的態度も美徳と考えられている。結果、良妻賢母をすることが妻であり母である私の役割だと思い込まされている女性たちは多い。
 
 しかし、自分の人生を自分でまず支えられなければ、そういった母の子どもへのアディクションは献身ではなく、単なる“子どもアディクション”になってしまう。
 
 映画女優として有名なオードリー・ヘップバーンは、銀幕のヒロインとしてだけでなく、晩年は恵まれない地域を訪れ、様々な社会貢献をしたことでも有名である。彼女の言葉は、まさにこの事をよく表現している。「自分には、ふたつの手があることに気づきます。ひとつの手は、自分自身を助けるために、もうひとつ手は他者を助けるために。」

 人間関係のアディクションに陥っている人は、オードリー・ヘップバーン流に表現すると、“両手とも他者に差し出している”ことになる。結果、一番大切な自分自身を支える人がいない事にも気がついていない人と言えるだろう。



◯アディクションとは人間の性質である
 
アディクションとは、人間が本来持っている性質である。従って、単純な道徳的感覚で良いアディクションと悪いアディクションに分けることはできない。人はその必要があって何かにアディクションしている。
 
 しかし、近年の日本では、健康意識の高まりと共に、禁煙運動が盛んになり、その結果喫煙率もある程度までは下がる傾向にある。しかし、振り返ってみると、90年台まではわが国も結構喫煙率が高かった。
 
 健康な日本人を作ろうと官民あげて禁煙のムーブメントを起こし、飛行機の国内線や国際線、あるいは新幹線や在来線の禁煙化が決まった頃、実は、様々な暴力事件も多発している。それは、喫煙できないことからくるイライラをキャビンアテンダントや鉄道職員に暴力という形で表現されたと解釈できる。
 
 タバコはかつて嗜好品であった。行き過ぎた健康ブームは、すべての人を幸福にはしない。それどころか、問題が予想もしなかったところで爆発する。ちなみに、世界で初めて禁煙運動を唱えたのはナチスのヒトラーである。ナチズムの最後に何が起きたのかは誰もが知っているところである。つまり、自分にとって都合の悪い人は排除するというジェノサイド(大量殺戮)が起きてしまった。
 
 社会が決めた慣習やルールに従う前に、まず自分の心の声を聴いて欲しい。「私は、心からそれを望んでいるのか否かを。」それが、まず自分を幸せにする唯一の方法であり、結果、家族の幸せに繋がっていく。

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2012/11/12

2012年KHJみやざき楠の会 学習会 でミニレクチャーをします



 今年、みやざき「楠の会」では一年を通じて、22回の「ひきこもり回復プログラム」を企画し、取り組んでまいりました。なぜ、ひきこもっているのか、接し方はどうすればいいのかなど、長期にわたりやすいひきこもりを解決する手立てを探るため、様々な方面の専門家のお話をきき、学習しています。15回目は、福岡県立大学の四戸智昭先生をおよびしました。この機会に、ぜひ、たくさんの方にご参加いただきたいと思います



テーマ:ひきこもりの根源~本当の回復とは
講 師:福岡県立大学大学院 准教授 
      四戸智昭(しのへ ともあき)



12月9日(日) 
     13:30~16:30 (休憩・質問タイム含む)                                      
 会 場  JA・AZMホール 本館2F 中研修室
      宮崎市霧島1丁目1の1 0985-31-2000
 定 員  72名
 参加費  楠の会会員500円、一般1,000円








2012/10/31

「ひきこもり」というラベルで見えなくなったもの



 福岡楠の会11月号会報エッセイ
福岡県立大学 四戸智昭

○ラベル(名称)が市民権を得るとき

 社会がそれまで気づいていなかったり、ネグレクト(無視)していた問題にラベル(名称)が付けられると、市民はそれを意識し、そのラベルは独りで歩き始めることになる。
 例えば、「虐待」というラベルは2000年の虐待防止法施行を境にして、我が国で使われるようになったラベル(言葉)である。それ以前は、新聞では「折檻死」という言葉が使われていて、“躾が行き過ぎた死”程度の扱いであった。虐待と折檻では、全く意味合いが違う。虐待という言葉が登場し“自分で声を上げることができない弱者である子を社会で守る”というムーブメントに発展することになる。
事実、虐待防止法施行以降、虐待の通報件数は急増している。つまり、虐待は良くないことであり、一市民として通報したり、子育て不安からつい虐待してしまう母たちからの通報が増えたのだ。その意味するところは「虐待」という言葉が市民権を得たということである。(ちなみに、防止法施行の時の通報件数は1万7千件、最新の報告では虐待報告件数が年間55千件を超えている。)



 


○「ひきこもり」ラベルの功罪

しかし、ラベル(名称)が付けられることが良いことばかりをもたらすとは限らない。「ひきこもり」というラベルは、今や、権力を持つ国家が、働かない若者が増えることで税収減を恐れて付けたラベルになりつつある。
あるいは、「ひきこもり」の子に困り果てた親たちに、支援サービスを提供しますよと持ちかけて、親たちから金を搾り取るための産業にも利用されている。
 つまり、誰が何のために「ひきこもり」というラベルを必要としているかを注意深く見守っていないと、ひきこもりを抱えた家族は、既述のような国家権力や経済産業界、あるいは医療業界の餌食となってしまう恐れがあるのだ。
 もちろん、90年代前半までは「ひきこもり」は社会からネグレクトされていた。その後この「ひきこもり」と言うラベルが登場したことで、良識ある支援者や草の根活動が各地で登場したことも事実である。



