2025/08/29

—ひきこもりサバイバー67 -会社を辞めたそのあとは?-

   福岡県立大学で嗜癖行動学を研究している四戸智昭です。

ひきこもりからのサバイバー(生還者)の声に学ぶことが大切だと思い、元ひきこもりのこだまこうじさんにエッセイを書いてもらいました。随時掲載の予定です。
今回は、『ひきこもりの継続を強力にする小さな成功体験』というお話。

◆◆◆

会社から退職受理の書類をもらい、ハローワークに届け出をして雇用保険受給資格(失業手当受給)を申請しに行きました。

もう精神的にも肉体的にもフラフラだったので窓口の方の

「どうして仕事をやめられたのか確認してもいいですか?」

の言葉につい保健所の保健士さんに話をする調子で涙ながらに長話を聞かせてしまいました。

すると「それは医師の診断書がでれば正当事由になるので受給が早くなりますよ」と教えてもらえました。

正直、よくわからなかったのですが

「疲れ果てた私」は基本「とても素直な子」になります。

こうして私は書類を返してもらい、医師のところへと行くことになりました。

医師は「仕方がないね」と診断書を書いてくれ、正当事由で雇用保険受給者証をもらうことができました。

もうこれだけで何日か動けなくなりました。

ちなみに最初に引きこもりになったときは会社が「診断書をもらってくればいろいろ対応できる」といってくれたのに何もできない状態でした。

成長したなぁ私。








こだまこうじ (元ひきこもり。1976年福岡県飯塚市生まれ、同市在住。)


<プロフィール>
 中学時代いじめ被害、高校で不登校に。その後、最初のひきこもり時代を経験。このとき、「キツイから精神科に連れて行って」と親に泣いて希望するも、完全に無視される。周囲から就労を強要され、専門学校へ入学。その後、就労するも就職先の社員寮で動かなくなっているところを発見され、会社は9か月でクビ。4年間の本格的なひきこもり時代に突入。
 その後、保健所の支援でひきこもりから脱出。2009年、保健師にとってまれにみる成功例として福岡県嘉穂・鞍手保健環境事務所の「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーに就任。自立できるほどの収入はないが、ひきこもり当事者家族の話を聴いて支援をすることになる。
 しかし、2020年に国や県がひきこもり当事者への就労支援を加速させることになり、「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーとしてのお役御免となる。
 「死んで地獄に行ったら、鬼に責め苦を喰らい、極楽に行っても悟った超阿弥陀如来に解脱するまで修行させられる」ことを恐れて、今日も何とか生き延びている。

2025/08/22

—ひきこもりサバイバー66 -バーンアウトして会社を辞めるとき-

  福岡県立大学で嗜癖行動学を研究している四戸智昭です。

ひきこもりからのサバイバー(生還者)の声に学ぶことが大切だと思い、元ひきこもりのこだまこうじさんにエッセイを書いてもらいました。随時掲載の予定です。
今回は、『ひきこもりの継続を強力にする小さな成功体験』というお話。

◆◆◆

体調を崩してバーンアウトし、仕事をやめることになりました。

私はフルタイムの仕事をやるのは無理だから少しゆっくりする気になっていました。

しかしお世話になった会社に退職届を出すというのは大変なことでした。

当時は

「なし崩しではなくきちんと退職するのはこんなに心にクルんだ。つらい」

と思えるほどの余裕はありませんでした。

ありませんでしたがこの部分でさらに精神的に疲れて、ダメになっちゃったことは確かです。

もうフルタイムで働くのが無理な状態だったので仕方ないとわかっていたのですがとてもつらかったことを思い出します。











こだまこうじ (元ひきこもり。1976年福岡県飯塚市生まれ、同市在住。)


<プロフィール>
 中学時代いじめ被害、高校で不登校に。その後、最初のひきこもり時代を経験。このとき、「キツイから精神科に連れて行って」と親に泣いて希望するも、完全に無視される。周囲から就労を強要され、専門学校へ入学。その後、就労するも就職先の社員寮で動かなくなっているところを発見され、会社は9か月でクビ。4年間の本格的なひきこもり時代に突入。
 その後、保健所の支援でひきこもりから脱出。2009年、保健師にとってまれにみる成功例として福岡県嘉穂・鞍手保健環境事務所の「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーに就任。自立できるほどの収入はないが、ひきこもり当事者家族の話を聴いて支援をすることになる。
 しかし、2020年に国や県がひきこもり当事者への就労支援を加速させることになり、「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーとしてのお役御免となる。
 「死んで地獄に行ったら、鬼に責め苦を喰らい、極楽に行っても悟った超阿弥陀如来に解脱するまで修行させられる」ことを恐れて、今日も何とか生き延びている。

