2011/06/22

インターネット依存の底付きは何か?

プロセスアディクションのひとつであるインターネット依存については、様々な場面で語られることが多くなった。

10年ほど前に、キンバリー・ヤング著『インターネット中毒』という本の邦訳がわが国で出版された当時、日本でインターネット依存の研究をしている人は皆無に近かったと思う。

今では、随分と語られることが多くなったインターネット依存であるが、お隣り韓国では、インターネット依存によって死者が出たり殺人が起きたりしている。

ところで、依存症からの回復には、底付き体験というターニングポイントが必要とされる。
アルコール依存の人なら、自分の飲酒の問題に気が付いて「自分ではどうにもならない。」という自覚のポイントがこの底付きと呼ばれる。

インターネット依存と同じプロセスアディクションのギャンブル依存では、借金取りに追い立てられたり、命を狙われたり、家族が一家離散したりというのが、本人の自覚を促すターニングポイントになる。

しかし、インターネット依存ではこれがなかなか難しい。最近では、ネット接続は従量制なので、接続し続けて、支払料金が大幅に増えるということがない。結局、ネット接続の多さについて、家族は気が付きにくくなってきている。

インターネット依存によって、健康を害するという底を待つのも、なかなか難しい。韓国で死者が出たのは、飲むことも眠ることもせずに、気がついていたら死亡というケースで、これでは底につくというより、底が抜けたという状態になってしまう。

結局、インターネット接続環境がある限りは、インターネットに依存し続けることになる。

では、インターネット依存の底付きは何か?

  • 学業がおろそかになる。
  • 睡眠不足になり寝坊する
  • 無断欠勤をする
  • 友だち付き合いが少なくなる


等の派生的な問題発生が、本人の自覚に繋がることを望むしかないと思うが、ギャンブル依存のように、命を狙われたりというような生命の危険にはなかなか直結しにくい。

結局、インターネットがそこにある限り、そして、ネットに依存しなければならない理由がある限り、ネット依存者はネットに依存し続けるだろう。