2020/07/14

ひきこもりサバイバー11 —命を守りお金を稼がない個性派集団—

福岡県立大学で教員をしている四戸智昭です。
 ひきこもりからのサバイバー(生還者)の声に学ぶことが大切だと思い、元ひきこもりのこだまこうじさんにエッセイを書いてもらいました。今回はひきこもりは、なぜ体力がないのか、対人能力が低いのかについて書いてもらいました。

◆◆◆

ひきこもりと言えば、部屋にひきこもって夜に電気もつけず、ずーっとゲームをしている人というようなイメージを持っている人が多いような気がします。

ドラマの影響なのか、でひきこもりの部屋にはカップ麺の空容器とペットボトルが散乱し、風呂にも入らず、膝を抱えてぼんやりテレビ画面を見ているといったイメージを
持っている方もいます。

しかし実際には、そんなひきこもりの人はいません。
親たちも実際にひきこもりの人が、一日中、スマホをいじっているのをカメラに録画して監視しているわけではありません。

私が話を聞いた限りでは、
「他の家の子はちゃんと学校に行って、働いているのに。
なぜうちの子は家にいて学校にいかず、働かないのか?」
「恥ずかしい」
「早くこの他の家とは違う状態から抜け出したい!」
という恥の気持ちが強すぎて「たまたま」見かけたことを
親が誇張しているように思えます。

ひきこもりの人は
「外」より「内」を
「社会」より「家」を
「世間体」より「命」を
見つめて家にひきこもることに適応した個性的な人です。

すごく現代的な言い方をすると
「命を守りお金を稼がない個性派集団」
とも言えます。

お金を稼ぐ個性的な人は世間から許容され、お金を稼がない個性的な人は世間から排除されるというのは、ちょっとおかしいのではないかと元ひきこもりの私は思ってしまいます。

わざわざ自殺回避を成功しているひきこもり60万人(内閣府推計値)を、社会に押し出して自殺者を60万人上乗せする可能性を作るという未来予想図は怖いです。
あるいは「ひきこもりから脱出して職を転々としてきました」
というインタビューは聞きたくないです。

20年近く前も
「外に出て働くことはしないけれど、掃除洗濯料理に買い物とかはしてくれる。でも働いてくれない。今、子供は40代で将来が心配だ。」
というような親の話をよく聞きました。

ひきこもりの中でも30代になると家の中で、家事という名の仕事をすることでひきこもり生活に適応をしていく人が多くなるようです。
あるいは、健康のために筋トレや運動を継続する人もいます。
最近では「ひきこもり」の知名度が上がったため、親が無茶な対応をしなくなり、昼間はリビングにいるというパターンも出てきています。

親にとってはたまらなく心配で
「部屋から出てくるだけでも希望がある」
「家の手伝いをするようになったから希望はある」
と気合を入れて我慢するようですが、これはひきこもりにとって、“ひきこもり適応行動”なので我慢していてもどうにもなりません。

私としては家から社会出るために、きちんと計画的にサポートし、自立できて安定するまでは一切の支援を惜しまないようなサポート体制が構築できたとしても、
「その間の、恋愛や結婚、趣味の充実や本当の意味での個人的付き合いなどが意識されることが少なく、あくまで自立だけを目指した支援仕事者との付き合いだけで、給料も同年代に比べてはるかに下というのは、支援を受ける側としてはきつすぎないか?」
と思ってしまいます。

ひきこもりの人があるがままの姿で、個性的に命を守れる社会というのが
到来する可能性はないのでしょうか?




こだまこうじ (元ひきこもり。1976年福岡県飯塚市生まれ、同市在住。)




<プロフィール>
 中学時代いじめ被害、高校で不登校に。その後、最初のひきこもり時代を経験。このとき、「キツイから精神科に連れて行って」と親に泣いて希望するも、完全に無視される。周囲から就労を強要され、専門学校へ入学。その後、就労するも就職先の社員寮で動かなくなっているところを発見され、会社は9か月でクビ。4年間の本格的なひきこもり時代に突入。
 その後、保健所の支援でひきこもりから脱出。2009年、保健師にとってまれにみる成功例として福岡県嘉穂・鞍手保健環境事務所の「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーに就任。自立できるほどの収入はないが、ひきこもり当事者家族の話を聴いて支援をすることになる。
 しかし、2020年に国や県がひきこもり当事者への就労支援を加速させることになり、「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーとしてのお役御免となる。
 「死んで地獄に行ったら、鬼に責め苦を喰らい、極楽に行っても悟った超阿弥陀如来に解脱するまで修行させられる」ことを恐れて、今日も何とか生き延びている。

