2021/11/05

ひきこもりサバイバー31 ― ひきこもりだった私の家内安全とは?―

福岡県立大学で嗜癖行動学を研究している四戸智昭です。

ひきこもりからのサバイバー(生還者)の声に学ぶことが大切だと思い、元ひきこもりのこだまこうじさんにエッセイを書いてもらいました。随時掲載の予定です。
今回は、『ひきこもりだった私の家内安全とは』というお話。

◆◆◆

楠の会(ひきこもりの家族会)さんで話をさせてもらった三つの話のひとつに 「ひきこもりの私は家内安全を目指していた」 というものがありました。

 ひきこもりの私には「自分が家にも社会にも迷惑をかけている」という感覚があったのですが、こうやって話させてもらう機会をいただき、掘り下げていくとちょっと違う気がしました。

 「私はひきこもっている間、常に親を責め立てたり暴れたりしていたかな?」 という疑問です。

 答えはもちろん「NO」です。

 じゃあどんなときにそういう迷惑行動をしたか?

 母親が泣いて謝っても許さないような激しい言葉を投げつけたのは どんなどきだったか?

 壁に穴をあけたのはどんなことがあったからだったか?

 殴りかかったりけったりしたときは?

 それは

 「親の方がヒートアップして、今の状況を劇的に変えようとしたとき」

 「自分がヒートアップして、自分や親の命を断つような行動をしそうなとき」 

 だったような気がします。 

 殺られる前に言葉責め、自分が制御できなくなる前に壁ドン。

 そんな行動で家の中のバランスを崩さないようにしていました。

 天秤が傾いて倒れないように、独りで揺らし続けるイメージというのが 一番合っているでしょうか。

 極端かもしれませんが、わかりやすくするために言葉を選ぶと 

 「右の天秤皿には「家族のために自分を殺す」衝動」

がのっていて、

「左の天秤皿には「自分のために家族を殺す」衝動」

がのっています。

 右の「家族のために自分を殺す」衝動が重くなりすぎれば「自殺」して しまいます。

 左の「自分のために家族を殺す」衝動が重くなりすぎれば「一家惨殺」です。

 どちらも明るい未来ではありません。

 そこで右の「家族のために自分を殺す」衝動が「自殺実行」にまで高まったときに私は「家族の中でもっとも信頼でき、その性格を知っている母親にきつく あたること」で左の「自分ために家族を殺す」天秤皿に重みをかけて 自殺を防いでいたようです。

 ニュースなどで子供が自殺した後、一生苦しむ家族の姿、一生裁判などで 戦う羽目になっている家族の姿を見ていると自分の家族がそうなるくらいなら、新しい幸せをつかむことを目指してほしいと願います。

 しかしそれが難しいことも知っています。

 もちろん家族を殺して自分が幸せになれないこともわかっています。

 ではサラリーマンという名の立派な社会人として生きていけるでしょうか?

 ひきこもっている間は無理です。

 そのため、ひきこもっていた私は心のバランスをとるために必死だったような気がします。 

 もちろん意識してやっているわけではなく、生存本能でやっています。 自殺、殺される、殺すの回避のためにあらゆる手段を使います。

 たまに「もう殺してもらった方が楽かな」ともなるわけですが、そう思う余裕があるうちは何とかなるので結構大丈夫です。

 余裕がないときに「余裕がない」と言葉で伝えても伝わらないのは人の常識。 

 本当に余裕がないときはその自覚すら難しい。

 そのため親、自分の両方がびっくりするような行動にでます。

 日頃、下手な刺激を与えあわないように接触を控えているだけに、自分の状態を緊急に知ってもらわなければならないとき私の行動は過激になっていた気がします。





こだまこうじ (元ひきこもり。1976年福岡県飯塚市生まれ、同市在住。)


<プロフィール>
 中学時代いじめ被害、高校で不登校に。その後、最初のひきこもり時代を経験。このとき、「キツイから精神科に連れて行って」と親に泣いて希望するも、完全に無視される。周囲から就労を強要され、専門学校へ入学。その後、就労するも就職先の社員寮で動かなくなっているところを発見され、会社は9か月でクビ。4年間の本格的なひきこもり時代に突入。
 その後、保健所の支援でひきこもりから脱出。2009年、保健師にとってまれにみる成功例として福岡県嘉穂・鞍手保健環境事務所の「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーに就任。自立できるほどの収入はないが、ひきこもり当事者家族の話を聴いて支援をすることになる。
 しかし、2020年に国や県がひきこもり当事者への就労支援を加速させることになり、「ひきこもり家族相談会」のアドバイザーとしてのお役御免となる。
 「死んで地獄に行ったら、鬼に責め苦を喰らい、極楽に行っても悟った超阿弥陀如来に解脱するまで修行させられる」ことを恐れて、今日も何とか生き延びている。