2021/11/09

ひきこもりサバイバー35 ―そもそも楠の会に行ってみようと思えた理由―

  福岡県立大学で嗜癖行動学を研究している四戸智昭です。

ひきこもりからのサバイバー(生還者)の声に学ぶことが大切だと思い、元ひきこもりのこだまこうじさんにエッセイを書いてもらいました。随時掲載の予定です。
今回は、『そもそも、楠の会に行ってみようと思えた理由』というお話。

◆◆◆

楠の会に講演に行っていろいろ考えさせられた。

 そんな話をしてきました。

しかし、そもそもなんでそんな講演というか当事者の話を聞く場所へひきこもりの私が行けたのでしょうか?

 一番の理由は、交通費と謝礼がもらえるということでした。

 ひきこもりの人が人前に出るというのは大変なことです。

 「お互い理解しあうために無償奉仕」 というのは個人的にはない方がいいなぁと思います。

 ボランティアはいいことです。

しかし、基本的に無償のボランティアよりの性格を持つひきこもりの人には 「何かをしてお金をもらう」という体験を積まないと無償奉仕は当たり前のことと割り切ってしまい、厚生労働省の目指す社会活動(就労)をやる気にすることは難しいように思えます。

「何かをやってお金をもらう」ことに慣れることが社会活動(就労)につながる大事なことだと思うのであえて報酬の話をしてみました。

 では本題のなぜ私が今回の講演という名の「当事者と話をしよう会」に行けたかというと、楠の会の方から

「西日本新聞を読んであなたのことを知り、四戸先生に話を聞いてみて大丈夫そうだったので連絡をさせていただきました」

 ということを言われたからです。

 私は連絡をいただいたとき、私がお世話になった記者の方や四戸先生ことが頭に浮かびました。 

 そしてもし私なら 

「断られるかもしれないのに知らない人に連絡とか絶対にできないなぁ。 すごいなぁ」 

と思いました。

私とは違う場所で頑張っている人たちの仕事や言葉、勇気ある行動があったので「行くだけでも行ってみようかな」という気持ちになりました。

私は関係のある人が何人か関わっているとやろうと思い、その後にやっぱりやめようかなと思ったときにも 「でもあの二人が関わった結果だからなぁ」と踏みとどまれるようです。 

もちろん第一の勇気は、連絡をくれた方の勇気に触発されたというのが一番です。

自分にできないことをやってのける「ヒーロー」には何かしてあげたくなります。

良い経験ができる、お金になるより、誰誰さんの書いた記事を見て、話を聞いてと言われると私は弱いようです。

もっとも行った後、お昼をごちそうになり、「ご飯、うまー」 でやる気スイッチが倍増したことは言うまでもありません。






こだまこうじ (元ひきこもり。1976年福岡県飯塚市生まれ、同市在住。)


<プロフィール>
 中学時代いじめ被害、高校で不登校に。その後、最初のひきこもり時代を経験。このとき、「キツイから精神科に連れて行って」と親に泣いて希望するも、完全に無視される。周囲から就労を強要され、専門学校へ入学。その後、就労するも就職先の社員寮で動かなくなっているところを発見され、会社は9か月でクビ。4年間の本格的なひきこもり時代に突入。
 その後、保健所の支援でひきこもりから脱出。2009年、保健師にとってまれにみる成功例として福岡県嘉穂・鞍手保健環境事務所の「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーに就任。自立できるほどの収入はないが、ひきこもり当事者家族の話を聴いて支援をすることになる。
 しかし、2020年に国や県がひきこもり当事者への就労支援を加速させることになり、「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーとしてのお役御免となる。
 「死んで地獄に行ったら、鬼に責め苦を喰らい、極楽に行っても悟った超阿弥陀如来に解脱するまで修行させられる」ことを恐れて、今日も何とか生き延びている。

2021/11/08

ひきこもりサバイバー34 ―楠の会にお呼ばれしたことを書いた理由―

  福岡県立大学で嗜癖行動学を研究している四戸智昭です。

ひきこもりからのサバイバー(生還者)の声に学ぶことが大切だと思い、元ひきこもりのこだまこうじさんにエッセイを書いてもらいました。随時掲載の予定です。
今回は、『楠の会にお呼ばれしたことを書いた理由』というお話。