○「ひきこもり」の新しい名称

 「ひきこもり」について言えば、私が提案する新しい名称は、「生き延びるために、自室や家に“ひきこもる”という行為を必要とし、それを選択した人達」である。とても、長すぎて名称とは呼べるものではないが。
この文脈は、前エッセイでも述べているが、「ひきこもりの人」は好きでひきこもっているのではない。ただ、怖くて他人に会えない。家から出られないのである。彼らから“ひきこもる”という行為を奪えば、次に彼らが取る手段は自殺しかない。
 だから、ひきこもりの彼らたちは、今日も生き延びるためにひきこもっているのである。そこで、私は長たらしくはあるが、彼らを「生き延びるために、自室や家に“ひきこもる”という行為を必要とし、それを選択した人達」と呼びたい。



○「ひきこもり」というラベルで見えなくなったもの
 「ひきこもり」というラベルが登場したことで、見えなくなった問題があることもここで触れておきたい。
 それは、「ひきこもり」という言葉が市民権を得て、一人歩きしたことで、行政や支援者もその現象ばかりに囚われているということである。“ひきこもりの社会復帰のための支援”というスローガンが掲げられてしまうと、ひきこもり現象のみを解消すれば良いという事になってしまいかねない。
 しかし、ひきこもりの子を抱えた家族の生活内部は複雑である。例えば、ひきこもりの子たちは、昼夜逆転の生活をしている人が多い。これは当たり前で、日中に起きていれば、自室で考えたくなくても、社会が動いていて、同世代の人達は働いているという考えに取り憑かれてしまう。結果、昼に過睡眠というプロセスアディクション(依存)を選択することで、自己を守ることが出来る。
 一方、夜は、社会が寝ている時間で、働いている他者を意識しなくて済む時間である。彼らの多くは、そこで安心してインターネットやテレビゲームにアディクション(依存)する。つまり、彼らは生き延びる必要があって、昼の過睡眠アディクション、夜のインターネットアディクションを必要としているのである。「ひきこもり」というラベルによって見えなくなった問題はこのアディクション問題である。
ちなみに、ひきこもり当事者の各種アディクションを長引かせているのは、家族内の共依存(人間関係アディクション)である。家族内の人間関係アディクションから修復することが、ひきこもりの子たちを救う手だてになる。そのためには、家族会に家族が登場することである。



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2012/10/29

平成24年度 長崎県県央保健所 不登校・ひきこもり講演会

 ひきこもりで悩んでおられるご家族やひきこもりの問題に関心がある方を対象に、「不登校・ひきこもり講演会」を開催します。また、ひきこもり家族の集いと当事者の集いの活動紹介も行います。お気軽にご参加ください。


12/18(火)13:00~16:15(受付12:30~)
会 場:ながさき看護センター(諫早市永昌町23-6)


「不登校・ひきこもりとその家族~課題解決のために家族に知って欲しいこと、学校に支援してほしいこと~」

講師:福岡県立大学大学院 准教授 四戸智昭

 私の専門の嗜癖(しへき)行動学という学問(アディクション:アルコール依存、ショッピング依存、ネット依存などの各種の依存症を対象とするもの)の視点から、不登校やひきこもりの当事者をみていくと、不登校やひきこもりは単なる怠けではなく、彼らにとって生き延びていくために必要な行動と言えます。この課題の解決には、当事者へのアプローチだけでなく、当事者家族に知って欲しい重要なことがあります。また同じく、この課題の解決には当事者家族を支える人達の理解と適切な支援が重要です。
 当日は、不登校・ひきこもりという課題についてアディクションアプローチという方法で一緒に考えてみたいと思っています。






2012/10/06

セルフ・ヘルプフォーラム2012 in 北九州で講演をします


PDFファイル版は、こちらから表示できます

○ 特別講演
「私たちは今日も生き延びるためにアディクションしていますー必要があっての依存症とアディクション概念―」

(講師)                    
 福岡県立大学大学院准教授
  四戸(しのへ) 智昭
人は、必要があって何かに依存(嗜癖(しへき);アディクション何にも嗜癖をしないで生活を営む人は全くいません。誰もが、何かに嗜癖しながら今日も生き延びているのです。
嗜癖行動(薬物依存やアルコール依存、摂食障害、ネット依存など)をとる人たちは、特別な人たちではなく、その必要があって嗜癖行動を行っています。彼(彼女)たちが、今日も活き活きと生活していくためには、周囲の人たちの理解が何よりも重要です。医療だけでなく、福祉や地域活動など、様々な分野の取り組みが彼(彼女)たちを救う手立てになります。そして、それは、結局、私たちの生き方を支えることにもなります。この現代的な課題を一緒に考えてみませんか。




2012/10/01

あなたは放浪をしますか、それとも旅を選びますか

 福岡楠の会10月号エッセイ
福岡県立大学大学院 四戸智昭

◯放浪と旅の違い

 映画の宣伝ではないが、6年ぶりに銀幕のスターとして再登場した高倉健主演映画「あなたへ」では、主人公の倉島英二に扮する元刑務官の高倉健が、妻の遺骨を抱えて、妻の故郷を目指し旅にでることから物語が始まる。「妻にとって、自分は何だったのか?」「妻の故郷の海を見てみたい」というのが、彼の目的だった。
 旅の途中、自称国語教員を名乗るビートたけしに、「放浪と旅の違いが何だかわかりますか?」と質問を投げかけられるシーンがある。主人公は、その答えに即答することが出来ずに、この自称国語教員に諭される。「放浪と旅の違いは、帰るところがあるかないかです。」
 人生もよく旅に例えられる。水戸黄門の歌ではないが、人生楽もあれば苦もある。谷があれば、山もある。しかし、目的地さえ自覚していれば、放浪することはない。加えて、人生には、様々な選択肢を選ばねばならない機会に遭遇する。それでも、目的さえ自覚していれば、とんでもない選択肢をチョイスすることはないだろう。
 例えるなら、それはちょうど、東京から福岡の旅に似ている。福岡の方角さえ間違えていなければ、飛行機を利用しようが、新幹線を利用しようが、船を利用しようが、福岡にたどり着く事ができる。目的地(帰るところ)さえ自覚していれば、この映画流に言えばそれは人生の旅ということができるだろう。



