2020/11/06

ひきこもりサバイバー18 —ひきこもりの相対性理論—

  福岡県立大学で嗜癖行動学を研究している四戸智昭です。

ひきこもりからのサバイバー(生還者)の声に学ぶことが大切だと思い、元ひきこもりのこだまこうじさんにエッセイを書いてもらいました。随時掲載の予定です。


◆◆◆

鬼滅の刃の柱強さランキングをYouTube で流していたら寝落ちしてしまい、有名な予備校
教師のわかりやすい特殊相対性理論が流れているところで目が覚めました。

そこで
「光の速さを基準にすると等速直線運動下では空間と距離が縮む」
という話がでていました。

 正確には止まっている人が見ている距離と時間が等速直線運動をしている人が見る距離と時間より長いというお話です。
これはアインシュタインの特殊相対性理論簡単理解への道というか
「速さ=距離(空間)÷時間」
なんでそこまでぶっ飛んだ発想になったのか?不思議だが現実にそうなんだ!
不思議不思議ということの説明の一部だったのですが。

元ひきこもりの私はふと
「ああ、これがひきこもりと社会人の時間間隔の差の本質か」
と思ってしまいました。

ずっと等速直線運動(家にいて同じ速度で同じ行動をしている心の状態の)
ひきこもりにとっての一年は止まったりしている一方、非等速直線運動(仕事)をしている人たちの時間より短いのではないでしょうか?

実際、私も4年もひきこもってたと言われると「そんなに長かったかな?」と首をかしげてしまいます。
もちろんこれは直感的な感覚なわけですが、集中していると時間が経つのが早いということを思えば少しは納得できるのではないでしょうか?

ちなみに集中と言えば私たちは何となく「ボールが止まって見える」を想像してしまいがちですが、あれこそ等速直線運動状態のボールを見ている選手が一時的にでも静止状態にいるので時間と空間が長くなって遅く大きく見えるという公式どおりのお話でしょう。

大型連休があっという間に過ぎる感覚を考えるともっとわかりやすいかもしれません。
光陰矢の如しは「何もしないでいるとあっという間に年を取る」という戒めですが、実は毎日同じことしてたらダメだぞという戒めなのかもしれません。



こだまこうじ (元ひきこもり。1976年福岡県飯塚市生まれ、同市在住。)



<プロフィール>
 中学時代いじめ被害、高校で不登校に。その後、最初のひきこもり時代を経験。このとき、「キツイから精神科に連れて行って」と親に泣いて希望するも、完全に無視される。周囲から就労を強要され、専門学校へ入学。その後、就労するも就職先の社員寮で動かなくなっているところを発見され、会社は9か月でクビ。4年間の本格的なひきこもり時代に突入。
 その後、保健所の支援でひきこもりから脱出。2009年、保健師にとってまれにみる成功例として福岡県嘉穂・鞍手保健環境事務所の「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーに就任。自立できるほどの収入はないが、ひきこもり当事者家族の話を聴いて支援をすることになる。
 しかし、2020年に国や県がひきこもり当事者への就労支援を加速させることになり、「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーとしてのお役御免となる。
 「死んで地獄に行ったら、鬼に責め苦を喰らい、極楽に行っても悟った超阿弥陀如来に解脱するまで修行させられる」ことを恐れて、今日も何とか生き延びている。

2020/11/05

ひきこもりサバイバー17 —「褒めて欲しい」母たち—

 福岡県立大学で嗜癖行動学を研究している四戸智昭です。

ひきこもりからのサバイバー(生還者)の声に学ぶことが大切だと思い、元ひきこもりのこだまこうじさんにエッセイを書いてもらいました。随時掲載の予定です。


◆◆◆
 いつもは仕事に疲れて倒れる夏をやりすごしました。
 しかし10月に入ってから妙に体がだるく、何をするのも億劫になりました。
そのとき私は何をしたでしょうか?

YouTube に動画を上げて、それを四戸先生をはじめ、私がひきこもりであることを理解してくれている人にお知らせしていました。

私は最初、「これはテスト勉強が近くなるとゲームをする」ような、逃避行動の一つと思っていましたが、どうも違うようです。

もっと単純で大事な私の心の根っこの問題のような気がしました。
そしてふと
「小さな子供がするように新しいことをして褒めて欲しかったんだなぁ。」
と気づきました。

「ねえ、おかあさんの絵だよ!ほめてほめて!」の心境です。
単純だなぁと自分を振り返りつつ、大人になるとそういうことを、やって欲しいと言えなくなる自分に苦笑いしました。

さらに考えると、私のひきこもり家族相談会に来てくれていた親御さんたちもそうだったなぁという思いに至ります。
彼女たちは「褒めて」欲しいのです。
「私、ちゃんと頑張っているよ!ほめて!」

私にとっては相談会とは「子供が二十歳を過ぎても働かないで」と言いながら、本当は自分の頑張りを褒めて欲しいと言えない母心を認める場所でした。

大したことがないと、頑張りが足りないと言われるかもと思いながらも、相談会に足を運んでくれたお母さんたちに
「それはすごいことだよ、がんばったね」と
 元ひきこもりの立場から褒めることができたのが十七年間もこの相談会が存続できた理由でしょう。
見守っている保健師さんたちには、お母さんたちがどんどん家庭の事情や、自分の気持ちを吐き出していくのがひきこもり脱出への足掛かりに見えたかもしれません。

私が母たちを褒めていた理由は、
親に「早くまっとうに働け!」と言われている
ひきこもりの人への風当たりが少しでも弱くなればと思ってのことです。
子供の頃って新しいゲームを自慢したり、授業中に隣の教室に行って、怒られても平気だったのに大人のレールに乗っちゃうとそれができなくなる。
結果、収入とか学歴とかの差をほぐす機能が失われてしまうのかもしれません。

よそはよそ、うちはうちが苦々しくなるのは
「ほめて、ほめて」を忘れた結果ではないかとふと思った今日この頃でした。




こだまこうじ (元ひきこもり。1976年福岡県飯塚市生まれ、同市在住。)