◆◆◆

今まで楠の会であったこと、考えさせられたこと、 気づいたことについて話をしてきました。

なぜこんなことをしているかというと、その場でできなかった、わからなかった、話せなかったという「後悔」を頭の中から 追い出して前向きになるためです。

この作業をやり始めたのは、嘉穂鞍手保健所でひきこもり家族相談会に四戸先生と一緒に参加させてもらうようになってからです。

四戸先生の提案で、今まではグループミーティングみたいだった相談会が、個別面談の形になりました。

すると相談してくださる方に集中できるせいか、相談会が終わった後に、

「あの親御さんが心配していたあれは、こういう意味で保健所とつながってもそれを大事にしていけるかは難しい。それがわかっているから来たとしても今回とは違う感じになるだろうなぁ。そうなると大事なことはそれをわかったうえでどう対応するか。うまくいっているようで実はそうでないこととか、ダメなようでいて、いい兆候とかを説明しておけば よかった」

 などと考えるようになりました。

そのせいで相談会の後は三日くらいはそのことに頭を取られ、さらにそのあとも「あれを言っておけばよかった」とすっきりしませんでした。

そこで相談会が終わった後に、保健所のひきこもり家族相談会の担当の方と四戸先生に自分の思いをメールすることにしました。

 一週間以上頭痛とお付き合いするのは心にも体にも悪いので、数日のうちに三件の相談についての「後悔」を「公開」したわけです。

 そのとき私の頭の中にあったのは四戸先生と相談者の方のやり取りでした。

「あなたのご両親、(息子さんのおじい様おばあ様)とあなたが話をしてあなたが子供のころ言えなかった気持ちをぶつけてご両親の気持ちを確かめてみてはどうですか?」

「どちらも死んでいるのでそんな話はできませんし、生きていてもしたくありません。」

私はこのやり取りを受けて、この人は「子供のころの気持ちを心の内に秘めたままだからつらいんだろうな」と思いました。 そして「つらいつらいと人に言うことは大事なことだ」と気づきました。

そこで「後悔」を抱えているよりも、メールで吐き出してしまった方が、つらい恥ずかしいと思って後で何もできなかったと苦しむよりは良いとメールを送りました。

書くのに三時間、読むのに三十分はかかる超長文メールでしたが一週間 頭痛につきあうよりはずっと良い方法でした。

三時間考え、悩み書き綴るので書いたことは頭の外に出てしまい、伝えたいことはメールに書いてあるので伝えたつもりになれて頭痛はぐっと減りました。

しかも吐き出した後には、文章にしたおかげで考え方がすっきりし、新しい気づきもありました。

私は単純なので後で「メール読みました」と感想を一言でももらえると役に立てた気にもなれます。

精神衛生上とてもよいことばかりでした。

今回も楠の会でやれなかったという「後悔」を書いていくうちに、いろいろと気づくことがあり、心が安らかになりました。

嘉穂鞍手のひきこもり家族相談会の歴代の担当の方と四戸先生がくれたギフトは今も「後悔」を「昇華」させるための欠かせないツールとなっています。

もちろんこういう場を設けてくれた保健所や関係者の皆さん、それに四戸先生が

「いいですよ」

と言ってくれなければなりたたなかったことなのでとても感謝しています。

小さなことでも続けていれば、いずれは大きな力になるという教訓は昔は嫌いだったし、いまでもほかのことには適用できていないのですがそんなことを言っていた学校の先生や親の言葉が懐かしく思い出されます。






こだまこうじ (元ひきこもり。1976年福岡県飯塚市生まれ、同市在住。)


