2011/02/05

怖いという感情を言葉にしてみましょう

(福岡楠の会 ひきこもりの家族会 2011年2月号会報)

福岡県立大学大学院看護学研究科 四戸智昭

○子どもと接するときビクビクしている
 1月の例会ミーティングには、17名という予想以上に多くの皆さんが参加された。参加者にとっては、自らが抱えている課題の解決のため、あるいは他者との出会いのため、自己を見つめるためと、このミーティングに寄せる思いは様々かもしれない。それでも、ミーティングにこれだけのメンバーが集まるのは、ひとえにミーティングへ期待の大きさを感じる。
ミーティングのテーマが「子どもへの接し方」というテーマだったことも、多くのメンバーが集まったことの理由だったかもしれない。ミーティングでは「子どもと接するときに、子どもが怒らないように、ビクビク接している。」という方が意外と多かった。
また、親自身の子に対する“怒り”はあるけれども、なかなかそれが表現できないという方も多かった。

◯恐怖というコントロール装置
怒りという恐怖によるコントロールは、様々な場面で見られる。夫婦間や男女間で身体的な暴力や、心理的な暴力(言葉による暴力)は、DV(ドメスティック・バイオレンス)と呼ばれる。あるいは、テロリストたちが自らの要求をアピールする方法としても、暴力が用いられる。

いずれも、暴力を振るう側は、暴力を受ける側の“恐怖感”を巧みに利用して、他者をコントロールしようとするのが、恐怖による他者支配である。
交通事故や震災の被災者に、被災した恐怖にとらわれてしまって、日常生活が成り立たない人たちがいる。震災の悪夢で眠れなくなってしまったり、ちょっとした物音に過剰に反応してしまったり、というのがそれである。
あるいは、事故や震災当時の匂いや雰囲気で、当時のことが、今起きてることのようによみがえってきたりというのは、フラッシュバックと呼ばれる。こういった症状が出てくると、PTSDという病気ということになる。
この病気になってしまった人たちは、恐怖体験を怖いという体験として脳の中で整理できない。つまり、その体験が“怖かった”と感想すら述べることができない人たちである。また、似たような状況に身を置いてしまうと、恐怖で身動きがとれなくなってしまう。これが恐怖というコントロール装置の仕組みである。

◯怖くて逃げられない
繰り返される暴力や暴言でも、このPTSDと同じような症状に見舞われる方たちがいる。先程のDVの被害者や虐待の被害者に多く見受けられる。彼らは、暴力加害者たちに文字通り身も心も支配されてしまって、そこから逃げ出すことすらできない。
第三者的に考えると、「嫌な状況からは、さっさと逃げてしまえばよいのに」と思うが、暴力や暴言を受けている側としては、わかっていてもそれができない。逃げてしまえば、さらなる暴力や暴言を受けるかもしれないし、何より恐怖で思考が停止してしまっていれば、“逃げよう”という気持ちすら湧いてこないことになる。

◯あなたにはそこから逃げる権利がある
 このような状況までいかなくても、子どもの怒りや罵声、言葉の暴力が怖くて、ビクビクしているという方もいるかもしれない。しかし、親しい関係だとしても、あなたを恐怖で支配してよいという理屈はどこにもない。
 あなたは、あなたの身体と心を守る権利があるし、あなたの身体と心を自由に動かす自由がある。あなたの身体と心を侵害する人がいれば、そこから逃げる権利もあなたにはあるのだ。

 暴力を振るうという加害者の行為は、依存性のもので、エスカレートすることが多い。振るっている本人もコントロールができなくなってしまう。だからこそ、あなたを身体的な暴力や暴言で支配しようとする人がいるなら、さっさと逃げたほうがいい。
 
◯怖いという感情を言葉にしてみましょう
あなたが、感じている感情をそのままあなたが受け止めて受容してあげる。そのために、あなたが取れる方法を選択してあげる。当たり前のように思えることだが、もしこのエッセイを読んでいる人の中に、家族の中の暴力や暴言で苦しんでいる人がいるのなら、ぜひあなたのためにそうしてあげて欲しい。
 なかなかそれができませんというのなら、次回のミーティングにいらしていただきたい。そこで、怖かったあなたの思いを吐き出すことからはじめてみましょう。そこからあなたが変わります。あなたが変わると、あなたの家族も変わっていきます。
 次回のミーティングでは、家族と接するときのあなたの感情を中心に、それをあるがまま感じて、あるがまま言葉にしてみましょう。

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