 

2025/08/15

—ひきこもりサバイバー65 -ひきこもりになる疲労サイクル-

   福岡県立大学で嗜癖行動学を研究している四戸智昭です。

ひきこもりからのサバイバー(生還者)の声に学ぶことが大切だと思い、元ひきこもりのこだまこうじさんにエッセイを書いてもらいました。随時掲載の予定です。
今回は、『ひきこもりの継続を強力にする小さな成功体験』というお話。

◆◆◆

ついにバーンアウト(燃え尽き症候群)で障碍者雇用からひきこもりに逆戻りした私ですがそのサイクルを記して皆さんの参考にしていただければ幸いと思い筆をとりました。

簡単に言えば「リフレッシュを頑張った」のが原因です。

私は「ちょっとがんばって」いたので「ちゃんとリフレッシュしなければ」と頑張ってしまいました。

普通に遊びと呼ばれている分野の中でメジャーなゲームに時間を割き、ゲームをクリアしたときの高揚感で疲れをごまかしていました。

ところがこの「つもり」が私を追い込んでいきました。

「ちょっと仕事を頑張って疲れる」→「ちゃんとリフレッシュにゲームを頑張って疲れる」→「ゲームクリアの高揚感で疲れを忘れ、頑張れると信じる」→「忘れても疲れは消えないのでどんどんたまる」→「疲れが体に入っているのを忘れてちょっと仕事を頑張って疲れる」→「ちゃんとリフレッシュにゲームを頑張って疲れる」・・・

この繰り返しが私の場合は14年と3か月で限界を迎えました。

「頑張らない」ことはとても難しいですね。











こだまこうじ (元ひきこもり。1976年福岡県飯塚市生まれ、同市在住。)


<プロフィール>
 中学時代いじめ被害、高校で不登校に。その後、最初のひきこもり時代を経験。このとき、「キツイから精神科に連れて行って」と親に泣いて希望するも、完全に無視される。周囲から就労を強要され、専門学校へ入学。その後、就労するも就職先の社員寮で動かなくなっているところを発見され、会社は9か月でクビ。4年間の本格的なひきこもり時代に突入。
 その後、保健所の支援でひきこもりから脱出。2009年、保健師にとってまれにみる成功例として福岡県嘉穂・鞍手保健環境事務所の「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーに就任。自立できるほどの収入はないが、ひきこもり当事者家族の話を聴いて支援をすることになる。
 しかし、2020年に国や県がひきこもり当事者への就労支援を加速させることになり、「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーとしてのお役御免となる。
 「死んで地獄に行ったら、鬼に責め苦を喰らい、極楽に行っても悟った超阿弥陀如来に解脱するまで修行させられる」ことを恐れて、今日も何とか生き延びている。

2025/08/08

—ひきこもりサバイバー64 -ひきこもりに逆戻り-

   福岡県立大学で嗜癖行動学を研究している四戸智昭です。

ひきこもりからのサバイバー(生還者)の声に学ぶことが大切だと思い、元ひきこもりのこだまこうじさんにエッセイを書いてもらいました。随時掲載の予定です。
今回は、『ひきこもりの継続を強力にする小さな成功体験』というお話。

◆◆◆

障碍者就労者としてフルタイムで働き始めてから14年3か月。

とうとうバーンアウト(燃え尽き症候群)してしまいました。

この仕事に就くまで、九年間の間、保健所に相談に行く。

作業所に通うようになり、でも辛かったら作業所に行くのを休む。

その中で月に三千円ももらえたらうれしい内職のようなものをやる。

そのお金でコーラを飲むとうれしい。

という生活から徐々にできることを増やしやっとたどり着いた場所でしたが体力の限界がきました。

普通より「とても簡単なお仕事です」は私にはきつかったわけです。

体力が足りなかった私にはちょっとだけ大変だったのです。

ちょっとだけ大変を「ちょっとだけだから」の精神でがんばっていたら「水滴石を穿つ」になりました。

「ちょっとだけきつい」が落ち続ける水滴のように私の体と心を打ち続け、とうとう私が「ひきこもり」に戻る原因となりました。











こだまこうじ (元ひきこもり。1976年福岡県飯塚市生まれ、同市在住。)


