2013/09/25

西日本新聞「不登校・ひきこもり考」連載エッセイ2

昼夜逆転の原因は・・・

四戸 智昭

家族百景Ⅱ「不登校・ひきこもり考―親子の視点から」
西日本新聞朝刊 2013年8月20日 掲載


 男子生徒は、2年生になって間もないころから学校に行けなくなった。
中学に入学した当時は、勉強はもちろん、大好きなサッカー部の練習にも一生懸命取り組んでいた。その姿を、両親や担任の先生もほめた。
 
 男子生徒は「もっと頑張ろう」と思っていたが、2年生になったある朝、どうしても布団から起き上がることができなくなった。「もっと頑張ろうと思っても、それ以上に頑張ることができない自分」がいた。
 
 その日を境に、登校時間になると、動悸がして、不安に襲われた。母親は、病気でもないのに学校に行こうとしない息子の様子を1週間ほど見守ったが、変化は見られず、仕事を休んで車に乗せ、学校の校門まで連れて行った。
 しかし、彼の動悸はますます激しくなる。車から降りることもできず、後部座席のシートベルトにしがみついて震えていた。

 以来、朝と日中は起きていられないので、布団にくるまって眠る。夕方になって布団から抜けだすころ、朝に感じる不安は薄らぐが、深夜になっても眠れない。こうして昼夜逆転の生活が1年以上続いた。
 担任の先生は、登校への第一歩として「まずは昼夜逆転の生活を改めよう」と、何度も家庭訪問して両親に促した。

 しかし、昼夜逆転の生活は、彼にとって自分の心を守るために必要な唯一の手段なのだ。昼間起きていると、嫌でも学校生活を普通に送っている同級生たちをどうしても思い出してしまうからだ。深夜になれば、世の中が眠りについているので、同級生を思い浮かべる必要もない。
 その唯一の救いを奪ってしまっては、彼らの殻はますます固くなってしまう。その根っこにある原因に目を向けるべきだ。

 彼の家族の場合、「何事においても頑張る」が家族ルールになってしまっていた。彼だけでなく、父も母も頑張ることが美しいと思い込んでいた。その暗黙のルールを守れない息苦しさから逃れるため、彼は不登校と昼夜逆転という環境適応の方法を選択していた。
 
 「頑張らなくていい時がある」。その何気ない言葉が、彼と家族を支援するために何よりも必要なメッセージだった。


2013/09/18

西日本新聞「不登校・ひきこもり考」連載エッセイ1

”「共依存」を抜け出す”

四戸 智昭

家族百景Ⅱ「不登校・ひきこもり考―親子の視点から」
西日本新聞朝刊 2013年8月13日 掲載


「子どもにどう接したら良いのか分からない」。不登校やひきこもりの子を抱える親たちからよく、そんな相談を受ける。
 書店に多くの専門書や関連本が並ぶ。私が出会う親たちもそんな本を買い求め、自分なりに問題解決の糸口を探る。本を読むにつれ、知識だけは増えていくが、目の前にいるわが子にどう接すれば良いのか、答えが見つからない。
 
 ある母は、不登校の娘を引きずって学校に連れて行った。しかし、どうしても校門をくぐれない。その後、娘からの暴力と暴言がエスカレート。母は娘の変わりように驚くばかりだ。
 ある母は、20代のひきこもりの息子に「そろそろ就職活動をしたら」と言葉をかけた。すると、食卓を一緒に囲んでいた息子が、自室にこもり、家族の前に姿を現さなくなった。
 
 親たちは最初、何とか「自分の力」で状況を打開しようとするが、うまくいかない。それどころか、親たちは「また子どもが暴力を振るうのではないか」「また子どもが自室にこもってしまうのではないか」という恐怖におびえる。
 
 その結果、親たちは不登校やひきこもりになった子どもたちに対し、腫れ物に触るかのような態度をとることになってしまう。
 こうした状況を、親子の「共依存」と呼ぶ。
 親は、子どもの不登校という問題を解決したいために、子どもの手を引いて登校させようとコントロール(支配)する。一見すると、母が子を支配しているように見えるが、実はそれだけではない。今度は子どもが、母の指導を排除しようと、暴力や暴言を使って母を支配しようとする。
 
 共依存とは、コインの裏表のような関係で、当事者の親子は互いが支配し合う関係に陥ってしまっていることに気づかない。不登校やひきこもりの問題を解決するには、親子がこうした共依存状態から抜け出す必要がある。そのために、親子の関係をどう結び直してゆけば良いのだろうか、周囲の支援は…。そんな視点を軸に、これからつづってゆきたい。

 不登校やひきこもりの研究、相談対応にあたる福岡県立大学准教授の四戸智昭さんが、自らの経験をひもときながら、解決への糸口や道筋を考える。イラストは、福岡市在住の画家、谷新さんが担当します。