<プロフィール>
 中学時代いじめ被害、高校で不登校に。その後、最初のひきこもり時代を経験。このとき、「キツイから精神科に連れて行って」と親に泣いて希望するも、完全に無視される。周囲から就労を強要され、専門学校へ入学。その後、就労するも就職先の社員寮で動かなくなっているところを発見され、会社は9か月でクビ。4年間の本格的なひきこもり時代に突入。
 その後、保健所の支援でひきこもりから脱出。2009年、保健師にとってまれにみる成功例として福岡県嘉穂・鞍手保健環境事務所の「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーに就任。自立できるほどの収入はないが、ひきこもり当事者家族の話を聴いて支援をすることになる。
 しかし、2020年に国や県がひきこもり当事者への就労支援を加速させることになり、「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーとしてのお役御免となる。
 「死んで地獄に行ったら、鬼に責め苦を喰らい、極楽に行っても悟った超阿弥陀如来に解脱するまで修行させられる」ことを恐れて、今日も何とか生き延びている。

2021/11/07

ひきこもりサバイバー33 ―雪一つない天神と足が埋まるほど雪がある家の前―

  福岡県立大学で嗜癖行動学を研究している四戸智昭です。

ひきこもりからのサバイバー(生還者)の声に学ぶことが大切だと思い、元ひきこもりのこだまこうじさんにエッセイを書いてもらいました。随時掲載の予定です。
今回は、『雪ひとつない天神と足が埋まるほど雪がある家の前』というお話。

◆◆◆

楠の会のひきこもり当事者の気持ちを聞こうという会合は 天神で開催されました。

ほんの十人ほどの集まりでしたが、みなさんとても真剣で、私は飯塚の田舎から高速バスで一時間半かけて行ってよかったと思っています。

 私が何よりも感じたのは都会と田舎は違うということです。

 別にどちらがいいということではなくて、

「私の家の前には十センチ以上雪が積もって、とても車が出られる状況ではないのに西鉄バスで飯塚バスターミナルに出て、天神行高速バスに乗ってトンネルをくぐると、そこには雪など全くない世界が広がっている。家を一歩出て、市内を歩き回っては雪が積もっていると思っていて、もう少し進むと雪が降っているけど積もっていない世界が強く広く存在する」

 ということに感動したということです。

私は一応「ひきこもり脱出者」と言われていますが、どうにもそんな気がしないなぁというのが本音です。

それが本音なのですが「ひきこもり」ではいられなかった 「意志の弱い人間だ」という気持ちがめちゃくちゃ強いというわけでもありません。

めちゃくちゃ強いわけではありませんが 「ひきこもり脱出を目指して」 と言われると 「それは弱い人間のすることだ」 と思ってしまうようなひねくれたところはあります。

ただ、もしひきこもりの人が家の前にある雪を踏み越えて、高速バスに乗って新しい世界へ行ったらそこですごいことをしてくれそうな期待はもっています。

ひきこもり脱出は弱い人がやることと思いつつ、ひきこもれている人は、新しい世界ではすごいことができるというのはめちゃくちゃな矛盾ですが、そんな気がします。





こだまこうじ (元ひきこもり。1976年福岡県飯塚市生まれ、同市在住。)


<プロフィール>
 中学時代いじめ被害、高校で不登校に。その後、最初のひきこもり時代を経験。このとき、「キツイから精神科に連れて行って」と親に泣いて希望するも、完全に無視される。周囲から就労を強要され、専門学校へ入学。その後、就労するも就職先の社員寮で動かなくなっているところを発見され、会社は9か月でクビ。4年間の本格的なひきこもり時代に突入。
 その後、保健所の支援でひきこもりから脱出。2009年、保健師にとってまれにみる成功例として福岡県嘉穂・鞍手保健環境事務所の「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーに就任。自立できるほどの収入はないが、ひきこもり当事者家族の話を聴いて支援をすることになる。
 しかし、2020年に国や県がひきこもり当事者への就労支援を加速させることになり、「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーとしてのお役御免となる。
 「死んで地獄に行ったら、鬼に責め苦を喰らい、極楽に行っても悟った超阿弥陀如来に解脱するまで修行させられる」ことを恐れて、今日も何とか生き延びている。

2021/11/06

ひきこもりサバイバー32 ―本気で働かないようにすると就労していた不思議―

  福岡県立大学で嗜癖行動学を研究している四戸智昭です。

ひきこもりからのサバイバー(生還者)の声に学ぶことが大切だと思い、元ひきこもりのこだまこうじさんにエッセイを書いてもらいました。随時掲載の予定です。
今回は、『本気で働かないようにしていたら、就労していた不思議』というお話。