<プロフィール>
 中学時代いじめ被害、高校で不登校に。その後、最初のひきこもり時代を経験。このとき、「キツイから精神科に連れて行って」と親に泣いて希望するも、完全に無視される。周囲から就労を強要され、専門学校へ入学。その後、就労するも就職先の社員寮で動かなくなっているところを発見され、会社は9か月でクビ。4年間の本格的なひきこもり時代に突入。
 その後、保健所の支援でひきこもりから脱出。2009年、保健師にとってまれにみる成功例として福岡県嘉穂・鞍手保健環境事務所の「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーに就任。自立できるほどの収入はないが、ひきこもり当事者家族の話を聴いて支援をすることになる。
 しかし、2020年に国や県がひきこもり当事者への就労支援を加速させることになり、「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーとしてのお役御免となる。
 「死んで地獄に行ったら、鬼に責め苦を喰らい、極楽に行っても悟った超阿弥陀如来に解脱するまで修行させられる」ことを恐れて、今日も何とか生き延びている。

2020/10/09

ひきこもりサバイバー16 —これ以上「ひきこもらない」ためのゲーム依存—

 福岡県立大学で教員をしている四戸智昭です。

 ひきこもりからのサバイバー(生還者)の声に学ぶことが大切だと思い、元ひきこもりのこだまこうじさんにエッセイを書いてもらいました。今回はひきこもりは、ゲームに依存することが、実は今以上のひきこもりを防いでいるというお話について書いてもらいました。

◆◆◆

「ゲームばっかりして部屋から出てこない」
「ゲームで遊んでばかりで学校に行かない」
「スマホばっかりいじっている」
そんな言葉をたくさん聞いてきました。

家庭用ゲーム、携帯用ゲーム、スマホゲーム。

面白いとすすめられた家庭用ゲームをイージーモードでやって、コントローラーのボタンを強く押しすぎて、首とか体が痛くなります。

素材集めのために何百回も同じことを繰り返し、仲間を強くします。

そんなことをしながらふと思います。
「ゲームって重労働かつきつめのルーティンワークだな」と・・・・。

「報酬をもらうために働く。仕事と同じだな。でもゲームは確実に報酬が上がるのに現実は違うな」とも・・・。

「キャラクターに自分ができない活動や活躍をしてもらうことで、日常の報われなさを補完している。」
それを得るために、現実に仕事をしてお金を稼ぐ・・・。

正直、これがなくなったら、人とのかかわりもなく、守る家族も持っていない私は
また「就労不能の診断書」を受け取ってひきこもるでしょう。

ゲームは救いか、それとも呪いか?



こだまこうじ (元ひきこもり。1976年福岡県飯塚市生まれ、同市在住。)



<プロフィール>
 中学時代いじめ被害、高校で不登校に。その後、最初のひきこもり時代を経験。このとき、「キツイから精神科に連れて行って」と親に泣いて希望するも、完全に無視される。周囲から就労を強要され、専門学校へ入学。その後、就労するも就職先の社員寮で動かなくなっているところを発見され、会社は9か月でクビ。4年間の本格的なひきこもり時代に突入。
 その後、保健所の支援でひきこもりから脱出。2009年、保健師にとってまれにみる成功例として福岡県嘉穂・鞍手保健環境事務所の「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーに就任。自立できるほどの収入はないが、ひきこもり当事者家族の話を聴いて支援をすることになる。
 しかし、2020年に国や県がひきこもり当事者への就労支援を加速させることになり、「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーとしてのお役御免となる。
 「死んで地獄に行ったら、鬼に責め苦を喰らい、極楽に行っても悟った超阿弥陀如来に解脱するまで修行させられる」ことを恐れて、今日も何とか生き延びている。

ひきこもりサバイバー15 —やりたいことがないのは・・・—

 福岡県立大学で教員をしている四戸智昭です。

 ひきこもりからのサバイバー(生還者)の声に学ぶことが大切だと思い、元ひきこもりのこだまこうじさんにエッセイを書いてもらいました。今回は「やりたいことがない」ひきこもりへの、親の思い切った投資について書いてもらいました。

◆◆◆

 ひきこもりの家族を持つ人たちは必ず「何でもいいからやりたいことはないのか?」
とひきこもりの人に言葉をかけています。

ひきこもりの人の答えは「何もない」です。

「今、私が認識している範囲には何もない」
「今、あなたが許可してくれることの中には何もない」そういうことです。

私が住んでいるのは田舎なので、車がなければ仕事にはいけません。

そこで「車の免許だけでも持っていれば就職口もあるのに」という言葉が漏れ聞こえてきます。

車の免許を持っていて、ひきこもっている人の話もたくさん聞いているのでとても切ない気持ちになります。

変えるべきは個人の技能ではなくて、ひきこもりの認識です。

例えば、半年家を離れて街で一人暮らしすることは、全く新しい認識をひきこもりに与えてくれます。

ひきこもりの人の将来を保障するのは不可能です。それは、ひきこもりじゃなくても同じ、先のことはわからないのですから。

どうでしょうか?ご家族がお持ちの「その貯蓄」
ひきこもりの子の新しい世界(認識)を開くのに使ってみてはどうですか?



こだまこうじ (元ひきこもり。1976年福岡県飯塚市生まれ、同市在住。)


<プロフィール>
 中学時代いじめ被害、高校で不登校に。その後、最初のひきこもり時代を経験。このとき、「キツイから精神科に連れて行って」と親に泣いて希望するも、完全に無視される。周囲から就労を強要され、専門学校へ入学。その後、就労するも就職先の社員寮で動かなくなっているところを発見され、会社は9か月でクビ。4年間の本格的なひきこもり時代に突入。
 その後、保健所の支援でひきこもりから脱出。2009年、保健師にとってまれにみる成功例として福岡県嘉穂・鞍手保健環境事務所の「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーに就任。自立できるほどの収入はないが、ひきこもり当事者家族の話を聴いて支援をすることになる。
 しかし、2020年に国や県がひきこもり当事者への就労支援を加速させることになり、「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーとしてのお役御免となる。
 「死んで地獄に行ったら、鬼に責め苦を喰らい、極楽に行っても悟った超阿弥陀如来に解脱するまで修行させられる」ことを恐れて、今日も何とか生き延びている。