◯家族会は放浪しやすい

 話は変わるが、全国、否、全世界には、数多くの自助グループが存在する。同じ悩みや苦しみを抱えた人たちが自分たちの苦しみを共有し、課題を解決しようとするのがこの自助グループである。自助グループの歴史は、A.A.(アルコーリクス・アノニマス:お酒を止めるための自助グループ)に端を発する。20世紀に入って間もない頃、A.A.は米国で設立され、このスタイルは自助グループとして、全世界に野火のように広がった。
 例えば、N.A.(ナルコティクス・アノニマス)は、アルコールではなく、覚せい剤や大麻などの薬物依存に陥った人たちのための自助グループである。また、A.A.にもN.A.にも、依存症の当事者だけでなく、その家族や友人のための会がある。前者は、アラノン(AL-ANON)と呼ばれるし、後者はナラノン(NAR-ANON)と呼ばれる。いずれのグループも、アルコールや薬物依存に陥った当事者をその家族や友人が理解し、支えようとする共同体である。
 ただ、残念なことに、わが国の事情に限って言えば、こういった家族会は、旅ではなく放浪しやすい。つまり、当事者を抱えた家族たちに、目的意識が薄い事が多い。一方、当事者たちの目的はハッキリしている。「飲まないで生きていくために、ミーティングに参加する。」「薬を使わないで生きていくために、ミーティングに参加する。」というのが至上命題であり、彼らの旅の目的である。




◯あなたは放浪をしますか、それとも旅を選びますか

 ひるがえって、ひきこもりの子を抱えた親たちは、放浪をしているのだろうか?それとも旅をしているのだろうか?
あなたがひきこもりの親の会に参加する最大の目標は何だろうか?漫然と会に参加していれば、それは良し悪しは別にして放浪と言うことになるだろう。つまり、行き着く先は何処かわからない。
一方、「ひきこもっている我が子が自立した生活を送ること」「私たち家族が抱えている問題を夫と共有すること」という目的地(帰るところ)を意識して親の会に参加すれば、それは放浪ではなく旅になる。
目標がハッキリしたら、次は現状把握である。客観的に自分と自分の家族の問題を把握する。これは独りでは、まずできない。なぜなら、人は否認したり、合理的(自分の都合の良いように)に現状把握をすることがほとんどだからだ。だから、同じような悩みを持った人たちのミーティングに参加して、客観的に自己の現状把握をする。
現状把握ができたのなら、次は目標達成のための戦略を立てることになる。これは、客観的な現状把握さえできれば、意外と簡単である。
楠の会の家族ミーティングは、そのための会である。ただし、参加したとしてもそれが、放浪なのか旅なのかは、あなた自身にかかっている。



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2012/09/01

必要があっての共依存というアディクション


福岡楠の会9月号エッセイ
福岡県立大学大学院 四戸智昭

○生き延びるためのアディクション

アディクション(嗜癖)は、大きく分けて3つに捉えることができる。ひとつは、アルコールやニコチン、大麻や覚醒剤など、物質を体内に取り込むことがやめられなくなるアディクションである。物質を体内に取り込んで快体験を得ようとするこのアディクションは、物質アディクションと呼ばれる。
 ふたつ目は、買い物やギャンブル、万引きや放火、覗きなど、行為そのものがやめられなくアディクションである。これらは、行動やそのプロセスによって快体験を得ようとすることからプロセスアディクションと呼ばれる。
 3つ目は、人間関係の依存である。他者にとって良い人を演じて、その結果褒められれば、これも脳内では快体験として学習され、この人間関係をやめられなくなる。男性に多いのは上司のご機嫌を伺いながら、仕事にのめり込む仕事依存の人。女性であれば、子にとって良い母を演じる賢母の母などがこれに当たる。
 いずれのアディクションも、最近の脳科学では、脳内で起きている事はそう大差が無いことがわかってきた。すなわち、これらのアディクションに陥っているときには、快体験を誘発するドーパミンが脳内に放出されているというのである。


○アディクションを排除するということ


 快体験を得たいというのは、逆に言えば、快体験を得なければ不安や鬱にさいなまれてしまう生活をしているということになる。あるいは、人によっては、生育歴(被虐待体験)によって不安や鬱にさいなまれ、これを解消する手段として嗜癖が用いられる。
 もし、嗜癖によって不安や鬱が解消されなければどうなるだろうか。その解答は、わが国日本では実にシンプルな形で現れている。すなわち、自殺である。98年以降、わが国の自殺者数は3万人を超えて推移している。その内訳は、男性が2万人を超える程度、女性が1万人をきる程度である。
 人は、自殺という最終手段を取らないために、各種のアディクションにのめり込む。言わば、生き延びていくために、その人が最も取りやすいアディクションをして、今日も生きているという事になる。
 わが国では、健康増進法の施行以来、健康のために、禁煙運動が盛んになったが、タバコを吸うというアディクションの行為が社会的悪とみなされ徹底的に糾弾されると、愛煙家たちは、禁煙せざるを得ない。その結果、国内・国際線問わず、機上での喫煙が全面禁止になった頃、機上での暴力事件は逆に多くなった。
 あるいは、うつ病に処方されていた“リタリン”という覚醒作用があり、かつ依存性のある処方薬は、重度のうつ病患者にとっては良い薬であったが、市場に出回るリタリンがインターネット上で売買されるなど、不適切な行為が患者によって行われていた事から、4年ほど前にうつ病の患者には処方禁止になった。これで、目の前の問題は解消されたかに思われたが、アンダーグラウンドで売買される覚せい剤の価格は、これを契機に上昇している。



