2021/05/13

—ひきこもりサバイバー25 -あなたは、ひきこもり脱出者ですか?-

 福岡県立大学で嗜癖行動学を研究している四戸智昭です。

ひきこもりからのサバイバー(生還者)の声に学ぶことが大切だと思い、元ひきこもりのこだまこうじさんにエッセイを書いてもらいました。随時掲載の予定です。
今回は、『あなたはひきこもりですか? それともひきこもり脱出者ですか?』というお話。

◆◆◆

ひきこもり脱出と言えば就労、就労と言えばひきこもり脱出というのが
今も昔も変わらない世間の風潮のようです。

私は別にそれを否定する気はないのですが大事なポイントが抜けていると
思えることがあります。

基本的に、というか超単純にひきこもりを定義すると

「家族親族以外の人と親しい交流がなく、社会活動(就労、就学)を
していない状態が六か月以上続いている状態」
となります。

この定義を読んでみてあなたはどう感じますか?
「どっちなんだ?」
と思ったあなたはいいセンスをしています。

この定義は実は二つの事柄を一つにまとめてしまっています。

昔々、高校か中学で習ったもはや記憶に遠い忘れ去った場所。
数学では珍しい円と円が重なるという超単純な図形で説明された「集合」の
「かつ」によって・・・

具体的に言うと
「家族親族以外の人と親しい交流がない」
「六か月以上、社会活動をしていない」
が「かつ」でごっちゃにされています。

「家族以外の人と親しい交流がない」かつ「六か月以上社会活動をしていな
い」状態がひきこもりというわけです。

つまりひきこもりの人は「家族以外の人と親しい交流をする」「六か月以内に
社会活動をする」を両方みたせば晴れて「ひきこもり脱出」となるわけです。

なるわけですが・・・
「これ難易度高すぎ、ベリーハードどころか社会人で達成できてる人いるの?」
と私は感じてしまいます。

べたな例で言うと「私と仕事どっちが大事なの?」にまともに取り組むような
ものです。

普通は仕事。

小説や漫画やアニメの主人公クラスになると「お前に決まっている。
たとえ世界が滅んでも俺はお前のそばにいる」または「たとえ世界を滅ぼして
でも私があなたを守ってあげる。私がそうしたいの」と極振りします。

いや現実はマンガじゃないし・・・
わかります。
なので日常的に置き換えてみましょう。

第一のポイントは「マルチタスク」です。
「マルチタスク」=「二つのことを同時にやる」でいいでしょう。

この場合もっともわかりやすい形で困難さを表すために
「家族親族以外の親しい人との交流」=「あなたが大好きな趣味の集まり」

「六か月以内の社会活動」=「仕事(就学、就労)」
としましょう。

実行できていますか?

もしイエスならあなたはとても幸せな人です。
そして優しい人でもあるでしょう。

なぜならこれができるということは「かつ」を満たしているということです。

種明かしをすると「大好きな趣味を仕事にできている人」となります。

「大好きなことでお金が稼げて、のめり込むことで趣味の仕事がますます好き
になっていく」
まるで夢のようです。

「仕事の疲れを癒すために大好きな趣味に没頭する」
「大好きな趣味のためにつらい仕事でお金を得る」

これは実はひきこもり脱出のための二つのチェックポイントのうち
「六か月以内の社会活動」しかチェックできていないのと同じです。

ただしこれは社会人として生きていくためには超無難なやり方です。

二つの価値観の違う行動を同時に行うことはできません。
やろうとすると破綻します。

ではどうするかというと「いざというときはこちらを優先する」と
決めて動くことです。

「仕事」=「社会活動」を主とすればその時間を増やし、
「家族親族以外との親しい交流」=「大好きな趣味」に費やす時間を減らす。

あるいは「家族親族以外との親しい交流」=「大好きな趣味」により多くの
時間を費やし、「仕事」=「社会活動」の時間を減らす。

そしてまっとうな社会人とはもちろん前の人たちのことを言います。

そう「家族親族以外との親しい交流」が少ない人ほど「仕事に関係のない
交流がない」人ほどまともなのです!

びっくりですか?
それとも「そりゃそうでしょ」と納得できましたか?