ひきこもりサバイバー14 —わかっているけど、言えないこと—

 福岡県立大学で教員をしている四戸智昭です。

 ひきこもりからのサバイバー(生還者)の声に学ぶことが大切だと思い、元ひきこもりのこだまこうじさんにエッセイを書いてもらいました。今回こだまさんが、ひきこもりとしてわかっているけど、なかなか言えなかったことについて書いてもらいました。

◆◆◆

 ひきこもり当事者を持つ家族の願いは、ひきこもりの人が「人並み」に働いてくれることです。

ひきこもって最初の頃の家族は、「外に出るだけ」「他人と関わるだけ」といったソフトなことを言っていても、話を聞いていくと最終的には、「人並みに働く」ことを求めています。

元ひきこもりの私としては、「ハンデがあるのに先に走り出した人たちに追いつく」ことはとても困難だと思います。

マラソンで例えるなら、
「一時間遅れてのスタートです」はプロのマラソン選手が、素人に与えるハンデです。

1時間遅れ(あるいは周回遅れ)を挽回できる実力がひきこもりの人のあるのかというと、私はないと考えています。

そもそも「毎日学校に通う」「毎日会社に通う」という
ルールで死にそうになったからひきこもったわけですから
現行のルールでは他の人に追いつくことができるはずがありません。

この当たり前の現実を、ひきこもり当事者の家族はもとより、実はひきこもりの本人も本当の意味で認識していないように思えます。

私自身を素直に振り返ってみると、ひきこもった本質的な原因は
「体が弱いこと」
にあったような気がします。

他の人より「体が弱い」のに、他の人と同じように「毎日学校に通える、通うのが当然だ!」と自分の能力を過信していたわけです。

ですが自分が「人並み」であるという根拠のない色眼鏡を外して、素直に「自分が人並み以下の人」と認識すると素直にこう思えます。

「周りの人は人並みの強さを持っているから言葉が通じないのだな」と。
まずは、ひきこもり本人があるがままの自分を受け止められるとよいのではないかと思っています。




こだまこうじ (元ひきこもり。1976年福岡県飯塚市生まれ、同市在住。)


<プロフィール>
 中学時代いじめ被害、高校で不登校に。その後、最初のひきこもり時代を経験。このとき、「キツイから精神科に連れて行って」と親に泣いて希望するも、完全に無視される。周囲から就労を強要され、専門学校へ入学。その後、就労するも就職先の社員寮で動かなくなっているところを発見され、会社は9か月でクビ。4年間の本格的なひきこもり時代に突入。
 その後、保健所の支援でひきこもりから脱出。2009年、保健師にとってまれにみる成功例として福岡県嘉穂・鞍手保健環境事務所の「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーに就任。自立できるほどの収入はないが、ひきこもり当事者家族の話を聴いて支援をすることになる。
 しかし、2020年に国や県がひきこもり当事者への就労支援を加速させることになり、「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーとしてのお役御免となる。
 「死んで地獄に行ったら、鬼に責め苦を喰らい、極楽に行っても悟った超阿弥陀如来に解脱するまで修行させられる」ことを恐れて、今日も何とか生き延びている。

2020/08/06

ひきこもりサバイバー13 —”とりあえずの支援”の怖さ—

福岡県立大学で教員をしている四戸智昭です。
 ひきこもりからのサバイバー(生還者)の声に学ぶことが大切だと思い、元ひきこもりのこだまこうじさんにエッセイを書いてもらいました。今回はひきこもりは、なぜ体力がないのか、対人能力が低いのかについて書いてもらいました。

◆◆◆

 ひきこもりの人を子供に持つ親御さんたち、あるいは支援者の方々からさえも、
「“とりあえず”、外に出てくれさえすれば・・・」
と言う言葉をよく聴きます。

 ひきこもり支援をしている支援者にとっては、とにかく何か支援の成果が欲しい。支援のための何かきっかけが欲しい。という気持ちはよくわかります。
そして、支援者たちが、ひきこもりを「助けてあげたい」という気持ちもわかります。

 しかし、この“とりあえず”という発想はひきこもりの人にとって、は大変恐ろしいこと
だと感じられます。
一般の人でも、町で知らない人から、「お客さん!“とりあえず”中に入ってください」
と声をかけられたら「え?」と驚いて、その場を立ち去るでしょう。

 ひきこもりの人の場合は、支援者が家に押しかけているので、そこを逃げ去るわけにもいかず部屋のさらに隅に、さらに奥に逃げて居留守を使うしかありません。

元ひきこもりの私としては、支援者がひきこもりのこういった態度を嘆かれても
「それは当たり前でしょう」
としか答えようがありません。

答えようがありませんが「全くの無駄」というわけでもありません。
よく「前の支援者が訪ねた時には話をしてくれたのに、担当が変わるとまた元に戻る」
と無力感を感じ、ため息をつくNPO 支援者施設の人たち、精神保健課担当保健師たちがいます。

しかし、話をできるまでにひきこもりの人からの信頼あるいは妥協を引き出した前任者の
努力の成果は確実に残っています。

新しい支援者は、前任者の成果を活かしながら、新しいアプローチに挑むことができます。
ひきこもり側も、新しい支援者にどう挑めばよいのか考えています。

会社でも社長がいうことと、現場主任がいうことのどちらの言うことを実行するか。
前の現場主任と今の現場主任のどちらを信頼するかといったことは当然起こり、それが解
消するまでには時間がかかります。

ですから、新しい支援者の支援が馴染むまでには時間がかかるのです。
ひきこもりの人が
「以前の人とは話せる。だけど、今度のこの人とは話せない。」
という感触を持っている最中に、
「新任支援者は、前任者の支援に遠く及ばない」
とため息をつくというのは、両方にとってマイナスではないでしょうか?