○時間を味方にして共依存をやめる
 アディクションという行為を排除するのは、一見すると単純で簡単なことのように思えるが、これが意外と難しい。
 人間関係の依存(共依存)もそうである。人(親)は、その必要があって共依存している。特に、不登校やひきこもりの課題を抱えた母や父は、その必要があって子に共依存している。この共依存は簡単に排除するのが難しい。なぜなら、前述のように、人はその必要があって共依存というアディクションをしているからである。
 子に対する良い親、子をケアしすぎる親をやめるというのは、容易なことではない。ではどうしたら、子に対する共依存というアディクションをやめることができるのか。それには、まず、本人である親が、どうして子に共依存というアディクションをする必要があるのかに気がつくことである。
 “自分から子育てを奪われたら、生き甲斐がなくなってしまう”“子のケアをやめたら、嫌な夫と嫌でも向き合わなければならなくなる”まずは、そういう現実が自分にあるのかどうか。検証することが共依存というアディクションから逃れるために必要なプロセスである。ちなみに、その検証はグループミーティングに参加する事が一番の方法である。
 共依存をやめると、一時的な抑うつにさいなまれる方もいる。しかし、それは、悪いことではなく共依存という病から回復する途上で出会う一時的な苦しみに過ぎない。多くの回復した親たちは、時間を味方にしてこの抑うつも解消している。永遠に続く苦しみはないのである。


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2012/08/01

あなたのその不安と怒りには意味がある




福岡県立大学 四戸智昭

○若いひきこもりに効く薬

 できることなら、誰もが平穏で幸せな生活を送りたいと願う。現代の脳科学の仮説に基づくと、人がリラックスしているときに脳内に放出されるホルモンは、セロトニンと呼ばれる。温泉につかったり、マッサージを受けたり、あるいは座禅や写経をして精神統一しているときにもこのセロトニンが脳内に放出されていると言われている。
 一方、このセロトニン仮説に基づくと、脳内にセロトニン量が不足している状態が「うつ状態」である。何だか、悲しい、朝起きるといつも憂鬱だという症状に対しては、現代の精神医学では、今のところ脳内のセロトニン量が増加する薬(SSRIと呼ばれる種類:複数種の薬剤がある)が処方される。
 新潟でひきこもりの外来治療をしている中垣内正和氏によると、若いひきこもりの当事者で、「うつ状態」の患者にはこのSSRIの処方がとても良く効くという。具体的には、SSRIで「レクサプロ」と呼ばれる薬剤が若いひきこもりの患者には良く効くのだという。
 ただ、現代の精神医学では、「うつ病」は未だ科学的に完全に解明されている病気ではない。脳のどの部位に、どのように異常が起っているのかはわかっていない。臨床研究の途上でたまたま出てきたSSRIという薬がどうやら「うつ病」に効くようだというレベルであることは事実である。だから、薬が万能ということではない。





○不安と怒りとノルアドレナリン

 さて、リラックスした状態の時に脳内に放出されるホルモンに対して、不安や怒りを感じた時に放出されるホルモンは、「ノルアドレナリン」と呼ばれる。
 多くの人は、できることなら不安や怒りは感じたくない感情だが、これは人間の防衛本能と関係しているホルモンとも呼ばれる。古代、人間は狩猟時代を生き抜いてきた時代があった。夜になると、どんな野獣が襲ってくるかも分からない。襲ってきた時には、直ぐに戦闘態勢に入らなければならない。そのために、ノルアドレナリンが放出される。
 つまり、不安や怒りにともなって脳内に放出されるノルアドレナリンは、自分自身の生命と安全を守るために必要なホルモンなのである。
 また、ノルアドレナリンは、「やる気」や「気力」にも関連したホルモンとも言われる。同じくうつ病患者の中には、「何もやる気が起きない。」という症状を呈する人もいる。この場合、脳内のセロトニン量の他に、ノルアドレナリン量も不足していると考えられていて、その場合にはSNRI(セロトニンとノルアドレナリンに作用する種類の薬)と呼ばれる種類の抗うつ剤が処方される。


 
○不安と怒りからその原因を探り目標を立てる

うつ病の発生モデルに学ぶと、不安や怒りを感じた時に放出される「ノルアドレナリン」も私たちが生きていく上で重要なホルモンだということがお解りいただけるだろう。
 ところで、前回の畠中雅子氏の講演「ひきこもりのライフプラン」を聴いて、不安や怒りを感じたという当事者の親たちがいたが、この不安や怒りには大きな意味があると思う。畠中氏は、ファイナンシャルプランナーの立場から、親亡き後の子の経済的サバイバル方法について語られた。
 聴衆の中には、「そんな財産、私にはない。」「そうは言っても、具体的にどうすればいいか不安。」と感じられた方も多かったのでないだろうか。つまり、畠中氏のメッセージが皆さんのノルアドレナリンを賦活させて不安や怒りを誘発させたことになる。
 しかし、先のノルアドレナリンの説明を思い出していただきたい。不安や怒りは皆さんの「やる気」や「気力」を喚起する。畠中氏のアドバイス通り完璧なまでの家計プランを立てる事が無理でも、自分なりの家計プランを立てることは可能なのではないだろうか。
 ひきこもりという課題を解決するために、小さな目標でも構わないから、この1ヶ月に出来る具体的な目標を立てて実践すること。そうやって時間が経過していく内に、皆さんの課題は確実に解決に近づいていく。
 不安や怒りを感じた時は、あなたが変わるためのチャンスである。自分の不安や怒りの原因が何なのか?どうすればその不安や怒りを軽減できるのか?鏡を見つめて自問自答すると、その先にはあなたの魂の成長が待っている。



