2015/03/01

子どもに話しかけるということ

2015年3月号エッセイ
福岡県立大学 四戸智昭

○嫌がらせ弁当
    最近、巷では「嫌がらせ弁当」という言葉がネットやマスコミを賑わせている。八丈島に住むあるシングルマザーが、高校生になって反抗期を迎えた娘に3年間続けてキャラクター弁当を持たせ続けた。
  弁当には「全てが思い通りになると思うな」「無駄なことでも一生懸命やれ」といったようなメッセージが表現されていたのだという。
 この弁当は、持たされる娘にとっては、食べるときに周囲の友人を始終気にしなければならない。故に、娘にとっての嫌がらせ弁当と呼ばれる。

 この母がこのような弁当を作り始めたきっかけは、娘が母を無視してカチンときたからだという。一生懸命に娘のために食事を作っても、母の「ご飯おいしかった?」という問いかけに娘は無反応。あるいは、たまの休日に娘を誘ってショッピングに出かけようとしても、娘はスマートフォンばかり相手にして、母の誘いを無視する。そうして、怒りを覚えた母は「嫌がらせ弁当」を作るようになった。
 多くの親は、子どものこのような反応が続けば、悲しみに似た怒りを感じないようにするために、「子どもは思春期」と自分を納得させて、子どもに話しかけることを止めてしまうことだろう。
 
 しかし、この女性は違った。弁当という手段を通して、娘に怨念にも似たメッセージを送り続けた。娘もそんな弁当なら“持っていかない”という手段もあったかもしれないが、母に対して無反応のまま3年間学校に持参したのだという。




○全ての行為がコミュニケーション
 親たちの多くが、子どもとのコミュニケーションに悩むことがある。特定の年齢に達した子どもたちが、親を無視することで、コミュニケーションの断絶を愁(うれ)う親は多い。子どもが親を無視すればするほど、“本当なら、もっと子どもと話がしたい”“子どもの笑顔が見たい”というのは親心というものだろう。そうして、多くの親たちが「子どもとのコミュニケーションがない」と嘆く。
 
 しかし、このように、子どもが親を無視するような状況は、本当に“コミュニケーションがない”という状況と言えるだろうか。ここに、多くの親たちが陥る思考の罠があるように思う。つまり、多くの人たちがコミュニケーションを言葉による意思疎通だけだと思いがちだ。
 
 言葉のコミュニケーションというのは、家族のコミュニケーションのごくごく一部に過ぎない。“親が作った夕食を食べない”“親を無視する”という行為も子どもにとっては、親に対する立派なコミュニケーション手段なのだ。



○形を変えたコミュニケーション
 
時として、子どもは“親を無視する”という行為を通じて、何かを伝えようとしている。そう考えると、ひとつ屋根の下で暮らす子どもの行為は全て、何かのメッセージと考えることができるだろう。
 しかし、多くの親は子どもから気持ちのよい反応が得られないと、最初は怒りこそ感じるが、時間がたつと自分がさらに傷つくのを恐れて、徐々に自分の心を守るためのコミュニケーションに移行していく。つまり、“子どもにあまり話しかけない”というコミュニケーション手段をとることになる。
 
 家族のコミュニケーションというのは、習慣化された日常の行為だ。“子どもにあまり話しかけない”という行為が徐々に増えていけば、それが当たり前の生活になってしまう。そうして3年もたてば、いつの間にか「子どもとは、ほとんど話をしません。」というのが当たり前になってしまっている自分がいることに気がつくだろう。

 冒頭に紹介したシングルマザーは、子どもとのコミュニケーションの方法を変えたと考える事ができる。つまり、娘が中学生になるまで続いた母と子の習慣化されたコミュニケーションパターンを、娘が高校生になり反抗期を迎えたことで、両者がこのパターンを変えたと捉える事ができる。
 
 何も、皆さんもこの女性を真似して弁当を作りましょうという気は毛頭ない。ただ、親と子どもとの間の中で繰り広げられるコミュニケーションは、いつまでも同じパターンでは残念ながら続かないということだ。「話しかけても返事がない」と嘆いて諦めきれないのであれば、こちらからの話しかけのパターンを変えてみるといい。たとえば、我が子が幼かったときの写真を、そっと棚の上に飾るのも私から子どもへの大切なコミュニケーション手段(話しかけるという行為)なのだ。



●福岡県立大学 四戸智昭嗜癖行動学研究室@21世紀家族研究所WEBサイト
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