2013/10/04

西日本新聞「不登校・ひきこもり考」連載エッセイ3

子どもと社会をつなぐ

四戸 智昭

家族百景Ⅱ「不登校・ひきこもり考―親子の視点から」
西日本新聞朝刊 2013年8月27日 掲載


 「お父さんに相談しても、何も言わないか。言っても文句しか言わない。」不登校やひきこもりの子を抱えた母たちがあきれたように口々に言う言葉だ。
私は様々な場所で親たちの相談を受けるが、そこに登場するのは、圧倒的に母が多く、父の登場はその十分の一ほどである。

 ある父は、不登校になった娘の対応について妻と衝突し、憤慨してから口を閉ざしてしまった。またある父は「息子のひきこもった姿は見たくない」と家で息子に対面するのを極力避けようとする。母の多くは、問題解決のために登場してくれない夫に嫌気を感じていることがほとんどで、結果不登校ひきこもりの解決に奔走するのは母独りだけになってしまう。

 家族に起こる他の様々な問題においてもこの状況は似ている。たとえば、息子の非行や娘の摂食障害でも、多くの父は問題を避けて仕事に打ち込み帰宅時間が極端に遅くなる仕事依存になるか。休日にはパチンコ三昧のギャンブル依存だったりする。これらはいるのにいない父の姿だ。私はこれを家族問題における「父性の不在」と呼んでいる。

 ここで言う父性とは生物学的な男性の父を指しているのではない。子を社会に繋ぐ優しさと厳しさを兼ね備えた性質のことだ。シングルマザーであれば、ひとりで母性とこの父性の役割を担うことが重要だ。

 この父性の不在は問題解決を遅らせてしまう要因になる。不登校やひきこもりの子と母の共依存(支配し合う)関係がさらに強固なものになってしまうからだ。母は問題解決のために、子の世話を必死にしようとし、子は母の世話(愛情)を得ようとする関係だ。

 またこの「父性の不在」は「父(社会)から見捨てられた」というメッセージとして子に伝わる。つまり、不登校の私はよい子ではない。ひきこもりの子は社会の厄介者というメッセージだ。こうして彼らたちは、さらなる自責の念に駆られることになる。

 このような状況を逆から見ると、夫婦のコミュニケーション不足が子の不登校やひきこもり問題を生んでいると考えることもできる。つまり、子は不登校やひきこもるという行為を通じて夫婦関係を修復しようとしているとも言える。

 問題の解決には家族内におけるこのような夫婦のアンバランスな状態を解消する必要がある。すなわち家族をとりまとめるリーダーとして父(父性)が登場することである。そのためには、母は冷静になり、問題から一歩下がって独りで奔走しないことだ。「今抱えている問題は私には手に負えない。夫の協力が何よりも必要だ」というメッセージを夫に粘り強く伝える必要がある。

 また夫は一家のリーダーという役割を勘違いしないようにしなければならない。リーダーと独裁とは違う。真のリーダーとは弱い立場の人のために静かに立ち上がる人のことを言うのだ。