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2012/07/02

世代間連鎖する価値観



福岡県立大学 四戸智昭
○過去思考型と未来思考型

 「どうして、家の子がひきこもってしまったのだろうか。」というのが、ひきこもりの子を持った多くの親の思考方法である。私はひきこもりの子を抱えたグループミーティングでは、いつもこの思考方法をしないようにと否定し続けている。
 必要な思考方法は「どうして。家の子に“ひきこもる”という行為が必要なのだろうか?」である。どちらも、日本語の文脈としては大した違いはないかもしれない。しかし、ひきこもっている彼らが、必要があって“ひきこもる”という行為をしている。と考えると、親たちの視野は確実に広がってくる。
 どう広がってくるかというと、前者の思考では大抵その結論に、「私の育て方が悪かった。」という理由が登場する場合が多い。結果として、子育ては過ぎ去った過去だから、親たちは、悔やんで自責するしか無い。これは、原因を過去に探る過去思考である。
 一方、どうして彼らに“ひきこもる”という行為が必要なのか?を考えるということは、未来思考である。自分の過去の子育てを悔やむ前に、今の子をよくよく観察する必要が出てくる。子だけではない、子がおかれた家族内の人間関係、子がおかれた友人関係、子がおかれた社会情勢をよくよく観察し、そこに“ひきこもる”という行為が必要な原因を探るわけである。





○子のひきこもりは、親の子育ての責任ではない
 ところで、「子のひきこもりは、親の子育ての責任ではない。」というのが私の持論である。最近では、発達障害の原因に、親の子育て原因説を唱える研究者がいるようだが、彼らは視野狭窄に陥っているとしか思えない。つまり、親の子育てと子の障害という結果のスパンがせいぜい5年~10年程度でしかなく、怪しい“三つ子の魂百まで”説の復活である。
 一方、家族機能を見る視点はこれと全く異なる。私たち現代に生きる者の生き方は、先祖の生き方の上に成り立っている。この考え方に基づけば、今の私と私の両親がこの世に生を受けた時間的経過は、ミーティングに参加する親たちにとっては、40年から60年ということになるだろうか。また、今の私と祖父、祖母がこの世に生を受けてからの時間的経過は、単純に計算すれば60年から120年ということになるだろう。
 つまり、私たちはこの世代間連鎖という鎖の中の一部として現在を生きている。今の私たちの思考方法や、倫理観、価値観、子育て観といったものは、先祖の生き方から受け継いできたものである。つまり、私たちは育てられた方法によって、自分の子を育てているのである。
私たち親は、自分がこの世に生を受けた環境や育てられ方を子どもの時選択できただろうか?そのような人は皆無である。従って、「子のひきこもりは、親の子育ての責任ではない。」私たちは、何世代にも及ぶ世代間連鎖の中に生きているのである。





○世代間連鎖はどう現在に影響を与えるのか?

 まず、親であるあなたの育ってきた環境を思い浮かべるといい。どんなふうに父親に接してもらったのか?どんなふうに母親に接してもらったのか?自分の子ども時代の生活環境はどうだったのか?
 中には、「父は呑んだくれて、母は一生懸命内職していたが、自分が小さい頃はとても貧乏で、高校にも行けなかった。」という親もいる。そういった方の思考は大抵こうである。「私の子どもには、同じような思いはさせたくない。せめて、高校、そして大学は卒業させてやりたい。そして、生活に困らないような会社に入社して結婚して幸せになって欲しい。」という思考が生まれる。
これは、自分の子どもに声に出して伝えなくても、子に確実に伝わる。あなたの日常の何気ない子への言葉かけ、態度にこれらは如実に現れるのである。しかし、現代社会はそうは簡単に行かない。たとえ大学を卒業できたとしても、若者の就職率はとても低く、たとえ入社したとしても会社からは過酷な即戦力が求められる。中には、上司からあからさまなパワー・ハラスメントを受ける若者もいるだろう。
過酷さに耐えかねて、退社を余儀なくされた子は、親の願いを叶えてあげる事が出来ないと感じ、自責の念にかられる。その結果、自己防衛のために、部屋にひきこもる若者もいる。あるいは、最近では“新型うつ”になる若者もいる。
 大切なのは、過去に「私の子どもには、同じような思いはさせたくない。せめて、高校、そして大学は卒業させてやりたい。そして、生活に困らないような会社に入社して結婚して幸せになって欲しい。」と思ったことを親が自責することではない。それに気がつくことである。そうすれば、次にどうすればよいかという解決の糸口が見えてくるだろう。問題(課題)を抱えた親には、自分が世代間連鎖の中にいることに気づくこと、そして未来思考型になることを是非お薦めしたい。



