2010/12/05

人様の時間、私の時間

(福岡楠の会 ひきこもりの家族会 2010年12月号会報)

福岡県立大学大学院看護学研究科 四戸智昭

○仕事依存症の私
 11月の例会ミーティングには足を運びたいと本心から願っていた私だが、願いは叶わなかった。11月に入ってから北九州→札幌→福岡→熊本→田川という移動を繰り返していたら、体力と気力がすっかり枯渇してしまった。
 ワーカホリック(仕事依存)という言葉があるが、10月以降の私はまさにこの状態だったと気がついた。仕事するのが偉いという意味ではない。仕事ぐらいしておかないと、自分が存在する意味を見出せなかった私の性があった。
せっかくなので、仕事依存症について、若干のコメントをしておきたい。仕事依存症というと、深夜残業をしてまで毎日職場に残っている人を想像しがちだが、仕事依存症の本質は、毎日仕事をしている人の事を指すのではない。
仕事依存とは、仕事とプライベートのオン・オフの切り替えができない人たちの病と言ってもいい。つまり、休みの日なのに頭の中は仕事のことで一杯。あるいは、日曜出勤の代休を月曜日に取得したが、世間は平日なので、罪悪感を感じてしまう。というような状態が仕事依存である。つまり、仕事をしていないときに、仕事のことが頭から離れない状態が仕事依存の状態と言える。

○不登校の子どもたちの昼夜逆転生活
実は、この仕事依存の状態は、不登校の子どもたちの心理状態によく似ていることがある。不登校の子どもたちの様子を聴いていると、授業がある平日は学校にも行けないし、家から一歩も出られない。でも、日曜日や祝日になると、笑顔で安心して公園に遊びにいく。
あるいは、授業がある学期期間中は、昼と夜が逆転の生活をしているが、夏休みになると、この生活が元通りになって明るく生活している。という話も耳にする。
こういった子どもは、世間が休みの期間中は安心して自分も休めるが、学校に行かなければならないときは、安心して休むことができず、頭の中では学校のことで一杯になっていることが多い。

自分の心を守るためには、みんなが学校に行くときは、布団にくるまって寝るしかない。(おじさん達であれば、酒を飲んで酔っ払えばいいが、小学生だとそうはいかない。)逆に、みんなが寝静まった時間に、ひとり自分の存在を確認する安心した時間を持つということになる。
学校の先生方が、不登校の子を抱えた親に対して、「昼と夜の逆転した生活を改めましょう。生活のリズムを整えて、学校に行けるようにしましょう。」というアドバイスをするという話をよく聞く。
これは、実はあべこべなアドバイスをしていることに他ならない。子どもたちは、必要があって昼夜逆転の生活を選択している。そうでもしなければ、この世の中で生き抜いていくことができないのだ。つまり昼夜逆転の生活で自己防衛をしている。

○昼夜逆転がいい
 ひきこもりの課題で苦しんでいらっしゃる方の中にも、昼夜逆転の話題が出てくることが多い。「息子は、昼夜逆転の生活になって20年になりました。」「夜な夜な、美味しそうな料理を作って食べているようです。」「夜は、パソコンばかり見つめています。」などなど。
 私は、昼夜逆転の生活が悪いとは思わない。むしろ、独りで思索に耽ったり、何か原稿を書いたり、映画を楽しんだりするには、とても良い生活パターンだと思う。
 『ゾウの時間とネズミの時間』という名著をご存知だろうか。動物園で見かけるゾウとネズミは、実は全く別の時間感覚の中で生活しているという生物学のお話だが、人間の生活時間もまさにそうだと思う。


誰が、学校は朝8:30からと決めたのか?誰が、昼間は働くべきだと決めたのか?実は、そんなルールは私たちの思い込みの中にしかない。
深夜の時間、工場や医療の現場で労働をしている人たちもいるし、夜に夜間中学で勉強している生徒たちもいる。人様の時間があれば、私の時間があってもいい。だから、私は最近、四戸時間を楽しんでいる。(妻と息子は迷惑のようだが。)

○まず願ってみる
 私が四戸時間を過ごすようになると、学生と面談したり、講義をしたりすることがとても大変なことだと気がついた。つまり、この地球上で、同じ時間に同じ場所で定められた時を学生たちと共に過ごすということが、とても貴重な時間であるという気づきである。
 神様からの贈り物の時間と言ってもいいし、わが師匠はいつも「縁ですなあ~。」と囁いていたことを思い出す。
 さて、気がついたら筆を置く時間になった。縁というタイミングに恵まれたら、12月の例会ミーティングで多くの人と出会いたい。この原稿を書いている瞬間、12月の例会に行きたいという願いは嘘ではなく本当である。

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