何度も言いますが、新しい支援が、当事者に馴染むまでには時間を要するものです。




こだまこうじ (元ひきこもり。1976年福岡県飯塚市生まれ、同市在住。)




<プロフィール>
 中学時代いじめ被害、高校で不登校に。その後、最初のひきこもり時代を経験。このとき、「キツイから精神科に連れて行って」と親に泣いて希望するも、完全に無視される。周囲から就労を強要され、専門学校へ入学。その後、就労するも就職先の社員寮で動かなくなっているところを発見され、会社は9か月でクビ。4年間の本格的なひきこもり時代に突入。
 その後、保健所の支援でひきこもりから脱出。2009年、保健師にとってまれにみる成功例として福岡県嘉穂・鞍手保健環境事務所の「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーに就任。自立できるほどの収入はないが、ひきこもり当事者家族の話を聴いて支援をすることになる。
 しかし、2020年に国や県がひきこもり当事者への就労支援を加速させることになり、「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーとしてのお役御免となる。
 「死んで地獄に行ったら、鬼に責め苦を喰らい、極楽に行っても悟った超阿弥陀如来に解脱するまで修行させられる」ことを恐れて、今日も何とか生き延びている。

2020/08/04

ひきこもりサバイバー12 —“新ひきこもり”の登場—

福岡県立大学で教員をしている四戸智昭です。
 ひきこもりからのサバイバー(生還者)の声に学ぶことが大切だと思い、元ひきこもりのこだまこうじさんにエッセイを書いてもらいました。今回はひきこもりは、なぜ体力がないのか、対人能力が低いのかについて書いてもらいました。

◆◆◆

ひきこもりの人は、自らのひきこもり体験を通じて自然と
「命を守るのための戦い」そして、「自殺回避のための行動」
が自然と身についていきます。

ひきこもっていれば、一番安心ではありますが、それでもひきこもり生活を長く続けてい
ると、危険な状況が彼らを襲うこともあります。
「何十年もひきこもっていたら、殺したくなる親の気持ちもわかる。」
という世間の人たちがいるからです。

もちろん殺人は犯罪です。親の方は罪を背負ってでも、「世間様のために子供を・・・」
という覚悟があるのかもしれません。

しかし、殺される子供の方は
「何十年も創意工夫して自殺回避してきたのに今更・・・。」
と驚く一方で、
「社会的に見て働いていないのは、資本主義的見地からは悪だから・・・」
と冷静に世間の受け止め方を受け入れます。
そう思考しながら、生きていたいのがひきこもりという人間です。
殺されると思ったら先に手を出すのが本能とも言えます。

そこで
「どのように現状を維持、あるいはどの程度の妥協で自殺他殺のリスクを減らせるか」
ということを考え行動するようになります。

一番身近なのが支援施設に通うことや職業訓練やアルバイト、自動車の免許を取るなどの
行動です。
ひきこもりの人にとってこれらは大変な苦行になりますが、殺されるよりはましです。

こうして苦しさを我慢しながら親、支援者、社会の要請に迎合できる間だけでも
生き延びようとあがく“新ひきこもり”と言うべき人たちが生まれています。

しかし引き延ばしにも限度があります。それが限界にきたときどうなるのか?
無理をして社会に出たひきこもりの人の将来が心配です。
本来あるべきは、ひきこもりの人の個性を受け止められる社会の創生だと思うのは私だ
けでしょうか。




こだまこうじ (元ひきこもり。1976年福岡県飯塚市生まれ、同市在住。)



<プロフィール>
 中学時代いじめ被害、高校で不登校に。その後、最初のひきこもり時代を経験。このとき、「キツイから精神科に連れて行って」と親に泣いて希望するも、完全に無視される。周囲から就労を強要され、専門学校へ入学。その後、就労するも就職先の社員寮で動かなくなっているところを発見され、会社は9か月でクビ。4年間の本格的なひきこもり時代に突入。
 その後、保健所の支援でひきこもりから脱出。2009年、保健師にとってまれにみる成功例として福岡県嘉穂・鞍手保健環境事務所の「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーに就任。自立できるほどの収入はないが、ひきこもり当事者家族の話を聴いて支援をすることになる。
 しかし、2020年に国や県がひきこもり当事者への就労支援を加速させることになり、「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーとしてのお役御免となる。
 「死んで地獄に行ったら、鬼に責め苦を喰らい、極楽に行っても悟った超阿弥陀如来に解脱するまで修行させられる」ことを恐れて、今日も何とか生き延びている。

2020/07/14

ひきこもりサバイバー11 —命を守りお金を稼がない個性派集団—

福岡県立大学で教員をしている四戸智昭です。
 ひきこもりからのサバイバー(生還者)の声に学ぶことが大切だと思い、元ひきこもりのこだまこうじさんにエッセイを書いてもらいました。今回はひきこもりは、なぜ体力がないのか、対人能力が低いのかについて書いてもらいました。

◆◆◆

ひきこもりと言えば、部屋にひきこもって夜に電気もつけず、ずーっとゲームをしている人というようなイメージを持っている人が多いような気がします。

ドラマの影響なのか、でひきこもりの部屋にはカップ麺の空容器とペットボトルが散乱し、風呂にも入らず、膝を抱えてぼんやりテレビ画面を見ているといったイメージを
持っている方もいます。

しかし実際には、そんなひきこもりの人はいません。
親たちも実際にひきこもりの人が、一日中、スマホをいじっているのをカメラに録画して監視しているわけではありません。

私が話を聞いた限りでは、
「他の家の子はちゃんと学校に行って、働いているのに。
なぜうちの子は家にいて学校にいかず、働かないのか?」
「恥ずかしい」
「早くこの他の家とは違う状態から抜け出したい!」
という恥の気持ちが強すぎて「たまたま」見かけたことを
親が誇張しているように思えます。

ひきこもりの人は
「外」より「内」を
「社会」より「家」を
「世間体」より「命」を
見つめて家にひきこもることに適応した個性的な人です。

すごく現代的な言い方をすると
「命を守りお金を稼がない個性派集団」
とも言えます。

お金を稼ぐ個性的な人は世間から許容され、お金を稼がない個性的な人は世間から排除されるというのは、ちょっとおかしいのではないかと元ひきこもりの私は思ってしまいます。

