今年もよろしくお願いします。
新しい年を迎えたものの、私の危機感は増すばかりです。
というのも、川崎の登戸に端を発した一連の事件。特に元農政事務次官の長男殺人事件について、裁判を通じて事件の詳細が報じられても、なお私たちの社会は、そこから肝心なことを学ぼうとしてくれないからです。
それどころか、「引き出し屋」と呼ばれる偽のひきこもり支援の看板を掲げたビジネスが横行しています。
ひきこもりを抱えた家族から金をしぼり出し、当事者を脅して部屋から引きずり出す。その上、ろくな支援もせず当事者は死亡しました。(※1)
どうして「引き出し屋」のようなビジネスが横行してしまうのか。これについては、元ひきこもり当事者で、私の家族支援活動のパートナーである、こだまこうじ氏がとても鋭い指摘をしてくれました。是非そちらをお読みください。(※2)
さて、私は一昨年に福岡で開催された第29回日本嗜癖行動学会で「ひきこもりの表層と深層を架橋する」という報告をしました。これは、不登校の子や、ひきこもりの人、また家族が抱える生きづらさについての報告です。
この報告の中で、病んでいるのはひきこもりではなく、生産性と偽りの多様性という幻想にとらわれた社会であると指摘しました。(※3)
私たちの社会は、今もなお生産性がもっと上げられると幻想を抱いています。
しかし現実は、この20年間以上デフレです。モノの値段が上がらない。給料も上がりません。なのに、生産性さえ上げれば、もっと収入が得られると信じています。
また、多様性が盛んに叫ばれます。しかし、多くの人が多様性を盛んに叫ぶということは、私たちが生きる社会が、まだまだ画一的な社会であることを意味します。つまり人と違う少数者は、社会に「あるがままでよい」と受け入れてもらえないのです。
現代社会は、こうした生産性の向上と偽りの多様性という妄想にとりつかれています。
この社会では、生産性を上げることが当たり前ですから、就労することを求めます。就労している人にも、もっと働くことを求めます。
だから、ひきこもっている人たちには就労してもらうことが、ひきこもり支援だと、この社会は思い込んでいます。
必要なのは、本物の多様性です。不登校は学校に登校する事がゴールではありません。ひきこもりは、就労する事がゴールではありません。
色々な形、そのままひきこもる。ちょっとだけ家族と会話する。ちょっとだけ家事をする。ちょっとだけ散歩する。ちょっとだけバイトする。色々でいい。
困難な時代、大切なことは1秒でも長く生き延びること。できれば笑顔で。それは、ひきこもりも、ひきこもりでない人も、おんなじ。
〔このエッセイは、楠の会だより No.211号(2020年1月)に寄稿したものです。〕
※1 西日本新聞 「扉の向こう–引きこもり支援の今(上)(中)」2019年12月16日、「同上(下)」、2019年12月17日)
※2 ブログに、こだまこうじ氏が寄稿してくれています。
※3 詳細については、『アディクションと家族』34巻2号に掲載しています。こちらを是非お読みください。なお、本誌には精神科医の斎藤学先生の「生きづらさと嗜癖」と題したお話が載っています。
私たちがおちいりやすい「他人からどう見られているか不安」という感覚。この感覚について、とてもわかりやすく解説されています。
学会誌ですが、一般向けに出版されています。
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