◆◆◆
親が倒れる。地震や台風などの自然災害が起きる。あるいはコロナの影響で生活困窮したことで、
「いままで部屋にひきこもっていた子どもが外に出るようになった。すごい変化だ!」
といった記事やニュースを目にします。
元ひきこもりのアドバイザーとして、ひきこもりの人を抱える家族の話を聞いてきた身としては、逆にこのようなニュースに危機感を覚えてしまいます。
それは、「外に出て何かをすることと、給料をもらうことは違うということ。さらに、給料をもらうことと、定職について自立することは、また別次元の話だから」です。
それでも「今までよりずっといいじゃないか」という方もいると思いますが、果たして本当にそうでしょうか?
それは、本当に「外に出てくれてよかった」と何か行動を起こしたひきこもりの人を、ありのまま認めているでしょうか?
残念ながら、元ひきこもりの私としてはそこに、
「外に出たのだから、今度は当然、定職について自立する。」という未来ありき姿の押し付けがあるように感じられてなりません。
親が病気で倒れた時に救急車を呼ぶことは、外に出て働くこととは全く違う次元の話です。
また、少しでも家計の助けにとアルバイトを始めることはある意味、それ自体が緊急措置で、緊急措置が終われば一生アルバイトに留まることはないでしょう。
緊急措置が終われば、アルバイトを辞めるというのはごくごく自然な流れです。
どうして、多くの人たちがその先に就職・自立という「当たり前」を置いているのかが、私たちひきこもりにとっては全く理解できません。
ひきこもりの人が、親のピンチや日常生活が不便になったことで、
「ひきこもり生活をやめた」という単純化された論調は、ひきこもりの人に対する基本的な理解不足だと感じられます。
私が相談会に参加させてもらっていたとき、30歳以上のひきこもりの息子さんを持つ親御さんの中には、持病で病院に通っている方がいました。
そのご家族が住んでいるのは田舎なので、病院への通院は車が主となります。では誰が車を出しているかと言うと、ひきこもりの息子さんでした。
あるいは、相談会のある場所までどうやって来たのかと尋ねると、夫は仕事があるので、ひきこもりの息子さんに送ってきてもらっているという方もたくさんいました。
このことは、相談会が始まった当初で、今から20年近く前の話になりますが、当時でも本当に部屋から一歩も出ずに何もしていないひきこもりの人、と言うのは実はいませんでした。
親や社会がひきこもりと呼ぶその本質には、
「仕事をして給料をもらっていない」という状態を指しているように思えます。
元ひきこもりで、ひきこもり当時は最も怠惰な部類に入る私は、さらに洗濯も掃除も手伝わないダメ人間でした。そういう人も少なくないでしょう。
しかし、家のことを何もしないひきこもりの人と言うのは、簡単にまとめれば「若い」のです。
彼彼女が若い、つまりは
「親が健康でまだまだ現役であり、当面の生活は安定している」ということです。
だから、何かあったときに、ひきこもりの人が動くのは自然なことで、事がおさまったら動かなくなるのも自然なことです。
元ひきこもりの私としては、ひきこもりの人が外に出るようになったら本当にそれだけで認めてあげる。あるいは、アルバイトばっかりして定職につかなくても、それだけで頑張っていると認めてあげられる。
ひきこもり問題がどうこうというのを度外視して、それぞれの生きき方を個性、あるいは多様性として、そのまま認めてもらえればとてもありがたいのにと思っています。
「いままで部屋にひきこもっていた子どもが外に出るようになった。すごい変化だ!」
といった記事やニュースを目にします。
元ひきこもりのアドバイザーとして、ひきこもりの人を抱える家族の話を聞いてきた身としては、逆にこのようなニュースに危機感を覚えてしまいます。
それは、「外に出て何かをすることと、給料をもらうことは違うということ。さらに、給料をもらうことと、定職について自立することは、また別次元の話だから」です。
それでも「今までよりずっといいじゃないか」という方もいると思いますが、果たして本当にそうでしょうか?
