半年くらい前に「76歳の父親が、52歳の息子を包丁で刺してたものの、殴り返されて、殺害に失敗する」という事件がありました。
数年前、元農水省事務次官の父親(72)がひきこもりの息子(44)を殺害したのとは対照的な事件です。
このニュースを見たとき、私は「やっぱりふつうにやったら体力的に70代の父親に息子が殺されるのはおかしいんだ」と納得する前に、「次は自分の番かもしれない」と震えあがりました。
もしそうなったら「抵抗せずに殺されるべきか」、それとも「抵抗して親を子殺しにしない道を選ぶべきか」とかいうことは、頭に浮かびませんでした。
それは、少しでも外に出られていて、ちょっとでも仕事をしているときに考えられることで、今のように外にも出られず、仕事もしていないとただただ「不安」になるようです。
今の状態で、そこまで考えると「危ない」と心がブレーキを踏みます。
なので、ブログに書こうとしても書けません。
書けないので抱え込んで、さらに不安になると言う「負のループ」にはまります。
今、ブログを書いているのは、11月21日に社協の「笑顔の集い」に参加してきたからです。
ひきこもりな私が、ひきこもり家族の親御さんの話を聞かせてもらい、ひきこもりな視点からアドバイスというか、気づいたことを話すという場所です。
そこでこの事件を見て不安だったということを冊子にしてもらいました。
冊子にしてもらうと気持ちが楽になると言うか、これ言ってもいいんだという気になりました。
半年前に「めちゃくちゃ怖いだけ」で送ったメールが、いろいろあって、「親子でいろいろズレてたけど、そのおかげで二人とも生き延びれた。よかったね」という形にまとまっていました。
それを読むと「これって希望だったんだぁ」と気づきました。
今までは「親がひきこもっていた子供を刺し殺す」か「ひきこもっていた子供が親を刺し殺す」かの二者択一だったのですが、今回の「失敗」で「両方生き残る」という第三の道が示されました。
これは、よく考えれば当たり前のことですが、「元農水省事務次官事件」から見ている人には新しい道です。
少なくとも「親として、息子を殺して」とか思ったときに、少しでも「でも失敗したら恥ずかしいし、大変だぞ」と思えるのは大きな恩恵です。
子供としても「『殺さないと殺される』わけじゃないんだ」と思えば、先に殺さないといけないという気持ちが少しは和らぎます。
ひきこもりの親としての「手本」がない以上、目につく情報の中で、信頼がおけるニュースに判断基準を置くのは当たり前のことです。
追いつめられて、どうしようもなくなったとき、ふと「親の責任で」とか、「殺される前に」と思ったとき、私たちは過去にニュースで見た印象的な事件を頭に思い浮かべていることが多いです。
少なくともそこから強い影響を受けています。
そしてそこには「成功」事例がたくさんありますが、「失敗」事例は少ないです。
「成功」していないと事件にならないので、あたりまえなのですが、自分が同じ立場だとそんな当たり前のことに気づけなかったりします。
私は、そこに今回の「失敗」が加わってくれたのが、とてもありがたいと思っています。
おかげで、「でも失敗したら嫌だし」と思えるからです。
今回の事件も、案外「70代の親がひきこもりの息子を刺し殺した」という「成功」事例を知ったので、「やれる気」になってしまった結果のような気がします。