2020/07/08

ひきこもりサバイバー10 -体力と対人能力の回復が意味すること-

 福岡県立大学で教員をしている四戸智昭です。
 ひきこもりからのサバイバー(生還者)の声に学ぶことが大切だと思い、元ひきこもりのこだまこうじさんにエッセイを書いてもらいました。今回はひきこもりは、なぜ体力がないのか、対人能力が低いのかについて書いてもらいました。

◆◆◆

ひきこもりの支援にあたる人たちは、
「ひきこもり生活で衰えた体力と対人能力の回復」
 のために様々なことを考え、実行に移しています。

 たとえば、ひきこもりの人をあるスペースに迎え入れ、軽作業をさせるようなことです。
 これは社会人の人たちからすれば、ひきこもりの支援としては理屈にかなったやり方でしょう。
 しかし、元ひきこもりの私の視点と体験から感じるのは、むしろ恐怖です。

 ひきこもりの人に「体力がなく、対人能力も低下している」のには理由があります。
 そうしなければ部屋にひきこもって生活することができないのです。
 社会に下手に適応して「自殺する」よりも「社会からひきこもって生き延びる」ためには、ひきこもりの人が社会人と同等の体力、対人能力を持っていることは致命傷になりかねません。

 「親を殺さず、親に殺されず、自殺を回避する」生活を完遂するためには、
 家の中の自分の部屋、最大でも家の敷地内での行動ができて、しかも親との決定的な対決ができないように、色々な面で自己抑制をする必要があります。

 ひきこもりの人は、ひきこもり生活に必要ない過剰な社会人的体力や対人能力を捨てる作業をしています。
 結果としてひきこもりの人は社会人の人からしたら「さぼっている」「怠けている」と思われるレベルまで自己の能力を削ります。

 社会人の支援者がひきこもり当事者を訪ねて「やせ細っている」とびっくりするような場面でも、ひきこもりの人にしてみれば
 「体力があったら親と殺し合いになる」
 という感覚がひきこもりの人たちの中に少なからずあるのです。

 コロナ騒動で国全体が自粛しているという状況下では、数々の家から出られない社会人の家庭内暴力事件が報道されました。
 国が認めたひきこもり(巣ごもり)生活でもそのストレスに耐えられない人がいます。

 社会から否定的な視線を向けられる中、家にひきこもっている人たちが受けるストレスはその比ではありません。
 そんなストレスを受けて安定したひきこもりを続けるなど不可能です。
 不可能だからこそ、ひきこもりの人たちは自らの基礎体力や対人能力を削って何とかやっています。家族に手を上げようとしてもできないように努力しています。

 ひきこもりの人が体力をつけ、対人能力を回復させることは喜ばしいことです。
 ただそこに、社会人として生きてきた人には想像もできない苦しさがあることを忘れないでほしいと思います。

 体力や対人能力が付くということは、苦しさをぶつける拳を高く挙げることができるようになることであり、嘆きの声を大きくすることができるようになることでもある。ことを忘れずにいて欲しいと思います。






こだまこうじ (元ひきこもり。1976年福岡県飯塚市生まれ、同市在住。)




<プロフィール>
 中学時代いじめ被害、高校で不登校に。その後、最初のひきこもり時代を経験。このとき、「キツイから精神科に連れて行って」と親に泣いて希望するも、完全に無視される。周囲から就労を強要され、専門学校へ入学。その後、就労するも就職先の社員寮で動かなくなっているところを発見され、会社は9か月でクビ。4年間の本格的なひきこもり時代に突入。
 その後、保健所の支援でひきこもりから脱出。2009年、保健師にとってまれにみる成功例として福岡県嘉穂・鞍手保健環境事務所の「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーに就任。自立できるほどの収入はないが、ひきこもり当事者家族の話を聴いて支援をすることになる。
 しかし、2020年に国や県がひきこもり当事者への就労支援を加速させることになり、「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーとしてのお役御免となる。
 「死んで地獄に行ったら、鬼に責め苦を喰らい、極楽に行っても悟った超阿弥陀如来に解脱するまで修行させられる」ことを恐れて、今日も何とか生き延びている。