<プロフィール>
 中学時代いじめ被害、高校で不登校に。その後、最初のひきこもり時代を経験。このとき、「キツイから精神科に連れて行って」と親に泣いて希望するも、完全に無視される。周囲から就労を強要され、専門学校へ入学。その後、就労するも就職先の社員寮で動かなくなっているところを発見され、会社は9か月でクビ。4年間の本格的なひきこもり時代に突入。
 その後、保健所の支援でひきこもりから脱出。2009年、保健師にとってまれにみる成功例として福岡県嘉穂・鞍手保健環境事務所の「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーに就任。自立できるほどの収入はないが、ひきこもり当事者家族の話を聴いて支援をすることになる。
 しかし、2020年に国や県がひきこもり当事者への就労支援を加速させることになり、「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーとしてのお役御免となる。
 「死んで地獄に行ったら、鬼に責め苦を喰らい、極楽に行っても悟った超阿弥陀如来に解脱するまで修行させられる」ことを恐れて、今日も何とか生き延びている。

2025/08/01

—ひきこもりサバイバー63 -ひきこもり脱出時の私の愚痴-

   福岡県立大学で嗜癖行動学を研究している四戸智昭です。

ひきこもりからのサバイバー(生還者)の声に学ぶことが大切だと思い、元ひきこもりのこだまこうじさんにエッセイを書いてもらいました。随時掲載の予定です。
今回は、『ひきこもりの継続を強力にする小さな成功体験』というお話。

◆◆◆

私の実感では最大限、甘く見ても「社会活動と認められている場所に行く」というのがひきこもり脱出となります。

 まあ、そこで「何もしなくていい」「来たいときだけ来たらいいから」とは言われるわけですが「行ったら行った」で「明日も待ってるから」 的なプレッシャーが来ます。

 ひどいときには「最近来ないけど大丈夫?」とか追加ダメージが来ることも。

 正直、ごく平凡なひきこもりとしては家では働けプレッシャーがすごいので社会活動のために「安心して熟睡できる場所」を提供してもらえたらどんなにありがたいかと何度も思いました。

 「好きなことをしていいから」とモンハンを持ち寄ってきたひきこもりの人とプレーして帰れる社会的活動の場所があればよっぽど交流できるのにとも・・・

 正直、まっとうに社会生活している人と話すのはきついし、気を遣います。

 しかしながらひきこもり同士で話があるかと言えばあんまりない。

 いろいろとイベントを用意してもらってもベジタリアンが、肉を出されて困惑するような感覚があります。

就労へのステップ感が半端なく、今日、花火見に行って遊んだんだから気晴らしになったでしょ?」

「気晴らししたら次にすることは就労よね?」という幻聴が聞こえそうです。

もちろん被害妄想幻聴でしょう。

 被害妄想幻聴ですよね? 

 ひきこもりの集まりに行ったらそこから就労支援NPOに 行くように誘導することもありませんよね?

 就労支援の場所へ「これも社会活動だ」と行ったら 「就職活動につながるように訓練に参加しないのならなぜ来たのですか!」 と嘆かれることもありませんよね?

 ひきこもりを脱出して外に出ることと就労が混ざってしまっていませんか?

 混ぜてしまってはいませんか?

大事なことなので二回言いました(笑)









こだまこうじ (元ひきこもり。1976年福岡県飯塚市生まれ、同市在住。)


<プロフィール>
 中学時代いじめ被害、高校で不登校に。その後、最初のひきこもり時代を経験。このとき、「キツイから精神科に連れて行って」と親に泣いて希望するも、完全に無視される。周囲から就労を強要され、専門学校へ入学。その後、就労するも就職先の社員寮で動かなくなっているところを発見され、会社は9か月でクビ。4年間の本格的なひきこもり時代に突入。
 その後、保健所の支援でひきこもりから脱出。2009年、保健師にとってまれにみる成功例として福岡県嘉穂・鞍手保健環境事務所の「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーに就任。自立できるほどの収入はないが、ひきこもり当事者家族の話を聴いて支援をすることになる。
 しかし、2020年に国や県がひきこもり当事者への就労支援を加速させることになり、「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーとしてのお役御免となる。
 「死んで地獄に行ったら、鬼に責め苦を喰らい、極楽に行っても悟った超阿弥陀如来に解脱するまで修行させられる」ことを恐れて、今日も何とか生き延びている。