2012/10/31

「ひきこもり」というラベルで見えなくなったもの



 福岡楠の会11月号会報エッセイ
福岡県立大学 四戸智昭

○ラベル(名称)が市民権を得るとき

 社会がそれまで気づいていなかったり、ネグレクト(無視)していた問題にラベル(名称)が付けられると、市民はそれを意識し、そのラベルは独りで歩き始めることになる。
 例えば、「虐待」というラベルは2000年の虐待防止法施行を境にして、我が国で使われるようになったラベル(言葉)である。それ以前は、新聞では「折檻死」という言葉が使われていて、“躾が行き過ぎた死”程度の扱いであった。虐待と折檻では、全く意味合いが違う。虐待という言葉が登場し“自分で声を上げることができない弱者である子を社会で守る”というムーブメントに発展することになる。
事実、虐待防止法施行以降、虐待の通報件数は急増している。つまり、虐待は良くないことであり、一市民として通報したり、子育て不安からつい虐待してしまう母たちからの通報が増えたのだ。その意味するところは「虐待」という言葉が市民権を得たということである。(ちなみに、防止法施行の時の通報件数は1万7千件、最新の報告では虐待報告件数が年間55千件を超えている。)



 


○「ひきこもり」ラベルの功罪

しかし、ラベル(名称)が付けられることが良いことばかりをもたらすとは限らない。「ひきこもり」というラベルは、今や、権力を持つ国家が、働かない若者が増えることで税収減を恐れて付けたラベルになりつつある。
あるいは、「ひきこもり」の子に困り果てた親たちに、支援サービスを提供しますよと持ちかけて、親たちから金を搾り取るための産業にも利用されている。
 つまり、誰が何のために「ひきこもり」というラベルを必要としているかを注意深く見守っていないと、ひきこもりを抱えた家族は、既述のような国家権力や経済産業界、あるいは医療業界の餌食となってしまう恐れがあるのだ。
 もちろん、90年代前半までは「ひきこもり」は社会からネグレクトされていた。その後この「ひきこもり」と言うラベルが登場したことで、良識ある支援者や草の根活動が各地で登場したことも事実である。



○「ひきこもり」の新しい名称

 「ひきこもり」について言えば、私が提案する新しい名称は、「生き延びるために、自室や家に“ひきこもる”という行為を必要とし、それを選択した人達」である。とても、長すぎて名称とは呼べるものではないが。
この文脈は、前エッセイでも述べているが、「ひきこもりの人」は好きでひきこもっているのではない。ただ、怖くて他人に会えない。家から出られないのである。彼らから“ひきこもる”という行為を奪えば、次に彼らが取る手段は自殺しかない。
 だから、ひきこもりの彼らたちは、今日も生き延びるためにひきこもっているのである。そこで、私は長たらしくはあるが、彼らを「生き延びるために、自室や家に“ひきこもる”という行為を必要とし、それを選択した人達」と呼びたい。



○「ひきこもり」というラベルで見えなくなったもの
 「ひきこもり」というラベルが登場したことで、見えなくなった問題があることもここで触れておきたい。
 それは、「ひきこもり」という言葉が市民権を得て、一人歩きしたことで、行政や支援者もその現象ばかりに囚われているということである。“ひきこもりの社会復帰のための支援”というスローガンが掲げられてしまうと、ひきこもり現象のみを解消すれば良いという事になってしまいかねない。
 しかし、ひきこもりの子を抱えた家族の生活内部は複雑である。例えば、ひきこもりの子たちは、昼夜逆転の生活をしている人が多い。これは当たり前で、日中に起きていれば、自室で考えたくなくても、社会が動いていて、同世代の人達は働いているという考えに取り憑かれてしまう。結果、昼に過睡眠というプロセスアディクション(依存)を選択することで、自己を守ることが出来る。
 一方、夜は、社会が寝ている時間で、働いている他者を意識しなくて済む時間である。彼らの多くは、そこで安心してインターネットやテレビゲームにアディクション(依存)する。つまり、彼らは生き延びる必要があって、昼の過睡眠アディクション、夜のインターネットアディクションを必要としているのである。「ひきこもり」というラベルによって見えなくなった問題はこのアディクション問題である。
ちなみに、ひきこもり当事者の各種アディクションを長引かせているのは、家族内の共依存(人間関係アディクション)である。家族内の人間関係アディクションから修復することが、ひきこもりの子たちを救う手だてになる。そのためには、家族会に家族が登場することである。



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2012/10/29

平成24年度 長崎県県央保健所 不登校・ひきこもり講演会

 ひきこもりで悩んでおられるご家族やひきこもりの問題に関心がある方を対象に、「不登校・ひきこもり講演会」を開催します。また、ひきこもり家族の集いと当事者の集いの活動紹介も行います。お気軽にご参加ください。


12/18(火)13:00~16:15(受付12:30~)
会 場:ながさき看護センター(諫早市永昌町23-6)


「不登校・ひきこもりとその家族~課題解決のために家族に知って欲しいこと、学校に支援してほしいこと~」

講師:福岡県立大学大学院 准教授 四戸智昭

 私の専門の嗜癖(しへき)行動学という学問(アディクション:アルコール依存、ショッピング依存、ネット依存などの各種の依存症を対象とするもの)の視点から、不登校やひきこもりの当事者をみていくと、不登校やひきこもりは単なる怠けではなく、彼らにとって生き延びていくために必要な行動と言えます。この課題の解決には、当事者へのアプローチだけでなく、当事者家族に知って欲しい重要なことがあります。また同じく、この課題の解決には当事者家族を支える人達の理解と適切な支援が重要です。
 当日は、不登校・ひきこもりという課題についてアディクションアプローチという方法で一緒に考えてみたいと思っています。






