2020/06/30

ひきこもりの横のアイデンティティ

 私はこれまで、ひきこもりの問題の回復には、家族の変化が欠かせないと幾度となく唱えてきました。家族の変化というのは、家族のコミュニケーションパターンの変化のことで、親と子の会話が対話になることを意味します。

 残念ながら、これまで相談会や講演の場でお会いしたひきこもりの子を抱えたご家族の会話は、親からの一方的な会話であることが多く、両者が両者の立場を理解しながら会話を進めていく対話とはほど遠いところにあると感じています。
 なぜ、会話が対話に変化することが難しいのか、それは親自身も世代間連鎖という鎖の一部であり、親が自身の親から受け継いだ会話のパターンに縛られているからです。

 話は変わりますが、アメリカ生まれのアンドリュー・ソロモンは自身がゲイであることを公表している作家です。聾の人や小人症などいわゆるマイノリティ(少数派)を対象としたリサーチをしてはそれを文章で伝える仕事をしている人ですが、スピーチも上手い。TEDの「揺るぎなき愛」というスピーチで、彼は聾の人たちを調べていくうちに、彼らを病を持った人と見なくなり、彼らが独自の文化を醸成している人たちと見るようになっていったと紹介しています。聾の人々の叫び「我々は聴覚がないんじゃない。この文化を担う権利を持ってるんだ。」という言葉にたくましさを感じたとソロモン氏は語っています。

 彼は普通の親たちは聾の子を治療に結び付けようとするが、一方で聾の子をそのまま受け入れられる親がいることに気が付きます。その子の個性(アイデンティティ)を尊重する親たちを見て、マイノリティのアイデンティティが2つあることを指摘しています。
 ひとつは、親から子へと伝わる世代間連鎖の中で生まれるアイデンティティ、これは場合によっては、聾は治療されるべきものと言う圧力に揺らぐことさえあります。
 ふたつ目は、同じ課題(問題)を抱えた仲間と醸成される横のアイデンティティです。部外者にとっては、この横のアイデンティティは時に脅威に感じ、治療すべきものと捉える人もいます。

 マイノリティの人たちが、こうしたふたつのアイデンティティを持って生き生きと生きていくプロセスには、3つの段階が必要だとソロモン氏は指摘します。ひとつ目は、自己による受容、ふたつ目は家族による受容、三つめは社会の受容です。

 ひきこもりは、残念ながらわが国では矯正すべきものと今でも見られています。しかし、元ひきこもりの、こだまこうじ氏のエッセイ(嗜癖行動学研究室にて読めます)を読んでいくと、まずはひきこもりへの家族の受容があるだろうか?と疑問に感じます。
 もちろん家族がひきこもりを受容できないのは、そのような家族を社会が受容していないからに他なりません。結局、ひきこもりは自己受容できずに今日も苦しんでいます。

 ひきこもりの横のアイデンティティが確立されるようなシステムがないことも問題です。横の繋がりの中で彼らが自己のアイデンティティを作ることができるのなら、どんな仕組みがよいのか?実はこのことに、ひきこもり支援に当たる支援者もほとんどの人が気が付いていないのではないでしょうか。


四戸智昭(福岡県立大学 教員)

2020/06/26

ひきこもりサバイバー9 —目線を下げた支援とは—

 福岡県立大学で教員をしている四戸智昭です。
 ひきこもりからのサバイバー(生還者)の声に学ぶことが大切だと思い、元ひきこもりのこだまこうじさんにエッセイを書いてもらいました。今回は特にひきこもりの支援者に読んでもらいたいエッセイです。

◆◆◆

ひきこもり支援者の間で「目線を下げて」という言葉がよく使われています。しかし、元ひきこもりの私としてはこの言葉に強い違和感を覚えます。
その違和感とは「目線を下げて社会に参加させて、いずれ就職させてあげよう。」
という隠された意図が上から目線だからです。

私たちひきこもりは「自殺回避」のためにひきこもっています。
社会に出ると「社会のあたりまえ」に対応できず、混乱し、心が行き場を失ってしまうのです。一般の社会人の方は、それでは将来が心配だと「将来の不安」を訴えます。
ところが、ひきこもりにとってそれは理解できません。
なぜならひきこもりにとっては「今の不安」が最重要課題だからです。

いわゆるフツーに暮らしている人は、「明日、どう生きるか」を考えますが、
ひきこもりの人は、「なぜ生きているか」を考えてしまいます。
ひきこもりの人は、またこうも考えます。
「今の社会に適応できずにドロップアウトしてしまったのに、なぜ死んでいないのか?」
そういう哲学にも似た孤独な思考をしながら、ひきこもりは「家」で生きています。
「家」の中ならかろうじて生きていけるのです。

不可思議に思われるかもしれません。なぜなら「家」も社会の中のひとつの組織体ですから、「家」にいることで、社会にそれなりに適応しているのではないかと。
しかし、「家」は今の社会からドロップアウトした自分を生かしてくれる唯一の居場所なのです。

ある人は、こうも言うかもしれません。
「親が死んだらどうするのか?」
しかし、わけがわからないで生きているひきこもりにとっては、適応できる「家」が親の死と共になくなるのであれば、
「親が死んだら死ぬ。」
という予測しか立てられません。
今の社会に適応できていないひきこもりは、今の社会に適応している人にとっては異邦人、あるいはエイリアンに感じるでしょう。

そういうひきこもりを支援する。あるいは認知するには、“目線を下げる”よりも“目線を変えて”欲しいのです。今の社会の「当たり前」が通用しない次元で、生きながらも苦しんでいることを理解して対応していて欲しいと思っています。

生産性を上げるために、ひきこもりの人を家から引きずり出し、就職させること、社会参加をさせること。
そういった誘導で、ひきこもりの人を本当に幸せにできるのだろうか?
 是非、一度立ち止まって、自分たちがしているひきこもり支援の在り方が、ひきこもりの人の幸せのためなのか?あるいは、単に支援者の不安を解消するためのものなのではないのか?自問していただければと思います。






こだまこうじ (元ひきこもり。1976年福岡県飯塚市生まれ、同市在住。)




<プロフィール>
 中学時代いじめ被害、高校で不登校に。その後、最初のひきこもり時代を経験。このとき、「キツイから精神科に連れて行って」と親に泣いて希望するも、完全に無視される。周囲から就労を強要され、専門学校へ入学。その後、就労するも就職先の社員寮で動かなくなっているところを発見され、会社は9か月でクビ。4年間の本格的なひきこもり時代に突入。
 その後、保健所の支援でひきこもりから脱出。2009年、保健師にとってまれにみる成功例として福岡県嘉穂・鞍手保健環境事務所の「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーに就任。自立できるほどの収入はないが、ひきこもり当事者家族の話を聴いて支援をすることになる。
 しかし、2020年に国や県がひきこもり当事者への就労支援を加速させることになり、「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーとしてのお役御免となる。
 「死んで地獄に行ったら、鬼に責め苦を喰らい、極楽に行っても悟った超阿弥陀如来に解脱するまで修行させられる」ことを恐れて、今日も何とか生き延びている。

2020/06/21

ひきこもりサバイバー8 —昼夜逆転のための努力—

 福岡県立大学で教員をしている四戸智昭です。
 ひきこもりからのサバイバー(生還者)の声に学ぶことが大切だと思い、元ひきこもりのこだまこうじさんにエッセイを書いてもらいました。今回は不登校やひきこもりの涙ぐましい“昼夜逆転生活”についてです。


◆◆◆
ひきこもりと言えば「昼夜逆転生活」が問題とされることが少なくありません。
「夜遅くまでずーっとゲームをして起きているせいで、朝起きられなくて学校に行けない」
という状態のことです。
ですから、「ゲームなんかするから、朝起きられない。だから早く寝て、昼夜逆転を解消しなさい」と言う人もいます。

これは一見まっとうな意見なようですが、実はこの問題の捉え方自体が昼夜逆転のように、頓珍漢だと思っています。

 少なくともひきこもりであった私にとっては、驚天動地の問題のすり替えが起こっています。
ひきこもりが「昼夜逆転生活」をするのは「学校に行きたくない」からです。
不登校、ひきこもりは
“明日、学校に行かないようにするために、夜遅くまでゲームをして朝起きないように調整している”のです。

 理由は、“寝たふり”では親や教師に押し切られるからです。
 これは経験談ですが、寝たふりだとどうしても、無理やり布団から引きずりだされた場合、残念ながら、大丈夫なように体が動いてしまいます。
そして親たちは、やはり子どもを熟知しているので、その反応で大丈夫とみて制服を着せ、車に押し込んで学校の門の前に捨てて帰るようなことをします(実話)。
しかし、本当に体が眠っていると動かされても対応できずにケガをします。
親や教師は見たことのない、ぐねっとした感じにびっくりして無理やり動かすことをやめます。

 こうして不登校やひきこもりは
「学校に行かないですますために、朝起きられない状態を作るしかない」
と努力を始めることになります。

 そもそも本当に夜遅くまでやるほど楽しいゲームをやっていたら、朝眠くても学校に行きます。なぜなら、同じ趣味、同じ楽しみを持った人とその話をすることは人生を輝かせる喜びだからです。退屈な授業など苦しみと思わないほどに、それは価値ある時間なのです。

 それだけの喜びが今の学校にある人はいいでしょう。しかし、不登校やひきこもりの人のように、学校に喜びを見いだせない人もいる。それはむしろ当たり前のことではないでしょうか。






こだまこうじ (元ひきこもり。1976年福岡県飯塚市生まれ、同市在住。)


<プロフィール>
 中学時代いじめ被害、高校で不登校に。その後、最初のひきこもり時代を経験。このとき、「キツイから精神科に連れて行って」と親に泣いて希望するも、完全に無視される。周囲から就労を強要され、専門学校へ入学。その後、就労するも就職先の社員寮で動かなくなっているところを発見され、会社は9か月でクビ。4年間の本格的なひきこもり時代に突入。
 その後、保健所の支援でひきこもりから脱出。2009年、保健師にとってまれにみる成功例として福岡県嘉穂・鞍手保健環境事務所の「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーに就任。自立できるほどの収入はないが、ひきこもり当事者家族の話を聴いて支援をすることになる。
 しかし、2020年に国や県がひきこもり当事者への就労支援を加速させることになり、「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーとしてのお役御免となる。
 「死んで地獄に行ったら、鬼に責め苦を喰らい、極楽に行っても悟った超阿弥陀如来に解脱するまで修行させられる」ことを恐れて、今日も何とか生き延びている。


2020/06/13

コロナでなかなか学校の課題が終らない君へ

時折、不安になってどうしようもなくなってしまう。いわゆる、feeling blueというヤツだ。

多くの人が、課題が出来てないとか、学校でイヤな事があったとか、親とケンカしたからと考えてしまいがちだが、 その一番の原因は実は「寝不足」だったりする。

人は、寝ている間に、今日一日起きたことを整理する作業をしている。
例えば数学で学んだこと、友だちに挨拶出来ずに戸惑ったこと、昼食が美味しかったこと、これらを過去に起きた事として、夢を見ながら整理するわけだ。

整理する時間が短いと、整理出来なかった出来事の情報は、置いてきぼりになる。数日寝不足が続いただけで、この置いてきぼり情報は、ゴミの山のように大きくなってしまう。

ゴミの山の情報が、楽しいハワイ旅行とか、楽しい四国旅行の思い出なら、何とか1週間ぐらいは、不安にならずに楽しむことが出来る。

でも、その山が数学の課題が終わらないという不安なら、どうなるだろう。

起きていても、その山があなたに取り憑いて、離れなくなる。取り憑いて離れないとは、いつもその事が忘れられないという状態だ。

いつも、その事が頭から離れなくなって、日常生活が送れなくなる状態を、専門的には、アディクション(嗜癖)と言う。いわゆる依存症というヤツだ。

数学の課題が終わらなくて、その事で不安になり続ける状態なら、それはさしずめ「数学課題不進行不安アディクション」と呼べるだろう。

この不安依存症を治す方法は、課題を終わらせてしまうか、よく寝て情報の山を整理することだ。

生きている以上は、課題は毎日やってくる。
髪を切るのも、神様から与えられた今日の課題だ。

まずは今日一日、今日やれる事を、自分のペースでこなす。
一日が終わったら、眠って不安の山を整理する。

そうすれば、天気が悪くても、必ず清々しい朝がやってくる。



四戸智昭

2020/06/11

ひきこもりサバイバー7 —コロナによる生活困窮で、アルバイトに—

ひきこもりからのサバイバー(生還者)の声に学ぶことが大切だと思い、元ひきこもりのこだまこうじさんにエッセイを書いてもらいました。7回目は、コロナの影響で生活が困窮したひきこもりが、アルバイトをし始めた。というお話です。


◆◆◆


親が倒れる。地震や台風などの自然災害が起きる。あるいはコロナの影響で生活困窮したことで、
「いままで部屋にひきこもっていた子どもが外に出るようになった。すごい変化だ!」
といった記事やニュースを目にします。