◆◆◆

楠の会(ひきこもりの家族会)で話をしたときに、私は 「ひきこもっていたときはまったく働く気はなく、 一生このままひきこもって死ぬ気だったのに逃げ回っていたらいつの間にかフルタイムで働くようになり不思議な感じがします」 と話しました。

 これは本当の話で、もう終了してしまった職親制度(一日、 食堂で働く練習をさせてもらって800円をもらう。当時は 普通のアルバイトの最低時給が640円で、作業所の賃金が 一日200円)をやりましょうと言われた時、面接に行ったときに、

 「朝一時間ぐらいなら大丈夫ですけど、一日は無理です。朝だけとかできませんよね」

 といきなり保健師さんもびっくりな無茶苦茶を言って、その話をなかったことにしてしまおうと行動しています。

 しかし見事なまでの職親制度で、「それなら準備だけ手伝ってもらうということで」と返されました。

まさか職親を受ける方に受け入れ費用が流れていて、同じ金額もらうなら面倒な子を一日相手にするより一時間相手にした方が費用対効果がいいという考え方があるとは思いもしませんでした。

もちろん一時間でも外に出たばかりの私の面倒を見ることは大変なので、これは私の被害妄想でしょう。

ただ、自分で最悪だろうと満を持して提案した無茶を受け入れられると引くに引けなくなりました。

根は真面目なんです。私。

しかし私が働くようになった一番大きな要因は「私が生き延びることを第一に考えていた」からでしょう。

食堂のお姉さん方から「がんばってきれくれるから助かってる」と言われると、お世辞だとか考えずにすごく気分がよくなり、「お菓子あるから休憩してから、帰っていいよ」とお菓子を与えられると「お菓子うまー」とあっさり餌付けされる。

働きたくないので、保健師さんに「何ができるとか全然わからないので仕事を選ぶことすらできません」と無茶苦茶なことを言ったときも、保健師さんは「市外に職業適性検査できる県の施設があるから手配できますよ」と「あれれ?」な反応。

最初いやだと思っていたのに、外でかつ丼おごってもらうと「市外まで来たかいがあった」と大満足。

私が美味しいお菓子とご飯を与えておけば何でも言うことを聞く人間だったことが就労の最大のポイントだったように思えます。

そういえば、ひきこもっているときも「死ぬ前にコーラをがぶ飲みしてみたい」というのが最大の望みでした。

それを考えると、就労プログラムよりはおいしい食べ物で釣るという手法の方がひきこもり脱出には効果的なのかもしれません。

少なくとも私の場合は、食べ物か本さえ与えられれば満足度は高かった気がします。

稼いだお金は服でもCDでもなく、ブックオフのTRPGリプレイとラノベ、そして今は亡き古本屋で5冊100円の古本に消えていました。

 もちろんHな本とか含むです。

 そして、それらを買うという行為をやっていたのはまっとうな社会人ではない自分が図書館から本を借りるわけにはいかないという変な真面目さだったりします。

 プライドなのか劣等感なのか? 

 ともあれ私の場合は「いやだいやだ」と言っていたら「じゃあ、これはやめて、こっちにしましょうね。」といろんなところで柔軟すぎる反応が返ってきて、気づくと就労(障碍者就労ですが)していました。

もちろん「命を削る危険を感じれば直観に従ってそこから逃げ出すこと」が私の第一の行動原理です。

本能の命令コマンドはいつでも「命を大事に」です。






こだまこうじ (元ひきこもり。1976年福岡県飯塚市生まれ、同市在住。)


<プロフィール>
 中学時代いじめ被害、高校で不登校に。その後、最初のひきこもり時代を経験。このとき、「キツイから精神科に連れて行って」と親に泣いて希望するも、完全に無視される。周囲から就労を強要され、専門学校へ入学。その後、就労するも就職先の社員寮で動かなくなっているところを発見され、会社は9か月でクビ。4年間の本格的なひきこもり時代に突入。
 その後、保健所の支援でひきこもりから脱出。2009年、保健師にとってまれにみる成功例として福岡県嘉穂・鞍手保健環境事務所の「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーに就任。自立できるほどの収入はないが、ひきこもり当事者家族の話を聴いて支援をすることになる。
 しかし、2020年に国や県がひきこもり当事者への就労支援を加速させることになり、「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーとしてのお役御免となる。
 「死んで地獄に行ったら、鬼に責め苦を喰らい、極楽に行っても悟った超阿弥陀如来に解脱するまで修行させられる」ことを恐れて、今日も何とか生き延びている。

