2011/10/05

グループミーティングという鏡を通じて得られる変化

(福岡楠の会会報10月号掲載エッセイより)


○ひきこもりは病んだ木の葉の症状にすぎない

 私の専門の嗜癖行動学の視点から不登校やひきこもりという現象を見ると、不登校・ひきこもりという現象は、木々の葉に元気がない症状に過ぎない。すなわち、黄色くなったり、枯れてきたりといった木の葉の症状がそれで、植物を育てることが好きな人ならば、葉が枯れ行く原因をじっと葉だけを見つめて分析はしない。木の根がどうなっているのか?あるいはその土壌がどうなっているのかに気配りするはずである。


 これと同じで、不登校やひきこもりの問題を抱えている家族内の人間関係や、夫婦関係、住んでいる地域や親戚関係における家族の状態を知ろうとする試みが嗜癖行動学の視点といえる。加えて、不登校の子にどうして不登校が必要なのか。ひきこもりの子にどうしてひきこもるという行為が必要なのかという視点もこの嗜癖行動学の視点である。
 一見すると、不登校やひきこもりの問題を解決するために遠回りをしているのではないかと感じる方もいらっしゃるであろう。直接本人に働きかけて、その行動を修正するのが早道と思う方も多い。しかし、近年の嗜癖行動学や家族療法といった視点は、当事者だけでなく、その家族も治療の対象とするのが定石となっている。



○ひきこもりの子を持つ親の病

 このような嗜癖行動学の視点で、不登校やひきこもりの問題を抱えた当事者の親たちを見ていると、一定の法則があることに気がつく。それらは、名称を付けるならば「不登校・ひきこもりの子を持つ親の病」である。
 この親の病には5つの特徴が挙げられる。ひとつめは「強迫観念的態度」である。当然の事ながら、親の関心は子どもの不登校やひきこもりの状態ということになる。四六時中その事が忘れられないという状態がこの強迫観念的態度である。
 ふたつ目は「二者択一的態度」である。親の選択肢が非常に狭くなっていて、学校に行くか行かないか。家にひきこもるかひきこもらないか。というふたつの選択肢しかない状態を指す。“学校の通学路を半分まで行けたら、それもいい。”とか“自室にひきこもっていても、食事の時だけ家族に会ってくれるからいい。”というような第三の選択肢がない状態がこれである。


 3つ目は「現状否定的態度」である。まず、問題の原因を自分の子育てにあると考えて、自分に徹底的に批判をする。あるいは、子の中途半端な状況に対して容赦なく否定をする。残念ながら現状否定からは何も生まれてこない。
 4つ目は「コントロール的態度」である。子どもへの過剰な世話焼きがこれにあたる。親自身が想定したように子どもが動くよう仕向ける行為がこのコントロール的態度で、お金をあげるから散歩に出かけておいてというようなことがこれにあたる。
 5つ目は「自他境界混乱態度」である。自分と子の人格が別々のものであるという意識がほとんどない状態がこれである。子どもの行動があたかも自分の行動のように感じている親の状態がこれである。


 
○親の病の回復にはグループミーティングが効果的

 実はこの「不登校・ひきこもりの子を持つ親の病」は、共依存の病とも言える。この両者の関係が強固に結びついて、親と子の関係が固着しているうちは、子どもには学校に行かないという選択肢が必要になり、ひきこもりの人には自室にひきこもるという選択肢が必要になる。
 楠の会の例会で行なっているグループミーティングは、この親の病に修正を加えるレッスンである。残念ながら、親の病を回復させるための教科書のようなものはない。法則を覚えて暗記すれば、親の病すなわち親の共依存的態度が治るわけではないのである。家族の問題解決に座学だけでは役に立たないという理由がここにある。問題解決のために、幾度となく講演会や講習会に足を運んでも、あるいは何冊もの本を読んでも、自分の行動修正にはなかなか結びつかないのである。
 行動修正のためのレッスンはグループミーティングに継続的に出席するに限る。同じような他者との出会いは、あなたの家族や生活全般を振り返るための鏡である。鏡を見て身だしなみを整えるように、グループミーティングでの出会いを通じて、他者の家族に自分の行為やこれまで気が付かなかった感情を探しだすのである。これは効果てきめんとしか言いようがない。
 先日もグループミーティングで、ひきこもりの子が家を出ていったというお話をメンバーから伺った。その親はとても驚いていた。しかし、ある日突然、子が変わったのではなく、ミーティングという鏡を通じて親自身がジワジワと身だしなみを整え、変わった結果がそれであるとしか言いようがない。