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2012/06/01

サバイルバルするひきこもりたち




福岡楠の会(ひきこもりの親の会)会報6月号エッセイ
四戸 智昭

○自殺未遂で救急搬送される人たち

 福岡県内で規模が大きいK市で、昨年の秋に自殺未遂者の救急搬送事例に関するデータの収集と分析を行った。
 10月から11月の2ヶ月間に、自殺未遂によって救急車で搬送された事例は96件に及ぶ。実に、一日に約1.6人の人が、自殺もしくは自殺未遂で救急車で搬送されていることになる。
自殺未遂で救急搬送された事例を男女別でみると、男性は全体の約3割、女性が約7割である。男性の平均年齢は51歳、一方女性の平均年齢は42歳と男性より若干若い。また、約4割の人たちは、過去に何度も自殺未遂を繰り返している事例であった。
自殺原因で比較的多かったのは、家族内問題(人間関係)で全体の25%がこれに該当していた。自殺未遂の手段で最も多いのは過量服薬によるものである。全体の約7割が精神科もしくは心療内科に通院しているので、処方薬(眠剤等)を多量に服薬して救急搬送される事例が多い。残念ながら、死亡に至る事例は、男性で約13%、女性で約9%であった。



○生き延びたサバイバー

ところで、違法薬物や処方薬、アルコール、リストカット、摂食障害(過食嘔吐)、インターネット依存、TVゲーム依存、ギャンブル依存等々、数々の依存症の問題を抱えながらも、自殺という選択をせずに生き延びた人たちをサバイバーと呼ぶ。依存症は、うつや不安と密接に関連した病気で、抑うつや不安を解消する手段として、種々の依存行動が用いられる。
何かに依存しているときは、抑うつ感や不安と向き合う必要がないので、彼らは死を選択しないために、やむなく依存という手段を用いる。それでも、「最悪の自殺という選択しなかった。これまで何とか生き延びてきたという賞賛を込めて」、彼らをサバイバー(survivor)と呼ぶのである。本来は、戦地に赴いた戦闘員が生き延びて帰ってきた場合に使う言葉である。しかし、考えてみると、戦場ではなくても、子どもや若者にとっては、とかくこの世はとても生きにくい。
学校や職場でのいじめ、親からの虐待(性的虐待、心理的虐待、ネグレクト、身体的虐待)、両親の不仲、両親の精神疾患、等々、子どもにとってはまさに日々戦場という現実がある場合も多い。




○若者に多い自殺願望


この5月に内閣府が報告した「自殺対策に対する意識調査」によると、これまでに自殺をしたいと考えた事がある人は全体の23.3%に及ぶ。年代別にみると、自殺をしたいと考えている世代が一番多いのは、20歳代の28.4%、次いで40歳代の27.3%である。
性別でみると、自殺をしたいと考えているのは女性が多く27.1%、男性では19.1%であった。特に20歳代女性では自殺をしたいと考えている率が最も高く33.6%%で、前回調査(21.8%)から大幅に増えていた。なお、ストレスの原因として最も高いのは、「家庭問題」で44%に及び、次いで「勤務問題」の42.9%となっている。
ただ、これらの調査は今生きている人たちにした調査で、実際の自殺率のデータとは若干の乖離がある。毎年3万人を超える自殺者数で最も多いのは男性であり、約2万人を超える。女性は1万人を切る程度。また自殺した理由で最も多いのは「健康問題」である。しかし、先進国(経済的に豊かな国)の中では、わが国の自殺率は際立って高い。2006年の報告では世界で8番目に自殺率が高い国である。


○サバイバルするひきこもりたち


 さて、ひるがえってひきこもりや不登校の人たちを見ていると、彼らは先に述べたサバイバーだといえる。本当は、学校に行きたいが行けない。本当は、社会に出て働きたいが、家から出られない。その苦悩は想像を絶するものである。彼らの多くが抑うつ感や不安感と日々対峙している。
 その恐怖から逃れるために、昼夜逆転の生活をする。昼間起きていると、学校に行く友だちのことを思い浮かべるから辛い。また当たり前に社会人として、朝起きて就労できない状況を辛く感じる。結果的に過睡眠という依存に逃避する。
 一方、深夜になれば世の中の人たちの殆どが眠りにつく。彼らにとっては、頑張っている他者を思い浮かべる必要がなくなる自由な時間になる。それでも、じっとしているのはやはり辛いから、インターネットに興じたり、TVゲームに興じる。中には読書に興じているひきこもりもいる。
 彼らはそうやって、今日も一日生き延びるために、様々な工夫しているのである。彼らは立派なサバイバーである。安易に死を選択しない彼らの勇気を褒め称えずにはいられない。


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2012/04/20

親の子離れ、子の親離れが下手な国



福岡楠の会 4月号会報

○母を重く感じる子どもたち

 良い親とは、どんな親を指すのだろうか。実は、この「良い親」というのは、明治の近代化以降、母親の役割として国に押し付けられてきた。(この歴史については前号で述べているので今回は割愛する。)
 近年は、「良い親」にならなければならないという強迫観念を持った母親が特に多い。行動経済成長以降、母親も高学歴になり、大学卒業の学歴を持つ母は今では珍しくなくなった。中には、大学院まで修了したという母親もいる。
 そんな母の子への期待感は、想像に難くない。子どもにも最低でも大学を卒業して欲しいという無言の期待がのしかかる。さらには、大学を卒業しても終身雇用が保証される社会ではなくなったために、小さい頃から習い事に通わせるのも、「良い親」の条件とばかりに、母親たちは、英会話教室やピアノ教室、水泳教室にわが子を通わせる。
 つまり、子どもが大学を卒業して、サラリーを貰い安定した生活が送れるようになるまでが母親の「良い親」としての勤めになってしまっている。
 しかし、こういった家庭の子どもたちが、不登校になったり、摂食障害に陥ったりするのはあまり珍しくない。子どもたちは、不登校や摂食障害という症状を通じて、母の「良い親」を演じる道具になることを必死に拒んでいるのである。