2021/11/05

ひきこもりサバイバー31 ― ひきこもりだった私の家内安全とは?―

福岡県立大学で嗜癖行動学を研究している四戸智昭です。

ひきこもりからのサバイバー(生還者)の声に学ぶことが大切だと思い、元ひきこもりのこだまこうじさんにエッセイを書いてもらいました。随時掲載の予定です。
今回は、『ひきこもりだった私の家内安全とは』というお話。

◆◆◆

楠の会(ひきこもりの家族会)さんで話をさせてもらった三つの話のひとつに 「ひきこもりの私は家内安全を目指していた」 というものがありました。

 ひきこもりの私には「自分が家にも社会にも迷惑をかけている」という感覚があったのですが、こうやって話させてもらう機会をいただき、掘り下げていくとちょっと違う気がしました。

 「私はひきこもっている間、常に親を責め立てたり暴れたりしていたかな?」 という疑問です。

 答えはもちろん「NO」です。

 じゃあどんなときにそういう迷惑行動をしたか?

 母親が泣いて謝っても許さないような激しい言葉を投げつけたのは どんなどきだったか?

 壁に穴をあけたのはどんなことがあったからだったか?

 殴りかかったりけったりしたときは?

 それは

 「親の方がヒートアップして、今の状況を劇的に変えようとしたとき」

 「自分がヒートアップして、自分や親の命を断つような行動をしそうなとき」 

 だったような気がします。 

 殺られる前に言葉責め、自分が制御できなくなる前に壁ドン。

 そんな行動で家の中のバランスを崩さないようにしていました。

 天秤が傾いて倒れないように、独りで揺らし続けるイメージというのが 一番合っているでしょうか。

 極端かもしれませんが、わかりやすくするために言葉を選ぶと 

 「右の天秤皿には「家族のために自分を殺す」衝動」

がのっていて、

「左の天秤皿には「自分のために家族を殺す」衝動」

がのっています。

 右の「家族のために自分を殺す」衝動が重くなりすぎれば「自殺」して しまいます。

 左の「自分のために家族を殺す」衝動が重くなりすぎれば「一家惨殺」です。

 どちらも明るい未来ではありません。

 そこで右の「家族のために自分を殺す」衝動が「自殺実行」にまで高まったときに私は「家族の中でもっとも信頼でき、その性格を知っている母親にきつく あたること」で左の「自分ために家族を殺す」天秤皿に重みをかけて 自殺を防いでいたようです。

 ニュースなどで子供が自殺した後、一生苦しむ家族の姿、一生裁判などで 戦う羽目になっている家族の姿を見ていると自分の家族がそうなるくらいなら、新しい幸せをつかむことを目指してほしいと願います。

 しかしそれが難しいことも知っています。

 もちろん家族を殺して自分が幸せになれないこともわかっています。

 ではサラリーマンという名の立派な社会人として生きていけるでしょうか?

 ひきこもっている間は無理です。

 そのため、ひきこもっていた私は心のバランスをとるために必死だったような気がします。 

 もちろん意識してやっているわけではなく、生存本能でやっています。 自殺、殺される、殺すの回避のためにあらゆる手段を使います。

 たまに「もう殺してもらった方が楽かな」ともなるわけですが、そう思う余裕があるうちは何とかなるので結構大丈夫です。

 余裕がないときに「余裕がない」と言葉で伝えても伝わらないのは人の常識。 

 本当に余裕がないときはその自覚すら難しい。

 そのため親、自分の両方がびっくりするような行動にでます。

 日頃、下手な刺激を与えあわないように接触を控えているだけに、自分の状態を緊急に知ってもらわなければならないとき私の行動は過激になっていた気がします。





こだまこうじ (元ひきこもり。1976年福岡県飯塚市生まれ、同市在住。)


