2021/05/12

—ひきこもりサバイバー24 -わたしにとっての“うつ”-

 福岡県立大学で嗜癖行動学を研究している四戸智昭です。

ひきこもりからのサバイバー(生還者)の声に学ぶことが大切だと思い、元ひきこもりのこだまこうじさんにエッセイを書いてもらいました。随時掲載の予定です。
今回は、『私にとっての”うつ(鬱)”』というお話。

◆◆◆

福岡の楠の会での質疑応答のときに
「私はうつですが、こだまさんはうつを治したいと思ったことはないんですか?」
と質問を受けました。

私は、「一度、うつを治そうとと焦って一週間分の薬を全部飲んだらわけが分からなくなって、気づいたら警察署にいたのでそれから焦らないようにと気を付けるようになって、今は一生付き合っていくつもりです」
と答えました。

そして、楠の会での一コマから一か月以上過ぎた今、なぜうつと一生付き合って行くと答えたのかがわかりました。

理由は「うつが私を助けてくれる」からでした。

ひきこもりの人は過度の頑張り屋です。

私はそれほどではないと思っているのですが体が弱いこともあって、体調をよく崩します。

体調を崩すのですが仕事に行きます。

普通なら頑張りすぎて、ぶっ倒れるのですが私の場合はそのぎりぎりのところで「うつ状態」が発動します。

「就労不能のうつ状態」です。

おかげで「精神力」だけでがんばって疲れ果てた「体」を置き去りにしないで休むことができて、今も仕事を続けられています。

もし「うつ」がいなければ限界突破して仕事をやめていたことでしょう。
もう二度と働かないと思っていたかもしれません。

「うつ」が発動するととてつもなくつらいので仕事のことなどどうでもよくなります。

生きるか死ぬかというところを彷徨っているので、仕事をしていないことに対する罪悪感やプレッシャーを考える余裕がなくなります。

そうやって二か月も過ごしていると体が回復して、仕事に復帰するかどうかを考えられるようになります。

最初は、家の中では「またひきこもりになる」という恐怖に彩られていましたが、
一度復帰できると二回目は「ちゃんと休んで復帰」という希望が混ざってきます。

そういう経験の繰り返しが「うつと一生付き合っていく」という言葉になったのだと思います。



こだまこうじ (元ひきこもり。1976年福岡県飯塚市生まれ、同市在住。)


<プロフィール>
 中学時代いじめ被害、高校で不登校に。その後、最初のひきこもり時代を経験。このとき、「キツイから精神科に連れて行って」と親に泣いて希望するも、完全に無視される。周囲から就労を強要され、専門学校へ入学。その後、就労するも就職先の社員寮で動かなくなっているところを発見され、会社は9か月でクビ。4年間の本格的なひきこもり時代に突入。
 その後、保健所の支援でひきこもりから脱出。2009年、保健師にとってまれにみる成功例として福岡県嘉穂・鞍手保健環境事務所の「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーに就任。自立できるほどの収入はないが、ひきこもり当事者家族の話を聴いて支援をすることになる。
 しかし、2020年に国や県がひきこもり当事者への就労支援を加速させることになり、「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーとしてのお役御免となる。
 「死んで地獄に行ったら、鬼に責め苦を喰らい、極楽に行っても悟った超阿弥陀如来に解脱するまで修行させられる」ことを恐れて、今日も何とか生き延びている。