わざわざ自殺回避を成功しているひきこもり60万人(内閣府推計値)を、社会に押し出して自殺者を60万人上乗せする可能性を作るという未来予想図は怖いです。
あるいは「ひきこもりから脱出して職を転々としてきました」
というインタビューは聞きたくないです。

20年近く前も
「外に出て働くことはしないけれど、掃除洗濯料理に買い物とかはしてくれる。でも働いてくれない。今、子供は40代で将来が心配だ。」
というような親の話をよく聞きました。

ひきこもりの中でも30代になると家の中で、家事という名の仕事をすることでひきこもり生活に適応をしていく人が多くなるようです。
あるいは、健康のために筋トレや運動を継続する人もいます。
最近では「ひきこもり」の知名度が上がったため、親が無茶な対応をしなくなり、昼間はリビングにいるというパターンも出てきています。

親にとってはたまらなく心配で
「部屋から出てくるだけでも希望がある」
「家の手伝いをするようになったから希望はある」
と気合を入れて我慢するようですが、これはひきこもりにとって、“ひきこもり適応行動”なので我慢していてもどうにもなりません。

私としては家から社会出るために、きちんと計画的にサポートし、自立できて安定するまでは一切の支援を惜しまないようなサポート体制が構築できたとしても、
「その間の、恋愛や結婚、趣味の充実や本当の意味での個人的付き合いなどが意識されることが少なく、あくまで自立だけを目指した支援仕事者との付き合いだけで、給料も同年代に比べてはるかに下というのは、支援を受ける側としてはきつすぎないか?」
と思ってしまいます。

ひきこもりの人があるがままの姿で、個性的に命を守れる社会というのが
到来する可能性はないのでしょうか?




こだまこうじ (元ひきこもり。1976年福岡県飯塚市生まれ、同市在住。)




<プロフィール>
 中学時代いじめ被害、高校で不登校に。その後、最初のひきこもり時代を経験。このとき、「キツイから精神科に連れて行って」と親に泣いて希望するも、完全に無視される。周囲から就労を強要され、専門学校へ入学。その後、就労するも就職先の社員寮で動かなくなっているところを発見され、会社は9か月でクビ。4年間の本格的なひきこもり時代に突入。
 その後、保健所の支援でひきこもりから脱出。2009年、保健師にとってまれにみる成功例として福岡県嘉穂・鞍手保健環境事務所の「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーに就任。自立できるほどの収入はないが、ひきこもり当事者家族の話を聴いて支援をすることになる。
 しかし、2020年に国や県がひきこもり当事者への就労支援を加速させることになり、「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーとしてのお役御免となる。
 「死んで地獄に行ったら、鬼に責め苦を喰らい、極楽に行っても悟った超阿弥陀如来に解脱するまで修行させられる」ことを恐れて、今日も何とか生き延びている。

2020/07/08

ひきこもりサバイバー10 -体力と対人能力の回復が意味すること-

 福岡県立大学で教員をしている四戸智昭です。
 ひきこもりからのサバイバー(生還者)の声に学ぶことが大切だと思い、元ひきこもりのこだまこうじさんにエッセイを書いてもらいました。今回はひきこもりは、なぜ体力がないのか、対人能力が低いのかについて書いてもらいました。

◆◆◆

ひきこもりの支援にあたる人たちは、
「ひきこもり生活で衰えた体力と対人能力の回復」
 のために様々なことを考え、実行に移しています。

 たとえば、ひきこもりの人をあるスペースに迎え入れ、軽作業をさせるようなことです。
 これは社会人の人たちからすれば、ひきこもりの支援としては理屈にかなったやり方でしょう。
 しかし、元ひきこもりの私の視点と体験から感じるのは、むしろ恐怖です。

 ひきこもりの人に「体力がなく、対人能力も低下している」のには理由があります。
 そうしなければ部屋にひきこもって生活することができないのです。
 社会に下手に適応して「自殺する」よりも「社会からひきこもって生き延びる」ためには、ひきこもりの人が社会人と同等の体力、対人能力を持っていることは致命傷になりかねません。

 「親を殺さず、親に殺されず、自殺を回避する」生活を完遂するためには、
 家の中の自分の部屋、最大でも家の敷地内での行動ができて、しかも親との決定的な対決ができないように、色々な面で自己抑制をする必要があります。

 ひきこもりの人は、ひきこもり生活に必要ない過剰な社会人的体力や対人能力を捨てる作業をしています。
 結果としてひきこもりの人は社会人の人からしたら「さぼっている」「怠けている」と思われるレベルまで自己の能力を削ります。

 社会人の支援者がひきこもり当事者を訪ねて「やせ細っている」とびっくりするような場面でも、ひきこもりの人にしてみれば
 「体力があったら親と殺し合いになる」
 という感覚がひきこもりの人たちの中に少なからずあるのです。

 コロナ騒動で国全体が自粛しているという状況下では、数々の家から出られない社会人の家庭内暴力事件が報道されました。
 国が認めたひきこもり(巣ごもり)生活でもそのストレスに耐えられない人がいます。

 社会から否定的な視線を向けられる中、家にひきこもっている人たちが受けるストレスはその比ではありません。
 そんなストレスを受けて安定したひきこもりを続けるなど不可能です。
 不可能だからこそ、ひきこもりの人たちは自らの基礎体力や対人能力を削って何とかやっています。家族に手を上げようとしてもできないように努力しています。

 ひきこもりの人が体力をつけ、対人能力を回復させることは喜ばしいことです。
 ただそこに、社会人として生きてきた人には想像もできない苦しさがあることを忘れないでほしいと思います。

 体力や対人能力が付くということは、苦しさをぶつける拳を高く挙げることができるようになることであり、嘆きの声を大きくすることができるようになることでもある。ことを忘れずにいて欲しいと思います。






こだまこうじ (元ひきこもり。1976年福岡県飯塚市生まれ、同市在住。)




