2020/08/06

ひきこもりサバイバー13 —”とりあえずの支援”の怖さ—

福岡県立大学で教員をしている四戸智昭です。
 ひきこもりからのサバイバー(生還者)の声に学ぶことが大切だと思い、元ひきこもりのこだまこうじさんにエッセイを書いてもらいました。今回はひきこもりは、なぜ体力がないのか、対人能力が低いのかについて書いてもらいました。

◆◆◆

 ひきこもりの人を子供に持つ親御さんたち、あるいは支援者の方々からさえも、
「“とりあえず”、外に出てくれさえすれば・・・」
と言う言葉をよく聴きます。

 ひきこもり支援をしている支援者にとっては、とにかく何か支援の成果が欲しい。支援のための何かきっかけが欲しい。という気持ちはよくわかります。
そして、支援者たちが、ひきこもりを「助けてあげたい」という気持ちもわかります。

 しかし、この“とりあえず”という発想はひきこもりの人にとって、は大変恐ろしいこと
だと感じられます。
一般の人でも、町で知らない人から、「お客さん!“とりあえず”中に入ってください」
と声をかけられたら「え?」と驚いて、その場を立ち去るでしょう。

 ひきこもりの人の場合は、支援者が家に押しかけているので、そこを逃げ去るわけにもいかず部屋のさらに隅に、さらに奥に逃げて居留守を使うしかありません。

元ひきこもりの私としては、支援者がひきこもりのこういった態度を嘆かれても
「それは当たり前でしょう」
としか答えようがありません。

答えようがありませんが「全くの無駄」というわけでもありません。
よく「前の支援者が訪ねた時には話をしてくれたのに、担当が変わるとまた元に戻る」
と無力感を感じ、ため息をつくNPO 支援者施設の人たち、精神保健課担当保健師たちがいます。

しかし、話をできるまでにひきこもりの人からの信頼あるいは妥協を引き出した前任者の
努力の成果は確実に残っています。

新しい支援者は、前任者の成果を活かしながら、新しいアプローチに挑むことができます。
ひきこもり側も、新しい支援者にどう挑めばよいのか考えています。

会社でも社長がいうことと、現場主任がいうことのどちらの言うことを実行するか。
前の現場主任と今の現場主任のどちらを信頼するかといったことは当然起こり、それが解
消するまでには時間がかかります。

ですから、新しい支援者の支援が馴染むまでには時間がかかるのです。
ひきこもりの人が
「以前の人とは話せる。だけど、今度のこの人とは話せない。」
という感触を持っている最中に、
「新任支援者は、前任者の支援に遠く及ばない」
とため息をつくというのは、両方にとってマイナスではないでしょうか?

何度も言いますが、新しい支援が、当事者に馴染むまでには時間を要するものです。




こだまこうじ (元ひきこもり。1976年福岡県飯塚市生まれ、同市在住。)




<プロフィール>
 中学時代いじめ被害、高校で不登校に。その後、最初のひきこもり時代を経験。このとき、「キツイから精神科に連れて行って」と親に泣いて希望するも、完全に無視される。周囲から就労を強要され、専門学校へ入学。その後、就労するも就職先の社員寮で動かなくなっているところを発見され、会社は9か月でクビ。4年間の本格的なひきこもり時代に突入。
 その後、保健所の支援でひきこもりから脱出。2009年、保健師にとってまれにみる成功例として福岡県嘉穂・鞍手保健環境事務所の「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーに就任。自立できるほどの収入はないが、ひきこもり当事者家族の話を聴いて支援をすることになる。
 しかし、2020年に国や県がひきこもり当事者への就労支援を加速させることになり、「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーとしてのお役御免となる。
 「死んで地獄に行ったら、鬼に責め苦を喰らい、極楽に行っても悟った超阿弥陀如来に解脱するまで修行させられる」ことを恐れて、今日も何とか生き延びている。

0 件のコメント: