福岡県立大学で嗜癖行動学を研究している四戸智昭です。
ひきこもりからのサバイバー(生還者)の声に学ぶことが大切だと思い、元ひきこもりのこだまこうじさんにエッセイを書いてもらいました。随時掲載の予定です。
今回は、『ひきこもり脱出は就労とは違います』というお話。
◆◆◆
”ひきこもり脱出とは就労・就学である。”
そんな認識が社会レベルで根付こうとしています。
いやそんなことはないと言われても、ひきこもりの定義が
「六か月以上、家族以外の人との交流がない、社会的活動を していない」
状態 となっている以上、
ひきこもりの人がひきこもり脱出とはその逆の
「家族以外の人と交流がある、社会活動をしている」
状態がひきこもり脱出と考えられていると思うのは当たり前ですよね?
そしてひきこもりの人にとって社会活動とは「学校へ行く」 「仕事に就く」です。
最大限、甘く見ても「社会活動と認められている場所に行く(例えば、フリースペース)」 というのがひきこもり脱出となります。
まあ、そこで「何もしなくていい」「来たいときだけ来たらいいから」 とは言われるわけで「行ったら行った」で「明日も待ってるから」 的なプレッシャーが来ます。
ひどいときには「最近来ないけど大丈夫?」とか追加ダメージが来ることも。
正直、ごく平凡なひきこもりとしては、家では働けプレッシャーがすごいので 社会活動のために「安心して熟睡できる場所」を提供してもらえたら どんなにありがたいかと何度も思いました。
「好きなことをしていいから」とモンハン(ゲーム)を持ち寄ってきたひきこもりの人と プレーして帰れる社会的活動の場所があればよっぽど交流できるのにと も・・・。
正直、まっとうに社会生活している人と話すのはきついし気を遣います。
しかしながらひきこもり同士で話があるかと言えばあんまりない。
いろいろとイベントを用意してもらってもベジタリアンが肉を出されて困惑するような感覚があります。
就労へのステップ感が半端なく、「今日、花火見に行って遊んだんだから、気晴らしになったでしょ?」
「気晴らししたら、次にすることは就労よね?」とい う幻聴が聞こえそうです。
もちろん被害妄想幻聴でしょう。
被害妄想幻聴ですよね?
ひきこもりの集まりに行ったら、そこから就労支援NPOに行くように誘導することもありませんよね?
就労支援の場所へ行ったら 「就職活動につながるように、訓練に参加しないのならなぜ来たのですか!」 と嘆かれることもありませんよね?
ひきこもりを脱出して外に出ることと就労が混ざってしまっていませんか?
混ぜてしまってはいませんか?
「ひきこもり脱出成功! 外に出られるようになったね!」
ここで一休みしてはいけませんか?
考える時間をいただけませんか?
やっと慣れた安心して集まれる場所で安定した心を取り戻すためにひきこもっていた半分の時間でもいいので、そのまま過ごさせていただけませんか?
疲れ果てて職場で倒れ仕事を辞めてしまった人にあなたは
「しばらくは家でゆっくりすればいいよ」
と言葉をかけませんか?
もしそうならばひきこもり脱出のために頑張った人にも同じやさしさを持って
「何年もひきこもって大変だったね。しばらくはここで ゆっくりすればいいよ」
と声をかけてあげてください。
就労を急がず、ちゃんと自分で考えて動き出すだけの力を蓄えるまでには時間がかかります。
ひきこもり脱出は外に出ること。 就労はお金を稼ぐこと。
それを世間が混ぜてしまうので、ゆっくりと休んで力を蓄える場所で、休養の効用をそぎ落としてしまう力が混ざって効果が半減してしまいます。
「明日から休みだ。休みの間にこの仕事を終わらせてくるように」 あなたはこれを給料なしで受け入れられますか?
こだまこうじ (元ひきこもり。1976年福岡県飯塚市生まれ、同市在住。)
<プロフィール> 中学時代いじめ被害、高校で不登校に。その後、最初のひきこもり時代を経験。このとき、「キツイから精神科に連れて行って」と親に泣いて希望するも、完全に無視される。周囲から就労を強要され、専門学校へ入学。その後、就労するも就職先の社員寮で動かなくなっているところを発見され、会社は9か月でクビ。4年間の本格的なひきこもり時代に突入。 その後、保健所の支援でひきこもりから脱出。2009年、保健師にとってまれにみる成功例として福岡県嘉穂・鞍手保健環境事務所の「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーに就任。自立できるほどの収入はないが、ひきこもり当事者家族の話を聴いて支援をすることになる。 しかし、2020年に国や県がひきこもり当事者への就労支援を加速させることになり、「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーとしてのお役御免となる。 「死んで地獄に行ったら、鬼に責め苦を喰らい、極楽に行っても悟った超阿弥陀如来に解脱するまで修行させられる」ことを恐れて、今日も何とか生き延びている。 |