<プロフィール>
 中学時代いじめ被害、高校で不登校に。その後、最初のひきこもり時代を経験。このとき、「キツイから精神科に連れて行って」と親に泣いて希望するも、完全に無視される。周囲から就労を強要され、専門学校へ入学。その後、就労するも就職先の社員寮で動かなくなっているところを発見され、会社は9か月でクビ。4年間の本格的なひきこもり時代に突入。
 その後、保健所の支援でひきこもりから脱出。2009年、保健師にとってまれにみる成功例として福岡県嘉穂・鞍手保健環境事務所の「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーに就任。自立できるほどの収入はないが、ひきこもり当事者家族の話を聴いて支援をすることになる。
 しかし、2020年に国や県がひきこもり当事者への就労支援を加速させることになり、「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーとしてのお役御免となる。
 「死んで地獄に行ったら、鬼に責め苦を喰らい、極楽に行っても悟った超阿弥陀如来に解脱するまで修行させられる」ことを恐れて、今日も何とか生き延びている。

2020/06/30

ひきこもりの横のアイデンティティ

 私はこれまで、ひきこもりの問題の回復には、家族の変化が欠かせないと幾度となく唱えてきました。家族の変化というのは、家族のコミュニケーションパターンの変化のことで、親と子の会話が対話になることを意味します。

 残念ながら、これまで相談会や講演の場でお会いしたひきこもりの子を抱えたご家族の会話は、親からの一方的な会話であることが多く、両者が両者の立場を理解しながら会話を進めていく対話とはほど遠いところにあると感じています。
 なぜ、会話が対話に変化することが難しいのか、それは親自身も世代間連鎖という鎖の一部であり、親が自身の親から受け継いだ会話のパターンに縛られているからです。

 話は変わりますが、アメリカ生まれのアンドリュー・ソロモンは自身がゲイであることを公表している作家です。聾の人や小人症などいわゆるマイノリティ(少数派)を対象としたリサーチをしてはそれを文章で伝える仕事をしている人ですが、スピーチも上手い。TEDの「揺るぎなき愛」というスピーチで、彼は聾の人たちを調べていくうちに、彼らを病を持った人と見なくなり、彼らが独自の文化を醸成している人たちと見るようになっていったと紹介しています。聾の人々の叫び「我々は聴覚がないんじゃない。この文化を担う権利を持ってるんだ。」という言葉にたくましさを感じたとソロモン氏は語っています。

 彼は普通の親たちは聾の子を治療に結び付けようとするが、一方で聾の子をそのまま受け入れられる親がいることに気が付きます。その子の個性(アイデンティティ)を尊重する親たちを見て、マイノリティのアイデンティティが2つあることを指摘しています。
 ひとつは、親から子へと伝わる世代間連鎖の中で生まれるアイデンティティ、これは場合によっては、聾は治療されるべきものと言う圧力に揺らぐことさえあります。
 ふたつ目は、同じ課題(問題)を抱えた仲間と醸成される横のアイデンティティです。部外者にとっては、この横のアイデンティティは時に脅威に感じ、治療すべきものと捉える人もいます。

 マイノリティの人たちが、こうしたふたつのアイデンティティを持って生き生きと生きていくプロセスには、3つの段階が必要だとソロモン氏は指摘します。ひとつ目は、自己による受容、ふたつ目は家族による受容、三つめは社会の受容です。

 ひきこもりは、残念ながらわが国では矯正すべきものと今でも見られています。しかし、元ひきこもりの、こだまこうじ氏のエッセイ(嗜癖行動学研究室にて読めます)を読んでいくと、まずはひきこもりへの家族の受容があるだろうか?と疑問に感じます。
 もちろん家族がひきこもりを受容できないのは、そのような家族を社会が受容していないからに他なりません。結局、ひきこもりは自己受容できずに今日も苦しんでいます。

 ひきこもりの横のアイデンティティが確立されるようなシステムがないことも問題です。横の繋がりの中で彼らが自己のアイデンティティを作ることができるのなら、どんな仕組みがよいのか?実はこのことに、ひきこもり支援に当たる支援者もほとんどの人が気が付いていないのではないでしょうか。


四戸智昭(福岡県立大学 教員)

2020/06/26

ひきこもりサバイバー9 —目線を下げた支援とは—

 福岡県立大学で教員をしている四戸智昭です。
 ひきこもりからのサバイバー(生還者)の声に学ぶことが大切だと思い、元ひきこもりのこだまこうじさんにエッセイを書いてもらいました。今回は特にひきこもりの支援者に読んでもらいたいエッセイです。

◆◆◆

ひきこもり支援者の間で「目線を下げて」という言葉がよく使われています。しかし、元ひきこもりの私としてはこの言葉に強い違和感を覚えます。
その違和感とは「目線を下げて社会に参加させて、いずれ就職させてあげよう。」
という隠された意図が上から目線だからです。

私たちひきこもりは「自殺回避」のためにひきこもっています。
社会に出ると「社会のあたりまえ」に対応できず、混乱し、心が行き場を失ってしまうのです。一般の社会人の方は、それでは将来が心配だと「将来の不安」を訴えます。
ところが、ひきこもりにとってそれは理解できません。
なぜならひきこもりにとっては「今の不安」が最重要課題だからです。

いわゆるフツーに暮らしている人は、「明日、どう生きるか」を考えますが、
ひきこもりの人は、「なぜ生きているか」を考えてしまいます。
ひきこもりの人は、またこうも考えます。
「今の社会に適応できずにドロップアウトしてしまったのに、なぜ死んでいないのか?」
そういう哲学にも似た孤独な思考をしながら、ひきこもりは「家」で生きています。
「家」の中ならかろうじて生きていけるのです。

不可思議に思われるかもしれません。なぜなら「家」も社会の中のひとつの組織体ですから、「家」にいることで、社会にそれなりに適応しているのではないかと。
しかし、「家」は今の社会からドロップアウトした自分を生かしてくれる唯一の居場所なのです。

ある人は、こうも言うかもしれません。
「親が死んだらどうするのか?」
しかし、わけがわからないで生きているひきこもりにとっては、適応できる「家」が親の死と共になくなるのであれば、
「親が死んだら死ぬ。」
という予測しか立てられません。
今の社会に適応できていないひきこもりは、今の社会に適応している人にとっては異邦人、あるいはエイリアンに感じるでしょう。

