2011/12/06

必要があってのタバコ依存―嗜癖する社会

人は生きるために嗜癖します。しかし、その嗜癖全てが社会的悪として排除されるなら、その社会は何を人に求めているのでしょうか。

タバコを擁護するつもりはありませんが、喫煙者は喫煙の必要があって喫煙しているのです。それは必要があっての嗜癖(アディクション)にほかなりません。

タバコの健康への危険性を情報提供しつつも、喫煙する自由と喫煙しない自由を、人から奪うことが果たしてWHOや国家の正義なのでしょうか。

現在のわが国のタバコ排除運動は、ナチス・ドイツの健康至上主義運動と似ています。

「実に多くの逸材がタバコの毒に倒れていったのである」―アドルフ・ヒットラー1942年

ゲルマン民族が唯一優れた民族であり、その民族が未来永劫栄えるためには、健康帝国ナチスを作らねばならなかったのです。


(出典)『健康帝国ナチス』

紙巻たばこを排除しても、アンダーグラウンドが出来るだけです。
ちょうど、わが国でリタリン(処方薬の覚醒作用がある抗うつ剤)が、うつ病への処方禁止となった時期と、市場で取引される覚せい剤の価格が上昇したことと関連があるようなものです。

紙巻たばこの排除で儲かっているのは
http://www.rakuten.co.jp/snus/
のような代用タバコではないでしょうか。

我々が考えるべきは、嗜癖しなければ生きていけないこの日本社会にあるのです。