元ひきこもりのアドバイザーとして、ひきこもりの人を抱える家族の話を聞いてきた身としては、逆にこのようなニュースに危機感を覚えてしまいます。
それは、「外に出て何かをすることと、給料をもらうことは違うということ。さらに、給料をもらうことと、定職について自立することは、また別次元の話だから」です。

それでも「今までよりずっといいじゃないか」という方もいると思いますが、果たして本当にそうでしょうか?
それは、本当に「外に出てくれてよかった」と何か行動を起こしたひきこもりの人を、ありのまま認めているでしょうか?

残念ながら、元ひきこもりの私としてはそこに、
「外に出たのだから、今度は当然、定職について自立する。」という未来ありき姿の押し付けがあるように感じられてなりません。

親が病気で倒れた時に救急車を呼ぶことは、外に出て働くこととは全く違う次元の話です。
また、少しでも家計の助けにとアルバイトを始めることはある意味、それ自体が緊急措置で、緊急措置が終われば一生アルバイトに留まることはないでしょう。
緊急措置が終われば、アルバイトを辞めるというのはごくごく自然な流れです。

どうして、多くの人たちがその先に就職・自立という「当たり前」を置いているのかが、私たちひきこもりにとっては全く理解できません。

ひきこもりの人が、親のピンチや日常生活が不便になったことで、
「ひきこもり生活をやめた」という単純化された論調は、ひきこもりの人に対する基本的な理解不足だと感じられます。

私が相談会に参加させてもらっていたとき、30歳以上のひきこもりの息子さんを持つ親御さんの中には、持病で病院に通っている方がいました。
そのご家族が住んでいるのは田舎なので、病院への通院は車が主となります。では誰が車を出しているかと言うと、ひきこもりの息子さんでした。

あるいは、相談会のある場所までどうやって来たのかと尋ねると、夫は仕事があるので、ひきこもりの息子さんに送ってきてもらっているという方もたくさんいました。
このことは、相談会が始まった当初で、今から20年近く前の話になりますが、当時でも本当に部屋から一歩も出ずに何もしていないひきこもりの人、と言うのは実はいませんでした。

親や社会がひきこもりと呼ぶその本質には、
「仕事をして給料をもらっていない」という状態を指しているように思えます。

元ひきこもりで、ひきこもり当時は最も怠惰な部類に入る私は、さらに洗濯も掃除も手伝わないダメ人間でした。そういう人も少なくないでしょう。

しかし、家のことを何もしないひきこもりの人と言うのは、簡単にまとめれば「若い」のです。
彼彼女が若い、つまりは
「親が健康でまだまだ現役であり、当面の生活は安定している」ということです。

だから、何かあったときに、ひきこもりの人が動くのは自然なことで、事がおさまったら動かなくなるのも自然なことです。

元ひきこもりの私としては、ひきこもりの人が外に出るようになったら本当にそれだけで認めてあげる。あるいは、アルバイトばっかりして定職につかなくても、それだけで頑張っていると認めてあげられる。
ひきこもり問題がどうこうというのを度外視して、それぞれの生きき方を個性、あるいは多様性として、そのまま認めてもらえればとてもありがたいのにと思っています。





こだまこうじ (元ひきこもり。1976年福岡県飯塚市生まれ、同市在住。)


<プロフィール>
 中学時代いじめ被害、高校で不登校に。その後、最初のひきこもり時代を経験。このとき、「キツイから精神科に連れて行って」と親に泣いて希望するも、完全に無視される。周囲から就労を強要され、専門学校へ入学。その後、就労するも就職先の社員寮で動かなくなっているところを発見され、会社は9か月でクビ。4年間の本格的なひきこもり時代に突入。
 その後、保健所の支援でひきこもりから脱出。2009年、保健師にとってまれにみる成功例として福岡県嘉穂・鞍手保健環境事務所の「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーに就任。自立できるほどの収入はないが、ひきこもり当事者家族の話を聴いて支援をすることになる。
 しかし、2020年に国や県がひきこもり当事者への就労支援を加速させることになり、「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーとしてのお役御免となる。
 「死んで地獄に行ったら、鬼に責め苦を喰らい、極楽に行っても悟った超阿弥陀如来に解脱するまで修行させられる」ことを恐れて、今日も何とか生き延びている。