2012/10/06

セルフ・ヘルプフォーラム2012 in 北九州で講演をします


PDFファイル版は、こちらから表示できます

○ 特別講演
「私たちは今日も生き延びるためにアディクションしていますー必要があっての依存症とアディクション概念―」

(講師)                    
 福岡県立大学大学院准教授
  四戸(しのへ) 智昭
人は、必要があって何かに依存(嗜癖(しへき);アディクション何にも嗜癖をしないで生活を営む人は全くいません。誰もが、何かに嗜癖しながら今日も生き延びているのです。
嗜癖行動(薬物依存やアルコール依存、摂食障害、ネット依存など)をとる人たちは、特別な人たちではなく、その必要があって嗜癖行動を行っています。彼(彼女)たちが、今日も活き活きと生活していくためには、周囲の人たちの理解が何よりも重要です。医療だけでなく、福祉や地域活動など、様々な分野の取り組みが彼(彼女)たちを救う手立てになります。そして、それは、結局、私たちの生き方を支えることにもなります。この現代的な課題を一緒に考えてみませんか。




2012/10/01

あなたは放浪をしますか、それとも旅を選びますか

 福岡楠の会10月号エッセイ
福岡県立大学大学院 四戸智昭

◯放浪と旅の違い

 映画の宣伝ではないが、6年ぶりに銀幕のスターとして再登場した高倉健主演映画「あなたへ」では、主人公の倉島英二に扮する元刑務官の高倉健が、妻の遺骨を抱えて、妻の故郷を目指し旅にでることから物語が始まる。「妻にとって、自分は何だったのか?」「妻の故郷の海を見てみたい」というのが、彼の目的だった。
 旅の途中、自称国語教員を名乗るビートたけしに、「放浪と旅の違いが何だかわかりますか?」と質問を投げかけられるシーンがある。主人公は、その答えに即答することが出来ずに、この自称国語教員に諭される。「放浪と旅の違いは、帰るところがあるかないかです。」
 人生もよく旅に例えられる。水戸黄門の歌ではないが、人生楽もあれば苦もある。谷があれば、山もある。しかし、目的地さえ自覚していれば、放浪することはない。加えて、人生には、様々な選択肢を選ばねばならない機会に遭遇する。それでも、目的さえ自覚していれば、とんでもない選択肢をチョイスすることはないだろう。
 例えるなら、それはちょうど、東京から福岡の旅に似ている。福岡の方角さえ間違えていなければ、飛行機を利用しようが、新幹線を利用しようが、船を利用しようが、福岡にたどり着く事ができる。目的地(帰るところ)さえ自覚していれば、この映画流に言えばそれは人生の旅ということができるだろう。



◯家族会は放浪しやすい

 話は変わるが、全国、否、全世界には、数多くの自助グループが存在する。同じ悩みや苦しみを抱えた人たちが自分たちの苦しみを共有し、課題を解決しようとするのがこの自助グループである。自助グループの歴史は、A.A.(アルコーリクス・アノニマス:お酒を止めるための自助グループ)に端を発する。20世紀に入って間もない頃、A.A.は米国で設立され、このスタイルは自助グループとして、全世界に野火のように広がった。
 例えば、N.A.(ナルコティクス・アノニマス)は、アルコールではなく、覚せい剤や大麻などの薬物依存に陥った人たちのための自助グループである。また、A.A.にもN.A.にも、依存症の当事者だけでなく、その家族や友人のための会がある。前者は、アラノン(AL-ANON)と呼ばれるし、後者はナラノン(NAR-ANON)と呼ばれる。いずれのグループも、アルコールや薬物依存に陥った当事者をその家族や友人が理解し、支えようとする共同体である。
 ただ、残念なことに、わが国の事情に限って言えば、こういった家族会は、旅ではなく放浪しやすい。つまり、当事者を抱えた家族たちに、目的意識が薄い事が多い。一方、当事者たちの目的はハッキリしている。「飲まないで生きていくために、ミーティングに参加する。」「薬を使わないで生きていくために、ミーティングに参加する。」というのが至上命題であり、彼らの旅の目的である。




◯あなたは放浪をしますか、それとも旅を選びますか

 ひるがえって、ひきこもりの子を抱えた親たちは、放浪をしているのだろうか?それとも旅をしているのだろうか?
あなたがひきこもりの親の会に参加する最大の目標は何だろうか?漫然と会に参加していれば、それは良し悪しは別にして放浪と言うことになるだろう。つまり、行き着く先は何処かわからない。
一方、「ひきこもっている我が子が自立した生活を送ること」「私たち家族が抱えている問題を夫と共有すること」という目的地(帰るところ)を意識して親の会に参加すれば、それは放浪ではなく旅になる。
目標がハッキリしたら、次は現状把握である。客観的に自分と自分の家族の問題を把握する。これは独りでは、まずできない。なぜなら、人は否認したり、合理的(自分の都合の良いように)に現状把握をすることがほとんどだからだ。だから、同じような悩みを持った人たちのミーティングに参加して、客観的に自己の現状把握をする。
現状把握ができたのなら、次は目標達成のための戦略を立てることになる。これは、客観的な現状把握さえできれば、意外と簡単である。
楠の会の家族ミーティングは、そのための会である。ただし、参加したとしてもそれが、放浪なのか旅なのかは、あなた自身にかかっている。



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