なぜこんなことをしているかというと、その場でできなかった、わからなかった、話せなかったという「後悔」を頭の中から 追い出して前向きになるためです。
この作業をやり始めたのは、嘉穂鞍手保健所でひきこもり家族相談会に四戸先生と一緒に参加させてもらうようになってからです。
四戸先生の提案で、今まではグループミーティングみたいだった相談会が、個別面談の形になりました。
すると相談してくださる方に集中できるせいか、相談会が終わった後に、
「あの親御さんが心配していたあれは、こういう意味で保健所とつながってもそれを大事にしていけるかは難しい。それがわかっているから来たとしても今回とは違う感じになるだろうなぁ。そうなると大事なことはそれをわかったうえでどう対応するか。うまくいっているようで実はそうでないこととか、ダメなようでいて、いい兆候とかを説明しておけば よかった」
などと考えるようになりました。
そのせいで相談会の後は三日くらいはそのことに頭を取られ、さらにそのあとも「あれを言っておけばよかった」とすっきりしませんでした。
そこで相談会が終わった後に、保健所のひきこもり家族相談会の担当の方と四戸先生に自分の思いをメールすることにしました。
一週間以上頭痛とお付き合いするのは心にも体にも悪いので、数日のうちに三件の相談についての「後悔」を「公開」したわけです。
そのとき私の頭の中にあったのは四戸先生と相談者の方のやり取りでした。
「あなたのご両親、(息子さんのおじい様おばあ様)とあなたが話をしてあなたが子供のころ言えなかった気持ちをぶつけてご両親の気持ちを確かめてみてはどうですか?」
「どちらも死んでいるのでそんな話はできませんし、生きていてもしたくありません。」
私はこのやり取りを受けて、この人は「子供のころの気持ちを心の内に秘めたままだからつらいんだろうな」と思いました。 そして「つらいつらいと人に言うことは大事なことだ」と気づきました。
そこで「後悔」を抱えているよりも、メールで吐き出してしまった方が、つらい恥ずかしいと思って後で何もできなかったと苦しむよりは良いとメールを送りました。
書くのに三時間、読むのに三十分はかかる超長文メールでしたが一週間 頭痛につきあうよりはずっと良い方法でした。
三時間考え、悩み書き綴るので書いたことは頭の外に出てしまい、伝えたいことはメールに書いてあるので伝えたつもりになれて頭痛はぐっと減りました。
しかも吐き出した後には、文章にしたおかげで考え方がすっきりし、新しい気づきもありました。
私は単純なので後で「メール読みました」と感想を一言でももらえると役に立てた気にもなれます。
精神衛生上とてもよいことばかりでした。
今回も楠の会でやれなかったという「後悔」を書いていくうちに、いろいろと気づくことがあり、心が安らかになりました。
嘉穂鞍手のひきこもり家族相談会の歴代の担当の方と四戸先生がくれたギフトは今も「後悔」を「昇華」させるための欠かせないツールとなっています。
もちろんこういう場を設けてくれた保健所や関係者の皆さん、それに四戸先生が
「いいですよ」
と言ってくれなければなりたたなかったことなのでとても感謝しています。
小さなことでも続けていれば、いずれは大きな力になるという教訓は昔は嫌いだったし、いまでもほかのことには適用できていないのですがそんなことを言っていた学校の先生や親の言葉が懐かしく思い出されます。