2020/07/08

ひきこもりサバイバー10 -体力と対人能力の回復が意味すること-

 福岡県立大学で教員をしている四戸智昭です。
 ひきこもりからのサバイバー(生還者)の声に学ぶことが大切だと思い、元ひきこもりのこだまこうじさんにエッセイを書いてもらいました。今回はひきこもりは、なぜ体力がないのか、対人能力が低いのかについて書いてもらいました。

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ひきこもりの支援にあたる人たちは、
「ひきこもり生活で衰えた体力と対人能力の回復」
 のために様々なことを考え、実行に移しています。

 たとえば、ひきこもりの人をあるスペースに迎え入れ、軽作業をさせるようなことです。
 これは社会人の人たちからすれば、ひきこもりの支援としては理屈にかなったやり方でしょう。
 しかし、元ひきこもりの私の視点と体験から感じるのは、むしろ恐怖です。

 ひきこもりの人に「体力がなく、対人能力も低下している」のには理由があります。
 そうしなければ部屋にひきこもって生活することができないのです。
 社会に下手に適応して「自殺する」よりも「社会からひきこもって生き延びる」ためには、ひきこもりの人が社会人と同等の体力、対人能力を持っていることは致命傷になりかねません。

 「親を殺さず、親に殺されず、自殺を回避する」生活を完遂するためには、
 家の中の自分の部屋、最大でも家の敷地内での行動ができて、しかも親との決定的な対決ができないように、色々な面で自己抑制をする必要があります。

 ひきこもりの人は、ひきこもり生活に必要ない過剰な社会人的体力や対人能力を捨てる作業をしています。
 結果としてひきこもりの人は社会人の人からしたら「さぼっている」「怠けている」と思われるレベルまで自己の能力を削ります。

 社会人の支援者がひきこもり当事者を訪ねて「やせ細っている」とびっくりするような場面でも、ひきこもりの人にしてみれば
 「体力があったら親と殺し合いになる」
 という感覚がひきこもりの人たちの中に少なからずあるのです。

 コロナ騒動で国全体が自粛しているという状況下では、数々の家から出られない社会人の家庭内暴力事件が報道されました。
 国が認めたひきこもり(巣ごもり)生活でもそのストレスに耐えられない人がいます。

 社会から否定的な視線を向けられる中、家にひきこもっている人たちが受けるストレスはその比ではありません。
 そんなストレスを受けて安定したひきこもりを続けるなど不可能です。
 不可能だからこそ、ひきこもりの人たちは自らの基礎体力や対人能力を削って何とかやっています。家族に手を上げようとしてもできないように努力しています。

 ひきこもりの人が体力をつけ、対人能力を回復させることは喜ばしいことです。
 ただそこに、社会人として生きてきた人には想像もできない苦しさがあることを忘れないでほしいと思います。

 体力や対人能力が付くということは、苦しさをぶつける拳を高く挙げることができるようになることであり、嘆きの声を大きくすることができるようになることでもある。ことを忘れずにいて欲しいと思います。






こだまこうじ (元ひきこもり。1976年福岡県飯塚市生まれ、同市在住。)




<プロフィール>
 中学時代いじめ被害、高校で不登校に。その後、最初のひきこもり時代を経験。このとき、「キツイから精神科に連れて行って」と親に泣いて希望するも、完全に無視される。周囲から就労を強要され、専門学校へ入学。その後、就労するも就職先の社員寮で動かなくなっているところを発見され、会社は9か月でクビ。4年間の本格的なひきこもり時代に突入。
 その後、保健所の支援でひきこもりから脱出。2009年、保健師にとってまれにみる成功例として福岡県嘉穂・鞍手保健環境事務所の「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーに就任。自立できるほどの収入はないが、ひきこもり当事者家族の話を聴いて支援をすることになる。
 しかし、2020年に国や県がひきこもり当事者への就労支援を加速させることになり、「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーとしてのお役御免となる。
 「死んで地獄に行ったら、鬼に責め苦を喰らい、極楽に行っても悟った超阿弥陀如来に解脱するまで修行させられる」ことを恐れて、今日も何とか生き延びている。