そういうひきこもりを支援する。あるいは認知するには、“目線を下げる”よりも“目線を変えて”欲しいのです。今の社会の「当たり前」が通用しない次元で、生きながらも苦しんでいることを理解して対応していて欲しいと思っています。

生産性を上げるために、ひきこもりの人を家から引きずり出し、就職させること、社会参加をさせること。
そういった誘導で、ひきこもりの人を本当に幸せにできるのだろうか?
 是非、一度立ち止まって、自分たちがしているひきこもり支援の在り方が、ひきこもりの人の幸せのためなのか?あるいは、単に支援者の不安を解消するためのものなのではないのか?自問していただければと思います。






こだまこうじ (元ひきこもり。1976年福岡県飯塚市生まれ、同市在住。)




<プロフィール>
 中学時代いじめ被害、高校で不登校に。その後、最初のひきこもり時代を経験。このとき、「キツイから精神科に連れて行って」と親に泣いて希望するも、完全に無視される。周囲から就労を強要され、専門学校へ入学。その後、就労するも就職先の社員寮で動かなくなっているところを発見され、会社は9か月でクビ。4年間の本格的なひきこもり時代に突入。
 その後、保健所の支援でひきこもりから脱出。2009年、保健師にとってまれにみる成功例として福岡県嘉穂・鞍手保健環境事務所の「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーに就任。自立できるほどの収入はないが、ひきこもり当事者家族の話を聴いて支援をすることになる。
 しかし、2020年に国や県がひきこもり当事者への就労支援を加速させることになり、「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーとしてのお役御免となる。
 「死んで地獄に行ったら、鬼に責め苦を喰らい、極楽に行っても悟った超阿弥陀如来に解脱するまで修行させられる」ことを恐れて、今日も何とか生き延びている。

2020/06/21

ひきこもりサバイバー8 —昼夜逆転のための努力—

 福岡県立大学で教員をしている四戸智昭です。
 ひきこもりからのサバイバー(生還者)の声に学ぶことが大切だと思い、元ひきこもりのこだまこうじさんにエッセイを書いてもらいました。今回は不登校やひきこもりの涙ぐましい“昼夜逆転生活”についてです。


◆◆◆
ひきこもりと言えば「昼夜逆転生活」が問題とされることが少なくありません。
「夜遅くまでずーっとゲームをして起きているせいで、朝起きられなくて学校に行けない」
という状態のことです。
ですから、「ゲームなんかするから、朝起きられない。だから早く寝て、昼夜逆転を解消しなさい」と言う人もいます。

これは一見まっとうな意見なようですが、実はこの問題の捉え方自体が昼夜逆転のように、頓珍漢だと思っています。

 少なくともひきこもりであった私にとっては、驚天動地の問題のすり替えが起こっています。
ひきこもりが「昼夜逆転生活」をするのは「学校に行きたくない」からです。
不登校、ひきこもりは
“明日、学校に行かないようにするために、夜遅くまでゲームをして朝起きないように調整している”のです。

 理由は、“寝たふり”では親や教師に押し切られるからです。
 これは経験談ですが、寝たふりだとどうしても、無理やり布団から引きずりだされた場合、残念ながら、大丈夫なように体が動いてしまいます。
そして親たちは、やはり子どもを熟知しているので、その反応で大丈夫とみて制服を着せ、車に押し込んで学校の門の前に捨てて帰るようなことをします(実話)。
しかし、本当に体が眠っていると動かされても対応できずにケガをします。
親や教師は見たことのない、ぐねっとした感じにびっくりして無理やり動かすことをやめます。

 こうして不登校やひきこもりは
「学校に行かないですますために、朝起きられない状態を作るしかない」
と努力を始めることになります。

 そもそも本当に夜遅くまでやるほど楽しいゲームをやっていたら、朝眠くても学校に行きます。なぜなら、同じ趣味、同じ楽しみを持った人とその話をすることは人生を輝かせる喜びだからです。退屈な授業など苦しみと思わないほどに、それは価値ある時間なのです。

 それだけの喜びが今の学校にある人はいいでしょう。しかし、不登校やひきこもりの人のように、学校に喜びを見いだせない人もいる。それはむしろ当たり前のことではないでしょうか。






こだまこうじ (元ひきこもり。1976年福岡県飯塚市生まれ、同市在住。)


<プロフィール>
 中学時代いじめ被害、高校で不登校に。その後、最初のひきこもり時代を経験。このとき、「キツイから精神科に連れて行って」と親に泣いて希望するも、完全に無視される。周囲から就労を強要され、専門学校へ入学。その後、就労するも就職先の社員寮で動かなくなっているところを発見され、会社は9か月でクビ。4年間の本格的なひきこもり時代に突入。
 その後、保健所の支援でひきこもりから脱出。2009年、保健師にとってまれにみる成功例として福岡県嘉穂・鞍手保健環境事務所の「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーに就任。自立できるほどの収入はないが、ひきこもり当事者家族の話を聴いて支援をすることになる。
 しかし、2020年に国や県がひきこもり当事者への就労支援を加速させることになり、「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーとしてのお役御免となる。
 「死んで地獄に行ったら、鬼に責め苦を喰らい、極楽に行っても悟った超阿弥陀如来に解脱するまで修行させられる」ことを恐れて、今日も何とか生き延びている。


2020/06/13

コロナでなかなか学校の課題が終らない君へ

時折、不安になってどうしようもなくなってしまう。いわゆる、feeling blueというヤツだ。

多くの人が、課題が出来てないとか、学校でイヤな事があったとか、親とケンカしたからと考えてしまいがちだが、 その一番の原因は実は「寝不足」だったりする。

人は、寝ている間に、今日一日起きたことを整理する作業をしている。
例えば数学で学んだこと、友だちに挨拶出来ずに戸惑ったこと、昼食が美味しかったこと、これらを過去に起きた事として、夢を見ながら整理するわけだ。