それは、本当に「外に出てくれてよかった」と何か行動を起こしたひきこもりの人を、ありのまま認めているでしょうか?
残念ながら、元ひきこもりの私としてはそこに、
「外に出たのだから、今度は当然、定職について自立する。」という未来ありき姿の押し付けがあるように感じられてなりません。
親が病気で倒れた時に救急車を呼ぶことは、外に出て働くこととは全く違う次元の話です。
また、少しでも家計の助けにとアルバイトを始めることはある意味、それ自体が緊急措置で、緊急措置が終われば一生アルバイトに留まることはないでしょう。
緊急措置が終われば、アルバイトを辞めるというのはごくごく自然な流れです。
どうして、多くの人たちがその先に就職・自立という「当たり前」を置いているのかが、私たちひきこもりにとっては全く理解できません。
ひきこもりの人が、親のピンチや日常生活が不便になったことで、
「ひきこもり生活をやめた」という単純化された論調は、ひきこもりの人に対する基本的な理解不足だと感じられます。
私が相談会に参加させてもらっていたとき、30歳以上のひきこもりの息子さんを持つ親御さんの中には、持病で病院に通っている方がいました。
そのご家族が住んでいるのは田舎なので、病院への通院は車が主となります。では誰が車を出しているかと言うと、ひきこもりの息子さんでした。
あるいは、相談会のある場所までどうやって来たのかと尋ねると、夫は仕事があるので、ひきこもりの息子さんに送ってきてもらっているという方もたくさんいました。
このことは、相談会が始まった当初で、今から20年近く前の話になりますが、当時でも本当に部屋から一歩も出ずに何もしていないひきこもりの人、と言うのは実はいませんでした。
親や社会がひきこもりと呼ぶその本質には、
「仕事をして給料をもらっていない」という状態を指しているように思えます。
元ひきこもりで、ひきこもり当時は最も怠惰な部類に入る私は、さらに洗濯も掃除も手伝わないダメ人間でした。そういう人も少なくないでしょう。
しかし、家のことを何もしないひきこもりの人と言うのは、簡単にまとめれば「若い」のです。
彼彼女が若い、つまりは
「親が健康でまだまだ現役であり、当面の生活は安定している」ということです。
だから、何かあったときに、ひきこもりの人が動くのは自然なことで、事がおさまったら動かなくなるのも自然なことです。
元ひきこもりの私としては、ひきこもりの人が外に出るようになったら本当にそれだけで認めてあげる。あるいは、アルバイトばっかりして定職につかなくても、それだけで頑張っていると認めてあげられる。
ひきこもり問題がどうこうというのを度外視して、それぞれの生きき方を個性、あるいは多様性として、そのまま認めてもらえればとてもありがたいのにと思っています。
こだまこうじ (元ひきこもり。1976年福岡県飯塚市生まれ、同市在住。)
<プロフィール> 中学時代いじめ被害、高校で不登校に。その後、最初のひきこもり時代を経験。このとき、「キツイから精神科に連れて行って」と親に泣いて希望するも、完全に無視される。周囲から就労を強要され、専門学校へ入学。その後、就労するも就職先の社員寮で動かなくなっているところを発見され、会社は9か月でクビ。4年間の本格的なひきこもり時代に突入。
その後、保健所の支援でひきこもりから脱出。2009年、保健師にとってまれにみる成功例として福岡県嘉穂・鞍手保健環境事務所の「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーに就任。自立できるほどの収入はないが、ひきこもり当事者家族の話を聴いて支援をすることになる。
しかし、2020年に国や県がひきこもり当事者への就労支援を加速させることになり、「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーとしてのお役御免となる。
「死んで地獄に行ったら、鬼に責め苦を喰らい、極楽に行っても悟った超阿弥陀如来に解脱するまで修行させられる」ことを恐れて、今日も何とか生き延びている。
|