”昼夜逆転の原因は・・・”
四戸 智昭
家族百景Ⅱ「不登校・ひきこもり考―親子の視点から」
西日本新聞朝刊 2013年8月20日 掲載
男子生徒は、2年生になって間もないころから学校に行けなくなった。
中学に入学した当時は、勉強はもちろん、大好きなサッカー部の練習にも一生懸命取り組んでいた。その姿を、両親や担任の先生もほめた。
男子生徒は「もっと頑張ろう」と思っていたが、2年生になったある朝、どうしても布団から起き上がることができなくなった。「もっと頑張ろうと思っても、それ以上に頑張ることができない自分」がいた。
その日を境に、登校時間になると、動悸がして、不安に襲われた。母親は、病気でもないのに学校に行こうとしない息子の様子を1週間ほど見守ったが、変化は見られず、仕事を休んで車に乗せ、学校の校門まで連れて行った。
しかし、彼の動悸はますます激しくなる。車から降りることもできず、後部座席のシートベルトにしがみついて震えていた。
以来、朝と日中は起きていられないので、布団にくるまって眠る。夕方になって布団から抜けだすころ、朝に感じる不安は薄らぐが、深夜になっても眠れない。こうして昼夜逆転の生活が1年以上続いた。
担任の先生は、登校への第一歩として「まずは昼夜逆転の生活を改めよう」と、何度も家庭訪問して両親に促した。
しかし、昼夜逆転の生活は、彼にとって自分の心を守るために必要な唯一の手段なのだ。昼間起きていると、嫌でも学校生活を普通に送っている同級生たちをどうしても思い出してしまうからだ。深夜になれば、世の中が眠りについているので、同級生を思い浮かべる必要もない。
その唯一の救いを奪ってしまっては、彼らの殻はますます固くなってしまう。その根っこにある原因に目を向けるべきだ。
彼の家族の場合、「何事においても頑張る」が家族ルールになってしまっていた。彼だけでなく、父も母も頑張ることが美しいと思い込んでいた。その暗黙のルールを守れない息苦しさから逃れるため、彼は不登校と昼夜逆転という環境適応の方法を選択していた。
「頑張らなくていい時がある」。その何気ない言葉が、彼と家族を支援するために何よりも必要なメッセージだった。