○不登校、ニート、パラサイト、ひきこもりは同じ社会現象

 このような「良い親」の条件は、実は母親たちが自分たちで決めた条件ではない。今の日本社会が暗黙の内に母である女性たちに押し付けている条件である。
 日本社会が暗黙の内に、個々の母たちに押し付けているこのような子育てが達成されない限り、母親たちは育児から解放されることが許されない。しかし、ここに大きな落とし穴がある。
 不登校、ニート、パラサイトシングル、ひきこもり、これらは呼び方こそ違うが症状はどれも同じである。いずれも、母親が子どもと適切な子離れができないことによって生じる社会現象である。
 社会が子育てから母を開放しないと、この国の子育てはますますいびつになっていくだろう。ちなみに、アメリカでは18歳を過ぎると、たとえ進学先の大学が自宅から通える大学だったとしても、子どもはアパートを借りて自活を始めるという。キリスト教圏の国々では、このように、親の子離れ、子の親離れが比較的上手にできている。





 
○日本式家族の岐路
一方、儒教圏の国々では、老いた親の面倒を看るのは子の役割とされているから、この親離れもなかなか進まない。最近の報告では、ある高齢者地域の介護保険料が上がらない状況が起きているという。介護サービスを利用せずに、家族が介護をするから介護サービスに必要なお金が上昇しないという訳である。これも、親の子離れ、子の親離れがなかなか進まないわが国の実情を如実に表している現象といえる。

 
 一方で、この国は、社会保障制度を維持するために国民総背番号制の導入を進めようとしている。これまで、世帯(日本式家族)を単位としてきた社会保障制度を、個人を単位とした社会保障制度に変えようとする動きである。
 こうなってくると、婚姻によって家族の存在を国家として認める道具であった戸籍法はもはや無用の長物になる。日本式家族は、今、大きな岐路に立たされているといっていい。
 儒教式の親と子の関係を維持し続けていくのか?それとも、欧米流のキリスト教式の親と子の関係に舵をとるのか?国民一人ひとりが問われている。


○日本式子育ての終焉
 少なくとも、この国では母親に子育ての役割を担わせてきた時代は終焉を告げようとしている。イクメンという言葉は育児のおいしいとこ取りの父親を指す言葉なのであまり好きではないが、それでも、育児に母親以外の存在が登場してきたことを意味している。
 あるいは、女性たちの中には、子育ての大変さだけを押し付けられるのなら、「産まない」という選択肢を選択するという女性たちも登場してきている。50年後のわが国の人口推計が8600万人と大きく減少するというのはそういった女性たちの静かな子育てストライキの表れでもある。
 先日、ある地域の子育て支援をする自治会の会議に参加した。70代、80代の高齢者達が、地域の小中学生の荒れように閉口して、何か対策を立てようという会議だった。しかし、参加者の高齢者たちの口から最初に出る言葉は「今の親が悪い」だった。その親を育てのが自分たちであることをあたかも忘れてしまったような口ぶりだった。
 子育てはもはや日本式家族の母に押し付けるべきものではない。地域社会で行うべきものであることに早く気が付かないと、この国はいずれなくなってしまうだろう。


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2012/03/01

福岡県小竹町広報 特集「自殺予防について」


四戸智昭(インタビューによる記事)


嗜癖行動と自殺問題との関係性

嗜癖行動の一つにアルコール依存症がありますが、アルコール依存症の人がお酒をやめると自殺することがよくあります。なぜなら、彼らは、お酒をやめると、ものすごく不安になり、抑うつ感が出きますので、それを抑えるため、生き延びるためにお酒を飲んでいるからです。しかし、お酒を飲み続けても肝硬変になってしまいます。生きるために選んだ方法が着実に死に近づいているという意味で、自殺学者の中には「慢性自殺」という言葉を使う人もいます。ですから、自殺の問題と嗜癖行動学というのは、とてもつながりがあります。

嗜癖行動学の視点から考えれば、自殺をする人たちのほとんどが何らかの形でうつ病になっていると思います。中には、それに気づかない「仮面うつ病」と呼ばれる人たちもいます。仮面うつ病の特徴は、普段はにこにこ笑っていて、とてもうつ病には見えない人が、ある日突然自殺をしてしまうことです。このような特徴からも周りの人がその病気に気づくことは難しいです。そのため、社会全体で自殺予防対策が進まず、98年以降毎年3万人以上が自殺し、その数字も横ばいの状態が続いています。

最近では、仕事のストレスから不安に陥っているだけなのに、うつ病と診断される「新型うつ病」も出てきていますので、うつ病を正確に診断できるお医者さんにつながることが重要です。





周りの人間ができること

自分の周りの人がうつ病になったとき、どう接したら良い
か悩むと思います。これは、私の体験ではありませんが「ツレがうつになりまして。」という細川貂々さんの漫画は、うつ病になった夫と格闘する一場面が良く描かれていて、夫を見守る妻が「いいよ、そのままで。無理をして治そうとしなくていいよ。いつまでもうつでいたらいいじゃない。」と、プロのカウンセラーの接し方をしています。うつ病の人に頑張れというのが禁句だというのがそこなんです。

「そのままでいいよ。よかったら病院に行こう。」という雰囲気を周りが作ることが大切です。そして、家族ができることは騒ぐことです。精神保健福祉センターに電話するのも良いですし、保健所に患者会か家族会があるかどうかを聞いて、もしあるのであれば、そこに参加して患者さん同士の話や家族の体験談を聞いてみるのも良いと思います。

