2011/08/18

被災地宮古市田老地区を訪ねて

この夏、宮古市田老地区を訪ねた。東日本の大震災前に、何度も自家用車で通過していた町だが、田老を訪ねてみると、そこには見慣れた風景は一切なかった。

津波で階下部分が失くなったホテル

建物の基礎部分だけが残った町と防波堤
被災地を歩いていると、めまいがする。ちょうど、船酔いをしたような感覚である。
ひょっとすると、私たちは普段、人間が作り上げた人工物を目印に生活しているのかもしれない。建物の全てが失くなった町では、知らないうちに平衡感覚を失っていたのだろう。

学生には、この風景を実際の場所で見て欲しいと感じた。テレビや新聞で伝えられる津波ではわからないものがそこにはあるからだ。


とこで、被災地を訪ねてみて感じたのは、生き残った人々が、また同じ場所で暮らし始めるだろうかという素朴な疑問である。
おそらく、このような恐怖体験をした場所に、また暮らしたいと思う人はほとんど少ないだろう。PTSDに罹患した患者の多くは、命拾いした場所を避けようとする。それと全く同じことが生き残った人たちに起きているのではないだろうか。

実際、過日行われた調査では約7割の被災者たちが、津波が襲った同じ場所ではなく、高台などに暮らしたいと答えているという。

一刻も早く、町の人たちが自分たちの明るい将来を描けるような町づくりの青写真を示す必要があると思う。政府の高台移転政策と予算措置が早く講じられることを祈りたい。

0 件のコメント:

コメントを投稿