<プロフィール>
 中学時代いじめ被害、高校で不登校に。その後、最初のひきこもり時代を経験。このとき、「キツイから精神科に連れて行って」と親に泣いて希望するも、完全に無視される。周囲から就労を強要され、専門学校へ入学。その後、就労するも就職先の社員寮で動かなくなっているところを発見され、会社は9か月でクビ。4年間の本格的なひきこもり時代に突入。
 その後、保健所の支援でひきこもりから脱出。2009年、保健師にとってまれにみる成功例として福岡県嘉穂・鞍手保健環境事務所の「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーに就任。自立できるほどの収入はないが、ひきこもり当事者家族の話を聴いて支援をすることになる。
 しかし、2020年に国や県がひきこもり当事者への就労支援を加速させることになり、「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーとしてのお役御免となる。
 「死んで地獄に行ったら、鬼に責め苦を喰らい、極楽に行っても悟った超阿弥陀如来に解脱するまで修行させられる」ことを恐れて、今日も何とか生き延びている。


2021/11/04

ひきこもりサバイバー30 ―ひきこもりが外に出ない根っこは?―

福岡県立大学で嗜癖行動学を研究している四戸智昭です。

ひきこもりからのサバイバー(生還者)の声に学ぶことが大切だと思い、元ひきこもりのこだまこうじさんにエッセイを書いてもらいました。随時掲載の予定です。
今回は、『ひきこもりが外に出ない根っこは?』というお話。

◆◆◆

楠の会でひきこもり生活はつらいという当たり前の話をちゃんとやろうと思っていたのですが前日に雪がちらついたおかげで、

 ふと

 「そうか何かあると外に出たくない、人に会いたくないという気持ちは、実は自分がひきこもりの苦しみを話すことで”家族が悪い”ということにされることが怖かったのだな。」

 と気づきひきこもり生活についての考えが一変してしまいました。

 学校が嫌だったり、会社がつらかったりする 中で、「甘えている」、「心も体も弱いから」という理由よりも 

「家で一番悪いことをしている私という存在が、外で苦しみを話すと苦しみを何とかしてあげられない家族が悪い」

 となってしまうことが怖かったとわかったわけです。

 当たり前のことですが時間は流れ、状況は変わります。

 最初は

「学校が嫌だった」

「毎日、同じことをして心がすり減った」

「もともと体が弱いのに無理をした」

 という原因で、ひきこもった私がひきこもりという存在になったことで今度は

 「外に出たくても出られない」

 という状況に陥ってしいました。

 この当たり前のことに気づけなかったのは 私自身が気付きたくなかったからでしょう。

 しかし会ったことのない人とのメールのやり取りと、天候の変化にさらされて、ふと気づいてしまいました。

 環境が変わると人は変わるといいますが場所だけではなく、

「 メールと天気だけでいろいろ変わっていけるのだと」

 今更ながらに実感した瞬間でした。

人間って本当に面白いですね。





こだまこうじ (元ひきこもり。1976年福岡県飯塚市生まれ、同市在住。)


<プロフィール>
 中学時代いじめ被害、高校で不登校に。その後、最初のひきこもり時代を経験。このとき、「キツイから精神科に連れて行って」と親に泣いて希望するも、完全に無視される。周囲から就労を強要され、専門学校へ入学。その後、就労するも就職先の社員寮で動かなくなっているところを発見され、会社は9か月でクビ。4年間の本格的なひきこもり時代に突入。
 その後、保健所の支援でひきこもりから脱出。2009年、保健師にとってまれにみる成功例として福岡県嘉穂・鞍手保健環境事務所の「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーに就任。自立できるほどの収入はないが、ひきこもり当事者家族の話を聴いて支援をすることになる。
 しかし、2020年に国や県がひきこもり当事者への就労支援を加速させることになり、「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーとしてのお役御免となる。
 「死んで地獄に行ったら、鬼に責め苦を喰らい、極楽に行っても悟った超阿弥陀如来に解脱するまで修行させられる」ことを恐れて、今日も何とか生き延びている。