では最後に質問です。

「あなたはひきこもりですか? それともひきこもり脱出者ですか?」



こだまこうじ (元ひきこもり。1976年福岡県飯塚市生まれ、同市在住。)


<プロフィール>
 中学時代いじめ被害、高校で不登校に。その後、最初のひきこもり時代を経験。このとき、「キツイから精神科に連れて行って」と親に泣いて希望するも、完全に無視される。周囲から就労を強要され、専門学校へ入学。その後、就労するも就職先の社員寮で動かなくなっているところを発見され、会社は9か月でクビ。4年間の本格的なひきこもり時代に突入。
 その後、保健所の支援でひきこもりから脱出。2009年、保健師にとってまれにみる成功例として福岡県嘉穂・鞍手保健環境事務所の「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーに就任。自立できるほどの収入はないが、ひきこもり当事者家族の話を聴いて支援をすることになる。
 しかし、2020年に国や県がひきこもり当事者への就労支援を加速させることになり、「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーとしてのお役御免となる。
 「死んで地獄に行ったら、鬼に責め苦を喰らい、極楽に行っても悟った超阿弥陀如来に解脱するまで修行させられる」ことを恐れて、今日も何とか生き延びている。

2021/05/12

—ひきこもりサバイバー24 -わたしにとっての“うつ”-

 福岡県立大学で嗜癖行動学を研究している四戸智昭です。

ひきこもりからのサバイバー(生還者)の声に学ぶことが大切だと思い、元ひきこもりのこだまこうじさんにエッセイを書いてもらいました。随時掲載の予定です。
今回は、『私にとっての”うつ(鬱)”』というお話。

◆◆◆

福岡の楠の会での質疑応答のときに
「私はうつですが、こだまさんはうつを治したいと思ったことはないんですか?」
と質問を受けました。

私は、「一度、うつを治そうとと焦って一週間分の薬を全部飲んだらわけが分からなくなって、気づいたら警察署にいたのでそれから焦らないようにと気を付けるようになって、今は一生付き合っていくつもりです」
と答えました。

そして、楠の会での一コマから一か月以上過ぎた今、なぜうつと一生付き合って行くと答えたのかがわかりました。

理由は「うつが私を助けてくれる」からでした。

ひきこもりの人は過度の頑張り屋です。

私はそれほどではないと思っているのですが体が弱いこともあって、体調をよく崩します。

体調を崩すのですが仕事に行きます。

普通なら頑張りすぎて、ぶっ倒れるのですが私の場合はそのぎりぎりのところで「うつ状態」が発動します。

「就労不能のうつ状態」です。

おかげで「精神力」だけでがんばって疲れ果てた「体」を置き去りにしないで休むことができて、今も仕事を続けられています。

もし「うつ」がいなければ限界突破して仕事をやめていたことでしょう。
もう二度と働かないと思っていたかもしれません。

「うつ」が発動するととてつもなくつらいので仕事のことなどどうでもよくなります。

生きるか死ぬかというところを彷徨っているので、仕事をしていないことに対する罪悪感やプレッシャーを考える余裕がなくなります。

そうやって二か月も過ごしていると体が回復して、仕事に復帰するかどうかを考えられるようになります。

最初は、家の中では「またひきこもりになる」という恐怖に彩られていましたが、
一度復帰できると二回目は「ちゃんと休んで復帰」という希望が混ざってきます。

そういう経験の繰り返しが「うつと一生付き合っていく」という言葉になったのだと思います。



こだまこうじ (元ひきこもり。1976年福岡県飯塚市生まれ、同市在住。)


<プロフィール>
 中学時代いじめ被害、高校で不登校に。その後、最初のひきこもり時代を経験。このとき、「キツイから精神科に連れて行って」と親に泣いて希望するも、完全に無視される。周囲から就労を強要され、専門学校へ入学。その後、就労するも就職先の社員寮で動かなくなっているところを発見され、会社は9か月でクビ。4年間の本格的なひきこもり時代に突入。
 その後、保健所の支援でひきこもりから脱出。2009年、保健師にとってまれにみる成功例として福岡県嘉穂・鞍手保健環境事務所の「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーに就任。自立できるほどの収入はないが、ひきこもり当事者家族の話を聴いて支援をすることになる。
 しかし、2020年に国や県がひきこもり当事者への就労支援を加速させることになり、「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーとしてのお役御免となる。
 「死んで地獄に行ったら、鬼に責め苦を喰らい、極楽に行っても悟った超阿弥陀如来に解脱するまで修行させられる」ことを恐れて、今日も何とか生き延びている。

