2012/02/02

子育てを放棄する女性たち


福岡楠の会2月号会報 エッセイ 四戸智昭

○子育ては誰の役割か?
 明治の近代化以降、子育ては母の役割になってしまった。江戸時代までは、地域ぐるみで子育てをしていて、「名付け親」、「乳母(めのと)」、「取り上げ親」、「拾い親」など地域で親の役割を分担していた。それが、明治時代になると、中国やロシア、米国や英国といった列強諸国に負けないための国づくりが始まる。
 男は、富国強兵のために兵隊として徴兵される。残された妻は、結果として国を強くするための子育てをする道具にさせられてしまった。この時以来、いわゆる故郷に錦を飾るような子を育てるのが母親の役割になってしまった。
 もちろん、例外はある。長崎の五島列島や、鹿児島の離島では、今でも子育てを地域ぐるみでしている。隣の家の子が、自分の家で夕食を食べているというのは、当たり前の光景で、こういった地域では今でも少子化が進んでいない。



○子育てが母親の責任にされてしまう訳

 明治の近代化以降に国策によって作られた「母親の子育て」は、現代でも連綿と生き続けている。日清、日露戦争のような大戦こそないが、男たちは会社に出て良い社員を演じる事に汲々としている。その結果、家庭では母と子の共依存関係が生成されやすくなる。
 最近は、それでも子育てに参加する男たちが登場してきたということで、「イクメン」という言葉がもてはやされている。私にしてみれば、イクメンは育児の美味しいとこ取りである。不登校やひきこもりの問題を抱えた家族では、まず夫である男たちは登場しない。明治の国策によって作られた“男は会社で”、“女は家庭で”を金科玉条(最も大切なルール)のごとく今でも守っている男たちは多い。
 歴史と社会状況がこうであるから故に、子育ては母親の責任にされてしまう。ひきこもりの子を抱えた母の多くが、「母の育て方が悪かったんだ。」と罵られる所以がここにある。


○子育てを放棄する女性たち
それでも、子育てを放棄する女性たちは確実に増加している。最近発表された人口推計がどんどん低くなっているのもその現れであろう。子育ての重労働と責任だけを負わされるのは御免だと、わが国の多くの女性たちは判断したのだ。
一方、ひきこもりの子を抱えた母たちはどうだろうか?相変わらず子育てを放棄する様子はない。それどころか、明治の近代化の中で作られた国策に従って一所懸命に「賢母」をしようと頑張る。
母が子育てに専念しているうちは、子どもは子どもでいるしかない。しかし、冷静になって考えてみて欲しい。30代を過ぎた息子や娘をいわゆる「子ども」と呼ぶだろうか。彼らは立派な成人である。自由意志に基づいて、生きていく権利と義務を持っている人たちである。
 もう一度、我が子を「子」ではなく、ひとりの「人」としてよく見て欲しい。もし、母であるあなたが、一生懸命子育てをするから、その「人」が「子」になってしまっているのなら、あなたが変わらなければならない。
 場合によっては、今度はあなたが子育てを放棄する番かも知れない。もし、それができないというのなら、あなたは「子育てをする母の役割」を失うのを恐れている証拠とも言える。

●四戸智昭嗜癖行動学研究室@21世紀家族研究所

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