職場において、特に気をつけないといけないことは、上司が部下に対し、その人の許容量を超えて仕事を与えていないかということです。個々が抱える業務量を把握できるのは上司しかいませんので、どのぐらいの分量の業務を割り振っているか、また、部下が膨大な残業をしていないか、自宅に持って帰ってまで仕事をしていないかなどの状況を判断し、部下に与える業務量をコントロールしないといけません。しかし、人が足りない、人件費も少ないということでそれを見て見ぬふりをして業務を振り、残念ながら自殺が起きてしまいます。働き盛りの自殺者のほとんどは、オーバーワークをしていることが原因になっています。

「仮面うつ病」の人たちは共依存と言われていて、良い社員にならないといけないという強迫観念を持っていて、許容量を超える仕事を与えられても断れない。そして、最後は自分で命を絶つという選択肢を選んでしまいます。

自殺はある意味、生きている人に対する最大の暴力です。だから、遺族も自殺者が出るとかなり心に傷を残し、行き詰まります。もし、今から自殺しようとしている人がいるなら、「あなたは生き残っている人たちに対して、最大の暴力を振るおうとしている。」と言って止めるしかないです。自殺しようとする人たちが自分の思い込みだけで突き進んでしまわないように職場や地域で啓発活動ができているかが問題です。

職場では、社会が作った環境があるので、うつ病だと話す事に対して大きな壁があります。しかし、本人を無理にコントロールすることはできないので、あるがままを受け入れるこ
としかできないと思います。

また、日本人は「今は、できません。」と断ることが苦手だと言われていますが、それを言えるということは、自分自身を守ること、そして、最終的には組織を守ることになります。





居場所と役割

日本の統計を見れば、自殺者数の実数で多いのは70歳、80歳の高齢者です。また、高齢者の自殺数の多い都道府県は、秋田、青森、岩手の東北地方で、どんな高齢者が自殺をするのかと言えば、一人暮らしではなく、家族がいる高齢者が自殺しています。

家族がいるのに、住むこと食べることにも困らないのに、なぜ自殺をするのか。それは、自分
の居場所がないからです。自分の居場所とは何かを考えると役割があるということです。自殺をする高齢者は、家族の中での役割を取り上げられてしまっています。例えば、おばあちゃんが野良仕事をしていたら、周りからの見栄えが悪いと感じて、お嫁さんが「おばあちゃん、しなくていいから。家で休んでて。」となるわけです。それが一番良くないことです。死ぬまで人は働かないといけない。役割を与えられて、それが生きがいになるのです。だから、一人暮らしの高齢者は、自分で自分の世話をしないといけないので、生きがいがあるわけです。


昔から高齢者の自殺率は変わっていませんが、年々高齢者が増えていますので、高齢者の
自殺の実数は増えています。ここにも高齢者社会の影響が出ています。

依存症の問題から考えれば、基本的に自殺に年齢は関係ないと思います。人間は必ず何かをしていないと生きていけません。なぜかと言うと、じっとしていると自分の孤独感や寂しさと向き合わないといけなくなるからです。だから人間は仕事もするし、遊ぶし、常に何かをしているのです。そう考えると、遊びも仕事も差がないのです。大人にとっての遊びは仕事です。それをやって役割があるから自殺をしなくてもいいし、アルコールに依存しなくても良いのです。

アフリカで、今日食べられるか食べられないかといった状況に置かれた人は自殺をしません。戦時中もそうだったと思いますが、いつ爆撃を受けるか分からないときは自殺をしません。今は、インフラが整備され、平和ぼけをしているので、幸せなのが当たり前になっています。
だけど、生きるのは、人生の8割はつらいことなのです。つらくて、不安で、ストレスがたまります。でも、日本人はどこかでそれを取り違えてしまっています。





できることから始める自殺予防

心と体はつながっていることから、日ごろから日光を浴びながら軽めのウォーキングやジョギングをして、十分な睡眠時間を確保して、バランスのとれた食事を心がけるなど、心の健康を考えた食生活を送ることです。そして、健康なうちに自分の心を診てもらうかかりつけの精神科医を見つけておくことです。なぜなら、うつ病になってからだと病院に行くという行動がなかなかできないからです。でも、かかりつけ医がいれば、自分の知っている医師に会いにいくだけなので、恐怖感もなく病院に行くことができます。

地域においては、核家族化が進み、昔のように地域の人たちがコミュニケーションを図るこ
とは難しくなっていますので、動ける高齢者には「見守り隊」になってもらって、子どもたちの登下校時の見守りをするなどのボランティアに参加してもらうことが地域作りには良いと思います。そうすると、そこでコミュニケーションを図ることもでき、横のつながりが生まれます。

現代は、嗜癖する社会になってしまいました。学校では、子どもたちが本当は物静かなタイプなのに、それが原因でいじめられてしまうかもしれないから、あか抜けたキャラを演じ、本当の自分はインターネット上に書き込むのです。子どもたちの本当の居場所がコンビニの前に座っているならまだいい方で、インターネット上に移行しつつある状況です。大人は、子どもに携帯電話を持たせたり、家庭内で無線LANを設置して、どこでもインターネットができる環境を作っているのであれば、子どもたちの居場所がそこにあることを知っておかなければなりません。

また、最近は、フェイスブック上が居場所になっている大人が多く、「いいね」ボタンを繰り返
し押さないと悪いなと思ったり、ツイッターでもフォロワーをいくつ増やすかということで、結局パワーゲーム、権力闘争になっています。権力闘争に負けた人は、うつ病になって、アルコール依存症になって生き延びるかということになります。だから、パワーゲームはやめないといけない。そして、他人の成長をねたむのではなくて、自分の成長として受け入れることが喜びとして感じられる、そういう社会を作っていかないといけないと思います。