2021/05/11

ひきこもりサバイバー23 —ひきこもりの“いろいろ考える力”—

 福岡県立大学で嗜癖行動学を研究している四戸智昭です。

ひきこもりからのサバイバー(生還者)の声に学ぶことが大切だと思い、元ひきこもりのこだまこうじさんにエッセイを書いてもらいました。随時掲載の予定です。
今回は、『ともあれ4年間のひきこもり期間がなければ「極楽は悟りを開いた如来が衆のために何百年も悟るためのお手伝いをしてくれる」ところで、楽して暮らせるところじゃないんだ!という当たり前の教えを調べることもしなかったでしょう。』という境地に至ったひきこもりのお話。

◆◆◆

当事者の声を聴く会を主宰してくださった福岡の楠の会でも話したのですが、
私がひきこもりという状況からこうして生き延びることができたのは、「一つのことをいろいろな方向から考える力」にあったように思えます。

ひきこもりの人の誰もがやる
「なぜ自分はひきこもり生活なんかする羽目になったのだろう?」

という原因追及という名の「責任の押し付け場所探し」をしているうちに、癖と呼べるほどではありませんが結構、多方面から物事を考えるようになってしまいました。

具体的に言えば私の場合は

「親が悪いんだ!」から「自分が悪い」になり、「ひょっとしたら、社会が悪いんじゃ?」となり、「生まれた時代が悪かった?」、「いやいや場所かも?」とぐるぐる考えていました。

正確には、そのときどきの感情に振り回されて親がため息をつくと親のせい、ニュースで政府が悪いと言っていると政府のせい、ひきこもり番組で社会に受け皿がないと言っていれば社会のせいと思うわけです。

こうして責任の所在を明らかにしようとしていると、いろんなところ、あるいは人を、何かに当てはめる作業をすることになります。

そうすると、それが悪い理由もどんどん変えなくてはいけません。

当然、私は「なぜこんな風になったのか」を子供時代からその時点までの、いろんな時間軸で考えたりもしました。

そのおかげである意味、ものの見方が柔軟になった気がします。

もちろんひきこもり期間には「恥ずかしい」という感覚が強くて、考えている意識はありませんでした。

この「恥ずかしい」はもちろん「家族を含めた社会全体が働きもしない子供が家にいるなんて恥ずかしい」の「恥ずかしい」なので自発的な感情というより、押し付けれらた「恥ずかしさ」です。

そしてその「恥ずかしさ」にのまれるのは日本にある「臭いものにはふたをする」文化をしっかり身に着けているからでしょう。

ともあれ4年間のひきこもり期間がなければ「極楽は悟りを開いた如来が衆のために何百年も悟るためのお手伝いをしてくれる」ところで、楽して暮らせるところじゃないんだ!という当たり前の教えを調べることもしなかったでしょう。

今、私がこうして生にしがみついていられるのも、ひきこもり期間に得た「いろいろ考える力」のたまものだといえます。



こだまこうじ (元ひきこもり。1976年福岡県飯塚市生まれ、同市在住。)



<プロフィール>
 中学時代いじめ被害、高校で不登校に。その後、最初のひきこもり時代を経験。このとき、「キツイから精神科に連れて行って」と親に泣いて希望するも、完全に無視される。周囲から就労を強要され、専門学校へ入学。その後、就労するも就職先の社員寮で動かなくなっているところを発見され、会社は9か月でクビ。4年間の本格的なひきこもり時代に突入。
 その後、保健所の支援でひきこもりから脱出。2009年、保健師にとってまれにみる成功例として福岡県嘉穂・鞍手保健環境事務所の「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーに就任。自立できるほどの収入はないが、ひきこもり当事者家族の話を聴いて支援をすることになる。
 しかし、2020年に国や県がひきこもり当事者への就労支援を加速させることになり、「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーとしてのお役御免となる。
 「死んで地獄に行ったら、鬼に責め苦を喰らい、極楽に行っても悟った超阿弥陀如来に解脱するまで修行させられる」ことを恐れて、今日も何とか生き延びている。