整理する時間が短いと、整理出来なかった出来事の情報は、置いてきぼりになる。数日寝不足が続いただけで、この置いてきぼり情報は、ゴミの山のように大きくなってしまう。

ゴミの山の情報が、楽しいハワイ旅行とか、楽しい四国旅行の思い出なら、何とか1週間ぐらいは、不安にならずに楽しむことが出来る。

でも、その山が数学の課題が終わらないという不安なら、どうなるだろう。

起きていても、その山があなたに取り憑いて、離れなくなる。取り憑いて離れないとは、いつもその事が忘れられないという状態だ。

いつも、その事が頭から離れなくなって、日常生活が送れなくなる状態を、専門的には、アディクション(嗜癖)と言う。いわゆる依存症というヤツだ。

数学の課題が終わらなくて、その事で不安になり続ける状態なら、それはさしずめ「数学課題不進行不安アディクション」と呼べるだろう。

この不安依存症を治す方法は、課題を終わらせてしまうか、よく寝て情報の山を整理することだ。

生きている以上は、課題は毎日やってくる。
髪を切るのも、神様から与えられた今日の課題だ。

まずは今日一日、今日やれる事を、自分のペースでこなす。
一日が終わったら、眠って不安の山を整理する。

そうすれば、天気が悪くても、必ず清々しい朝がやってくる。



四戸智昭

2020/06/11

ひきこもりサバイバー7 —コロナによる生活困窮で、アルバイトに—

ひきこもりからのサバイバー(生還者)の声に学ぶことが大切だと思い、元ひきこもりのこだまこうじさんにエッセイを書いてもらいました。7回目は、コロナの影響で生活が困窮したひきこもりが、アルバイトをし始めた。というお話です。


◆◆◆


親が倒れる。地震や台風などの自然災害が起きる。あるいはコロナの影響で生活困窮したことで、
「いままで部屋にひきこもっていた子どもが外に出るようになった。すごい変化だ!」
といった記事やニュースを目にします。

元ひきこもりのアドバイザーとして、ひきこもりの人を抱える家族の話を聞いてきた身としては、逆にこのようなニュースに危機感を覚えてしまいます。
それは、「外に出て何かをすることと、給料をもらうことは違うということ。さらに、給料をもらうことと、定職について自立することは、また別次元の話だから」です。

それでも「今までよりずっといいじゃないか」という方もいると思いますが、果たして本当にそうでしょうか?
それは、本当に「外に出てくれてよかった」と何か行動を起こしたひきこもりの人を、ありのまま認めているでしょうか?

残念ながら、元ひきこもりの私としてはそこに、
「外に出たのだから、今度は当然、定職について自立する。」という未来ありき姿の押し付けがあるように感じられてなりません。

親が病気で倒れた時に救急車を呼ぶことは、外に出て働くこととは全く違う次元の話です。
また、少しでも家計の助けにとアルバイトを始めることはある意味、それ自体が緊急措置で、緊急措置が終われば一生アルバイトに留まることはないでしょう。
緊急措置が終われば、アルバイトを辞めるというのはごくごく自然な流れです。

どうして、多くの人たちがその先に就職・自立という「当たり前」を置いているのかが、私たちひきこもりにとっては全く理解できません。

ひきこもりの人が、親のピンチや日常生活が不便になったことで、
「ひきこもり生活をやめた」という単純化された論調は、ひきこもりの人に対する基本的な理解不足だと感じられます。

私が相談会に参加させてもらっていたとき、30歳以上のひきこもりの息子さんを持つ親御さんの中には、持病で病院に通っている方がいました。
そのご家族が住んでいるのは田舎なので、病院への通院は車が主となります。では誰が車を出しているかと言うと、ひきこもりの息子さんでした。

あるいは、相談会のある場所までどうやって来たのかと尋ねると、夫は仕事があるので、ひきこもりの息子さんに送ってきてもらっているという方もたくさんいました。
このことは、相談会が始まった当初で、今から20年近く前の話になりますが、当時でも本当に部屋から一歩も出ずに何もしていないひきこもりの人、と言うのは実はいませんでした。

親や社会がひきこもりと呼ぶその本質には、
「仕事をして給料をもらっていない」という状態を指しているように思えます。

元ひきこもりで、ひきこもり当時は最も怠惰な部類に入る私は、さらに洗濯も掃除も手伝わないダメ人間でした。そういう人も少なくないでしょう。

しかし、家のことを何もしないひきこもりの人と言うのは、簡単にまとめれば「若い」のです。
彼彼女が若い、つまりは
「親が健康でまだまだ現役であり、当面の生活は安定している」ということです。

だから、何かあったときに、ひきこもりの人が動くのは自然なことで、事がおさまったら動かなくなるのも自然なことです。

元ひきこもりの私としては、ひきこもりの人が外に出るようになったら本当にそれだけで認めてあげる。あるいは、アルバイトばっかりして定職につかなくても、それだけで頑張っていると認めてあげられる。
ひきこもり問題がどうこうというのを度外視して、それぞれの生きき方を個性、あるいは多様性として、そのまま認めてもらえればとてもありがたいのにと思っています。





こだまこうじ (元ひきこもり。1976年福岡県飯塚市生まれ、同市在住。)


<プロフィール>
 中学時代いじめ被害、高校で不登校に。その後、最初のひきこもり時代を経験。このとき、「キツイから精神科に連れて行って」と親に泣いて希望するも、完全に無視される。周囲から就労を強要され、専門学校へ入学。その後、就労するも就職先の社員寮で動かなくなっているところを発見され、会社は9か月でクビ。4年間の本格的なひきこもり時代に突入。
 その後、保健所の支援でひきこもりから脱出。2009年、保健師にとってまれにみる成功例として福岡県嘉穂・鞍手保健環境事務所の「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーに就任。自立できるほどの収入はないが、ひきこもり当事者家族の話を聴いて支援をすることになる。
 しかし、2020年に国や県がひきこもり当事者への就労支援を加速させることになり、「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーとしてのお役御免となる。
 「死んで地獄に行ったら、鬼に責め苦を喰らい、極楽に行っても悟った超阿弥陀如来に解脱するまで修行させられる」ことを恐れて、今日も何とか生き延びている。